第5話 コーヒー
メインストリートからは外れた、いわゆる裏路地というやつだろうか?人気のない通いなれた通りを歩き、僕は職場にやってきた。
薄汚れた雑居ビルの3階。さび付いた看板には「柳探偵事務所」の文字。
エレベーターなんてしゃれたものはこの雑居ビルには存在しない。長い間掃除もされていないであろう汚れた階段を一段一段踏みしめ、年のせいか最近痛みを訴えてくる腰をさすりながら事務所のドアを開ける。
古いエアコンから漂う微かなカビの匂い。しかし蒸し暑い外を歩いてきた身としては、カビの匂いなど些細な問題で、よく冷えたエアコンの風はありがたい。
「おはようございますヤナさん」
エアコンの風を全身で感じながら、僕は事務所の主に挨拶をする。
事務所の中心にある座り心地の良いソファーに座っているのは、事務所の所長、探偵柳隆一。いつものようにゴシックロリータ風の衣装に身を包んだ柳は、僕を見て妖艶にほほ笑んだ。
「おはようコータロー。今日も良い顔面をしているね」
「……朝からやめてくださいよ」
「何を言っているんだい?君の仕事はその顔面で私を喜ばせることだよ?」
残念ながら目の前のゴスロリ女装男が言っている戯言は事実である。
僕は顔が好みだという、ただそれだけの理由で柳隆一に雇われたのだから。
「さあコータロー。私のためにコーヒーを入れてくれないかい?ホットで頼むよ」
「はいはい。冷房が入っているとはいえ、よくこんな蒸し暑い時期にホットのコーヒーなんて飲めますね」
「私はコーヒーと紅茶はホットが好きなんだ。季節は関係ないね」
「へぇへぇ、そうですか」
そう言いながら、僕は下っ端らしく慣れた手つきでコーヒーの準備をする。電動ミルで挽いた柳のお気に入りの豆を、金属製のドリッパーを使ってじっくりと時間をかけ、ドリップする。「探偵ってのはコーヒーにこだわるものだよ。だから君は私の助手として、コーヒーは丁寧に作ってくれたまえ」と柳は言っていたが、コーヒーにこだわる探偵に憧れているのなら、自分で淹れればいいのにといつも思う。
事務所内にコーヒーの良い匂いが漂ってきた。アツアツのコーヒーを柳に出し、自分の分は氷をたっぷりと入れたグラスにコーヒーを注いでアイスコーヒーにする。柳はホット至上主義のようだが、夏はやはりアイスコーヒーがうまいと思う。氷を2個3個追加してからコーヒーを一口。柳の好きな、酸味が強いコーヒーの香りがフワリと鼻を抜ける。柳のコーヒーの好みはセンスが良い。少なくとも僕はこの味が嫌いじゃなかった。
「ありがとうコータロー。君の淹れてくれたコーヒーは美味しいよ」
甘くとろけるような声で口説いてくる柳をスルーして、事務所の隅にある僕専用の作業デスクに向かう。基本的にこの事務所の事務作業全般は僕が請け負っている(雑用全般と言ってもいいかもしれない)。デスクの上には中古のノートPCが一台と、適当にまとめられた書類が少々。
よく冷えたコーヒーをグラス半分ほど一気に飲んで、ノートPCを起動させようとすると、ソファーでくつろいでいた柳から声がかけられた。
「あぁ、今日はいいんだコータロー。コーヒーを飲み終わったら一緒に出掛けよう」
「……今日って何かありましたっけ?」
柳は基本的に引きこもりだ。必要な用事も雑用係である僕に押し付けてくるので、びっくりするほど事務所から出てこない。しかもこんな暑い季節に、快適な事務所を離れるなんて……何か嫌な予感がする。
柳は優雅にコーヒーを一口すすり、軽い口調で答えた。
「あぁ、どうにもまだ腹を食い破られた死体が見つかったみたいなんだ。一緒に見に行こうじゃないか」
◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます