あめおとこ

六散人

【01-1】最初の事件(1)

〇〇県警捜査一課に、その事件の第一報がもたらされたのは、季節が本格的な梅雨に入った、六月末の蒸し暑い日の、午後二時を少し回った頃だった。


当初事件は、県道を走行していた車の自損事故として、110番通報されたのだったが、車内から変死体が二体発見されたことで、俄然事件の様相を帯びてきたのだ。


事件の現場は、県を南北に貫く片側二車線の幹線道路で、飲食店などの大型店舗が密集した地域から、三百メートルあまり北上した場所だった。


県警捜査一課熊本班から、班長の熊本達夫に率いられた刑事五名が現場に到着した時、現場周辺には所轄署の交通係によって規制線が張られ、多数の警官が慌ただしく動き回っていた。


熊本班所属の鏡堂達哉きょうどうたつや刑事は、現場に到着するとすぐに、問題の事故車両に検分に向かった。

車の周囲では、鑑識の制服を着た数名が、あちこち調べて回っている。


鏡堂はその中の一人、小林鑑識官に声を掛けた。

「小林さん。ガイシャは溺死・・だと聞いたが、それはマジなのか?」


その言葉に振り返った小林は、困惑した表情で答える。

「うーん。解剖結果を待たにゃならんが、遺体の状況を見ると、その線が濃厚だな」


その答えに、鏡堂も困惑した表情を浮かべた。

「それは溺死体を二体、車で運んでる途中で、事故を起こしたということかい?」


その至極まっとうな推論に対して、小林は首を横に振る。

「それがな、鏡堂さん。

ガイシャはそれぞれ、運転席と助手席に座ってたんだよ。

ご丁寧にシートベルトもしっかり締めて」


鏡堂は益々不審な表情を浮かべる。

「何だってそんな面倒なことを…」


その時、背後から声が掛かった。

「県警の方ですか?」


鏡堂が振り向くと、細身のスーツ姿の女が立っていた。

「〇山署の、天宮てんきゅうと言います。

ガイシャのご遺体を検死に出してよろしいでしょうか?」


「ああ、所轄の人かね。

鑑識の検分が終わってるなら、運んでもらっていいよ」

そう言って小林を見ると、彼は黙ってコクリと頷く。


それを見た天宮刑事は鏡堂に軽く会釈し、車の脇の草地に置かれた、ブルーシートの近くに立っている、制服警官に近づいていった。

そして被害者の遺体は、彼女の指示に従って、既に現場に到着していた遺体搬送車に運び込まれた。


それを見届けた鏡堂は、事故車両の検分に移る。

車は3ナンバーの白のセダンで、最近発売された人気車種だった。


県道沿いのガードレールに衝突して止まった車は、左前の部分が完全にひしゃげて、見るも無残な状態だった。

相当のスピードで、衝突したものと思われる。


車の近くにいた所轄署の刑事に、事故当時の状況を訊くと、事故当時周辺を走っていた車から、かなりの目撃情報が取れていた。


事故車は現場手前にある、ファミリーレストランを出た後、急に蛇行し始め、猛スピードでガードレールにぶつかったようだ。

今、所轄の刑事の一人が、ファミリーレストランに情報収集に向かっているらしい。


鏡堂が車の内部を覗き見ると、中は水浸しの状態だった。

シートや床だけでなく、天井部分まで濡れているようだった。


――どうなったら、こんな状態になるんだろう?

鏡堂は、首を捻らざるを得なかった。


車が水没すれば、これと同じ状況になると想像がつくが、もちろん周囲に河川や池などはない。

そもそもこの車は、県道を走っていてガードレールに衝突したのだ。


「なあ、あり得ないだろ」

鏡堂の後ろから声が掛かった。

声の主は、鑑識の小林だった。


「去年の豪雨災害の時に、アンダーパスを通過中の車が水没して、死人が出た事故があっただろう?

覚えてるかい?」

鏡堂は彼の言葉に肯いた。

その事故のことは全国的に話題になったので、よく覚えている。


「あの時検案した車の中が、こんな感じだったけどな。

空調の排気口から、水がエンジンルームまで流れ込んでたよ。

この車も多分そうだ」


「中っていうのは、どういう意味だい?」

鏡堂は、その言葉に引っかかり、訊いてみた。


「ああ、あの水没した車は、当然だが外側も濡れてたよ。

タイヤとか、ガラスの周辺とかね。


でもこいつは、その形跡がない。

昨日今日と雨は降ってないから、はっきり分かる」


「それはつまり、この車は中だけが水没したってことか?

あり得ないだろ」


鏡堂は即座に否定する。

さすがに小林もそれに同調した。


「まあ、あんたの言う通り、そんなことはあり得ないわな。

だが車の中が水浸しだったというのは事実なんだ。


自己を目撃した車の運転手が、ガイシャたちを救出しようとしてドアを開けたら、中から大量の水が溢れ出したらしい。

俺たち鑑識が来た時も、車の中の床の部分には、かなりの水が残ってた」


その事実を聞いて、鏡堂は難しい顔で考え込んでしまった。

中が相当濡れていたというのは、事実として認めるとしても、こんな場所で車内が水没するというのは、どう考えてもあり得ることではない。


それにガイシャ二人の死因が溺死というのは、車内が水没したという推論と、あまりに整合性が取れ過ぎていて、かえって信憑性が低いと思われた。


――しかし、一体どんな手段を用いれば、こんな状況を作り出せるのだろう?

――これが他殺だとするなら、こんな状況を作り出すことで、犯人に一体どんなメリットがあるのだろう?


取り留めのない考えが、鏡堂の脳裏を駆け巡っていく。

その時、背後から掛かった。

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