第四章 メッセージ 1

「引き続きわたしが借ります」


 そう言って、『言葉にならないほどの悲しみの顔』をすれば、それ以上追求されることはない。

 大家は一瞬目を見開いて驚き、すぐに笑みを浮かべた。

 事故物件を回避したかったのだろう、三か月分の滞納家賃と半年分の前払い家賃を手のひらに握らせると、大家はさらに頬の筋肉をゆるめた。


 部屋には姉の痕跡が残っている。整理するまでにゆっくりと時間をかけたかった。

 大家を帰して、わたしは部屋に一人残った。

 ロフト付き2K。姉の最後の住処。彼女の輪郭を探す。


 ……なぜ死を選んだのだろう。


 姉妹仲は良くも悪くもなかったと思う。両親なきあとお互いにたったひとりの家族だった。ここ十年は両親の法事以外で連絡を取り合うことはなかったけれど。


 姉から手紙が届いたとき、ふと不安が頭をもたげたのだ。年賀状のやりとりさえしていないのに、珍しく手紙を寄こすなんて。あらたまって伝えたいことがあったのだろうかと。

 封をあけて驚いた。なにも入っていなかったからだ。

 フラップ部分に水彩画のホタルの絵が描かれている洋型封筒。姉はイラストの入っている可愛らしいレターセットを好んだ。何度も確認したが封筒に破損はない。糊付けもしっかりしていた。


 肝心の手紙を入れ忘れるなんて。姉も歳を取ったものだ。

 お互いに一人暮らしが続くなら、将来的には一緒に住むことも考えないではなかった。だがどうにも同居するイメージがわいてこない。そこでふと心配になり、連絡なしで住居を訪ねた。


 発見が早かったので、きれいな状態で見つけられたのは幸いだった。


 クローゼットを開く。姉の衣類。姉は明るく華やかな衣服を好んで着ていた。ほっそりとした姉の容姿に似合いそうな服が吊られている。肉付きの良いわたしとはサイズが合わない。もとより顔立ちが地味なわたしが着ると浮いてしまう。

 そういえば姉がおさがりをくれたことは一度もなかった。

 溜息とともに自治体指定のごみ袋の中に次々と詰め込む。

 ウエストを締め付けないタイプのワンピースを見つけた。上品な小花柄が全体を飾っている。わたしは姿見の前で自分に合わせてみせる。これなら着れるかもしれない。わたしはトレーナーとデニムを脱いで着替えてみた。


 ぎりぎり入る、かと思ったが、腕が太すぎて袖の布が限界まで伸びていた。みっともない。

 姉の声で再生された。


『みっともない』


 腕を曲げ伸ばしすると縫い目が叫び声をあげて裂けた。はぎとるように脱ぎ、ごみ袋に詰め込んだ。


 一度に出せるごみ袋は、ここの自治体では確か三個までのはず。週に二回の燃えるゴミの日。わたしは律儀にルールを守る。

 クローゼットにはまだたくさんの衣類がある。わたしにとっては、ゴミだ。

 燃えるゴミの日が来るまで、ファッションショーはとっておこう。


 机の上にパソコンがある。電源をいれる。

 すでに確認済みだったが、姉は死ぬ前にすべてを消去していた。遺書はみつからなかった。職場は三ヶ月前に退職していたという。メモ書き一枚さえ残っていなかった。


 死んだ理由は誰にもわからない。携帯電話を持っていたはずだが見つからなかった。警察は事故とも自殺とも断定できないが、と前置きしておきながら、念入りに調べた結果、自殺と断定した。


 昔から姉は肩こりがひどかったので、首のこりをとるために紐をかけたのではないでしょうか。などとわたしが言い出したが警察は気の毒そうな顔でわたしをみつめた。


 部屋のすみに積まれたファッション雑誌をパラパラとめくる。興味がもてなくて、すべてはごみと認定した。資源ごみだ。回収は週に一回。結束用のPPテープがないか探した。

 

 ごみ箱の中から見つかったというPPテープが机上にあった。もう必要ないと思ったから捨てたのだろうというのが警察の判断だ。床に敷かれたブルーシートとPPテープが自殺と断定する決め手になった。


 ブルーシートはとうに片付けられている。


 ロフトを見上げる。ロフトの手すりにPPテープを結んだ姉を想像する。

 こんな安物で姉が死のうとしたなんて、今も信じられない。


 どうせ死ぬなら恨みごとのひとつも残せばいいのに。たとえばわたしへの恨みごと。あっさりと事故死した母への恨みごと。借金を残した父への恨みごと。

 どうせ死ぬなら世の中に爪を立ててやればいいのに。

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