第二章 わたしが殺したあなた 6

 その場にくずおれそうになった体を支えてくれたのは力強い腕だった。


「しっかりしなさい、真裕美」

「あ、あなた」


 夫にしがみつくような体勢でベンチに腰をおろした。


「真裕美。あの子が死んで二年。そろそろ区切りをつけて前向きに生きようって一昨日も話をしたじゃないか」

「そのつもりだったんです。でもあの子が許してくれない」

「真裕美が依頼した除霊師のかたがたですよね。もしあの子の霊が取り憑いているなら、いますぐ除霊してください。無理なら無理とはっきり言ってください」


 夫は仙師さまと少女に頭をさげた。オカルトのたぐいはまったく信じない人なのに。


「息子はどこにいます? せめて謝りたいの。もう一度姿を見せて」


 植え込みの下や木立の影にまで目を凝らした。どこかに息子の霊がいるかもと思えば落ち着かない。

 息子が事故で死んでも、結婚を取りやめなかったわたしをさぞや恨んでいることだろう。


「あー、ではですね」


 仙師さまがボストンバッグから取り出したものは棍棒ではなく一升瓶だった。


「ちょっと待ちなさいよ、仙師」

「はい?」

「依頼者に霊が憑いているかどうか、感覚でわかんないの?」


 少女があきれたように言うと、仙師さまはそそくさと一升瓶をしまった。


「いないんですか。ではどこへ行ってしまったんでしょう」


 そこまで言って、はっと気づいた。


「わたしが殺してしまった……! そうなの、仙師さま!?」


 夫は悲痛な顔でわたしを見た。


「真裕美。あの子が死んだのは不運な事故だったんだ。過去を振り返って自分を責めるのはやめよう。三回忌ではわたしとそう約束しただろう」

「その約束が息子の怒りを買ったのよ。過去のことにして流すなんて許せないって言いに来たのよ。それなのにわたしはあの子を殺してしまったんだわ。今度は自分の手で」


 自分は利己的な再婚を望んだ。選んだ相手がたまたま年収の高い男だったわけじゃない。それまでの苦労を取り返す権利があると思っていた。外せない条件だった。欲望を恥ずかしいこととは思っていなかった。息子の進学費用も出してもらえる。さいわいなことに、年配男性の庇護欲をかきたてる仕草は心得ていた。


「自分が清廉潔白だとは言いません。幸せになりたいと願っただけ。お願い、もう一度姿を見せてちょうだい」

「なんとかしてやってください」

「そ、そうですね。えと、息子さんを呼び出せればいいんですが……ん、師匠?」


 少女がくつくつと笑っている。まるで嘲笑するような笑み。


「残念だな。怨霊の首を絞めて殺せる腕前ならスカウトしたんだけどね」

「スカウト?」

 

 少女はわたしを見据えた。


「あなたが殺したのは息子さんの霊ではありませんよ。息子さんはとうに現世から消えています。なんの痕跡も残っていないところを見ると、亡くなってすぐに魂が帰る場所に向かったんだと思います。恨みつらみの残滓ざんしもありません。あなたは赦されています。安心してください」


 少女は断言した。その瞳は、カラーコンタクトでもしているのだろうか、瞳孔も角膜も墨で塗り潰したような漆黒である。顔に穿うがたれたふたつの大きな穴に見える。

 凝視するのが怖くて、思わず顔をそむけた。


「わたしを恨んでない……? ならばどうして……」

「死んだ息子さんが母親を恨み続けていると思うのは、むしろあなたの自己満足ではないでしょうか」

「自己満足とはなんだ。失礼だな」


 夫が声を荒げた。この人が怒るのは珍しい。わたしのために怒ってくれている。


「生者のほうが往々にして失礼な人が多いんです。息子さんはもう現世の楔から解放されています。これは喜ばしいことなんですよ」


 たしかにそのとおりだ。息子はもう苦しんでいないというなら喜ぶべきだ。


「息子はいまあの世にいるのですか。それとも天国に?」

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