第二章 わたしが殺したあなた 5
悲観的な見立てを覚悟した。自分自身、まったく疑ってないわけじゃない。突然、人の首を絞めるだなんて、まともじゃない。
だがきっかけは思い当たらない。殺したいほど憎んでいる人物は今現在はもちろん過去にもいない。誰かの首を絞める妄想を抱いたこともない。最近見た映画やテレビなどにもそんなシーンはない。ホラー小説も読んでいない。
リアルな人間やゾンビでもない。残るのは怪異。そう、怪異に違いない。
「幽霊……怨霊……の可能性はないのでしょうか」
怪奇現象だとおっしゃってください、仙師さま。
「わしの見立てを聞きたいなら話してさしあげましょう。……よろしいですか、双葉師匠」
「わたしも聞きたいから早く言ってみてよ」
「はい、ここへ来るまでは幽霊を疑っておりました。桜井さんがおっしゃったような怨霊のたぐいです。と申しますのも、実際に女子大生が絞殺された事件が過去にあったからです。さっきお話ししたように少し場所がずれていますが、霊は浮遊してくることも考えられますので」
仙師さまは少女をちらちらと横目で伺いながら説明をしていた。よほど怖い師匠なのかしら。
「怨霊になっていてもおかしくないですわね」
「ええ、たまにいるんですよ。まったく無関係な人間に悪意を向ける迷惑な幽霊が。てっきりそれだと早合点して来てみたら、どうやら違うようで」
「違ったんですか」
「師匠の霊視に間違いはありません。公園に幽霊はいないみたいです。ほっとしましたよ、無念を訴え続ける女子大生の幽霊なんて可哀想ですから」
「まあ、そうですわね」
わたしは『双葉師匠』というたいそうな肩書の少女を一瞥した。ビッグサイズのパーカーがかえって小柄な体躯を強調している。だが見るものの庇護欲をかきたてようと計算しているわけではないようだ。わたしとは違う。
二度目に投げた視線を少女はタイミングよくキャッチした。まるで予測していたような鋭さ。わたしは視線をそらすことができない。
「いまは、です。あくまでもいまはいない、が正しい」
「え、と、どういうことですか師匠」
「仙師、いいから続けて」
「は、はい。では次に考えたのが別の幽霊。野良幽霊といいますか。運悪く遭遇したのではないかと」
「野良幽霊……?」
「だとしたら巡り会う可能性は低いので気にしなくてよいかと。ほかに考えたのがあります。実はそちらが本命で──」
「桜井さん」
少女は仙師さまを遮った。
「……はい?」
「手に持っているものはなんですか?」
「え」
少女の視線を追って右手に目を落とす。親指と人差し指のあいだに挟まれているのはツツジの花。
「あら、無意識に摘んでいたのね」
「ときどき食べてましたよ」
「食べていたんじゃありません。根元の蜜を吸ってたんです」
足下には蜜を吸い終わった花がいくつも落ちている。仙師さまの話を聞きながら無自覚のまま摘んでいたのだろう。たいして美味しいわけでもないのに、たわいもない癖のようなものだ。ツツジを見ると手が伸びてしまう。
思い出があるせいだ。わたしの真似をしてツツジを吸うのが好きだった息子。小さなラッパを懸命に吹いているような、あどけない仕草が脳裏によみがえって、ぐっと胸に詰まる。
「公園のツツジを勝手にちぎってしまったのは申し訳ないけど、うっかりしてしまうことは誰にもありますわよね」
「責めているわけではありません。なにか思い出されたんではないですか」
「……ツツジを見ると、どうしても……」
どうしても息子のことを思い出してしまう。お菓子を買い与えてあげられなかった負い目も。
「一昨日は息子さんの三回忌でした。直後にたまたまツツジの花を見た。思い出すのがむしろ自然かと思います」
慰めるような仙師さまの口ぶり。なにを言わんとしているのか、おぼろげに理解すると目の前が真っ暗になった。
「まさか、わたしが殺したのは……」
仙師さまは困ったような顔で微笑んでいる。
「息子なんですね。わたしを殺そうとしたのはあの子。そしてわたしはあの子の幽霊を殺したんですね。やはりわたしを恨んでいたんだわ」
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