序章 家 7

 少女が微笑むと、兄妹の顔はとたんに険しくなった。


「そんなことない。おれは見たぞ。ランドセルを背負った子供を」

「わたしも見たわ。あやとりをして遊ぶ女の子」


 初耳だ。穂乃果まですっかり信じているようだ。

 わたしの知らないうちに、兄妹は幽霊の目撃例を増やしている。


「それだけじゃない、台所に立つ人影とか。それはたぶん大人だったと思う」

「何人もの幽霊がいるのよ。ほかには──」


 幸太郎と穂乃果は少女を糾弾きゅうだんするような勢いで話し出した。

 わたしはただ呆然とするしかない。

 なんでこんなことになっているのだろう。

 幸太郎の足下にルンバがぶつかって向きを変えた。言いつのることに必死で、幸太郎は気にもとめていない。


「やっぱり偽物か、あんたは! もう帰ってくれ」

「そうよ、説明できないなら……ちょっと待って。最初から騙すつもりだったの? だったら適当なことを言って、お祓いの真似事をして、礼金をもらって帰るほうが利口よね」


 穂乃果が重要なことに気づいた。


「それも、そうだな……」


 幸太郎もはっとして身を引いた。所詮しょせんは考えの浅い、年端もいかない少女だと気づいて恥ずかしくなったのだろうか。


「でも、たしかに見たぞ。ぼんやりとはしていたが、野良猫とかじゃなかった。つまり、あんたの霊能力はおれたちより劣っているってことなんだな」

「わたしたちやヤスさんが見たのはなんなの。気のせいなの?」

「やっぱ幽霊だと思う。ほかの除霊師を呼ぼう」


 幸太郎がスマホを取り出す。


「幽霊じゃないです」


 少女はわたしのほうを見て問う。


「覚えていませんか。ランドセルを背負った男の子、楽しそうに一人であやとりをする女の子、台所で炊事をするお母さん、うたたねばかりするお爺さん、羊羹が大好きなお婆さん」


 少女は経文のようにすらすらと口にする。幸太郎と穂乃果が驚愕に目をみはった。目撃例になかったものまで含まれているのだろう。


「わたしには見えないけど、本当にそんなことがあるのかしら」

「ありますよ。わたしはお祓い師なので、祓えないものは祓えないって言うしかありません。だから今回はお代はいただきません。自分たちでなんとか解決してください」


「無責任だな」幸太郎は納得いかないと鼻を鳴らした。「だいたい、どっちに向かって話をしているんだ。こっち見ろよ」

「結局は手に負えないって、逃げ出すわけね」


 穂乃果もいつになく攻撃的だ。

 だが少女は二人を無視している。わたしに向かってこう言った。


「あなたは穂乃果さんと幸太郎さんの祖母ではありません」

「……はい?」

「おい、さっきから誰と話してるんだ?」


 幸太郎がいぶかしげにこちらをに目を向けた。だがわたしと視線が合うことはなかった。

 ルンバがゆっくりとやってきた。今度は幸太郎にはぶつかることなく、しかしどこか逡巡しゅんじゅんするような動きで近づいてくる。そして、するりとわたしの足をすり抜けていった。


「わたしは……」

「あなたは家なんです。思い出を繰り返し夢見ている、この家そのもの」


 幸太郎と穂乃果ははっとした顔で家の中を見回した。


「ああ……わたしの、思い出……」


 ランドセルを背負った幸太郎、あやとりが好きな穂乃果。働き者の母親、優しくて少し頑固だった祖父母。

 この家が忘れられないでいる、大切な記憶の欠片。

 体が勝手に、ふらふらと仏間に向かう。


「伝えてください。幸太郎と穂乃果に。さようなら。脅かしてごめんねって」


 夢から覚めてしまう。まもなく目が覚めて、意識は消えてしまうだろう。

 仏壇には娘とわたしの写真が並んでいる。いや、わたしではない。わたしが愛した家族の──



「さようなら、脅かしてごめんねって言ってました」

「……さようならって言われても……出てかないけど」

「こういうことはよくあるんですか? 家が夢を見る、とか」

「さあ、どうでしょう」

「この家はもう二度と夢を見ないのでしょうか」

「お二人がこれからどう過ごされるか、じゃないでしょうか。断言はできません。もし異変があったらお祓いを呼んでください。この家を守る者はいなくなりましたので、次に異変があれば幽霊の仕業かもしれませんから」


 少女はにたりと笑った。


 少女が帰ると兄妹は顔を見合わせて困惑を確認し合った。


「印象ががらりと変わる女の子だったわね。へんなことを言うみたいだけど、あの子、人間だったのかしら」

「結局名前を聞くのを忘れちまったな。まあ調べれば……あれ」

「どうしたの」

「サイトが消えてる」

「……そう。でも不思議じゃない気がする。おかしなこと言うようだけど。ねえ、夕飯はハンバーグのせカレーライスでいいかな。お婆ちゃんが昔よく作ってくれたやつ」

「おれが作るよ。料理はけっこう得意なんだ」


 幸太郎は胸を叩いて立ち上がった。


「あれ、兄さんって、ほんとはそんなに背が高いんだっけ」


 ひさしぶりに笑いあった兄妹の声は家の中に響き渡った。


                        (序章 了)


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