第57話


グレンダは先を続けさせるために、頷いた。


「彼の帰りを随分と待っていたの?」

「5年だよ。その間、何度他の男から求婚されたか知れたもんじゃない。それをぜぇんぶ蹴って待ってたんだよ」


リタは手を広げて、自分がどれだけ待っていたのかを表現した。


「それは待ち長かったわね。………その間ドレスは何処にあったの?」

「ロッシにあるドレス店の奥の奥。一番上等なドレスを置く所に飾ってあったさ。あたしは月に2度くらいその店に行っては、他の人に売らないでおくれって頼んでたんだよ、5年も」


リタは、5年も、ともう一度言った。

だから型が古いのか、とグレンダは思った。

それ程にこのドレスに魅入られてしまったのね。

もしかしたらそのドレス店の店主は、売る為でなくウィンドウを賑わす為に、そのドレスを飾っていたのではないかしら?

ロッシ辺りの人の稼ぎで当時、このドレスを買う事の出来た人はいないはず。


だからこそリタは心奪われてしまったのだわ。

自分がお姫様になる為には、そのドレスを着なければならないとでも思い込んだのでしょう。

今は店の奥に飾ってあるという事は、店主もこのドレスの型が古い事を分かっているのね。

それを”上等”と言って高く売りつける辺りはなかなかの商売人。

それを見抜けないリタはおバカさんなのだけれど、それもこれも、ドレスに魅入られた所為だわ。


グレンダの沈黙に頓着する事なく、リタは話し続ける。


「やっと手に入れたんだ。やっと袖を通す事が出来た。だからあたしはいつもこのドレスを着てるんだよ」


リタは嬉しそうにドレスを撫でた。


「でも、金貨は足りなかったんでしょう?」


グレンダは首をかしげる。


「それはまだ、正式にはあなたの物ではないのではなくて?前金を入れただけなのよね?」


商売人であるはずの店主が何も言って来ないのはおかしい、とグレンダは思う。

全額入れなければ、ドレスを取り返しに来てもおかしくないはずなのに。

もしかしたら、リタが何時もドレスを着ているのは、店主に取り上げられない様にする為かも知れないわね。


グレンダの言葉に、リタは残念そうに頷いた。


「そうなんだよ。残りも入れてくれって店からは矢の催促さ。それでなければ返せってね。でもあたしが金を払うのはヘンだろ?だって、これはディヴィットとの婚礼衣装なんだから。ディヴィットが払うのが筋ってもんだよ」


医者と御者は顔を歪めた。

これが自分の相手なら迷わず怒鳴っているだろう。

“ふざけるな、それはお前の勝手な言い分だ”と。


だが二人は自分達の立場を理解していた。

グレンダが助けを求めた時にだけ、口を挟む事が許される。

そしていざという時、女を摘まみ出すのだ。


「ディヴィットはあなたと結婚しないって言ったのよね?」

「そう言って村を出て行った。行く宛なんかないくせにって言うと、あるって言ったんだ。金貨は手切れ金だって言って全部置いてったけど、それじゃ足りないんだよ。それを言っても振り返りもしなかった」


リタはその時の事を思い出したのか、忌々しそうな顔をした。


「それで?何故、今頃になってここに来たの?ディヴィットに払ってもらうつもりだったらもっと早くに来るのが普通でしょう?」


リタは肩を竦めた。


「今まで探してたんだよ。ロッシにいるディヴィットの友達がここの事をやっと教えてくれたんだ。自分だけ金持ちの家に転がり込むなんて酷い話だろう?調べてるうちに、この家の娘と仲良くやってんじゃないかって話が漏れ聞こえてさ。あたしにもその恩恵を受ける権利はあると思ったのさ。なんたって、あたしにくれたのはドレスも買えない”はした金”なんだから」


医者と御者は顔を顰めた。

この女、男に未練がある訳ではない。

ただただドレスを自分の物にしたいだけ。

もしかしたら、最初から男の事を愛した事はなく、ドレスが欲しかっただけなのかもしれない。


結婚しなくて良かったなぁ、兄ちゃん。

御者は顔も知らない男に同情し、その判断を褒めた。


グレンダは眉根を顰めたが、リタはそんな表情の変化に頓着せず、言葉を続ける。


「まぁ、いないって分かった今はその権利もなさそうだけど。でもね、あんた。今の話を聞いて、あたしを可哀想だって思っただろ?」


グレンダは何の反応も返さなかった。

だがリタは気にしない。


「思ったはずだよ。だったらね、あたしに金貨をくれないかい?話によると、あんた、いろんな所にたくさん寄付しているそうじゃないか。教会や孤児院や、貧民院だったっけ?みんな金貨の価値も分かってないような奴らじゃないか。それよりはあたしにくれた方が金貨だって何倍も嬉しいはずさ。そう思うだろ?」


リタは悪気のない顔でグレンダを見る。

ぃや、実際悪気はないのだ。

自分の言う事は正しい、と心の底から思っている。

こんな人間も世の中にはいるのね。

出来れば出会いたくなかった、と思う様なタイプの人間が。

グレンダはリタから目を逸らすと、隣に座る医者を見た。


「少し疲れてしまったわ。先生、明日またクリスを見に来て下さい」


医者は頷いた。

グレンダはリタに目を戻した。


「話は全部聞いてあげたわ。もうお帰りなさい」

「あたしの話はまだまだあるよ。聞きたいだろう?宿を引き払う用意は出来てるんだ。あたしはここに泊ったって構やしないんだよ」


グレンダは頭を振った。


「いいえ。その宿まで馬車で送らせます」


リタはあからさまに嫌そうな顔をした。


「えぇ?安宿なんだよ。トッドは貧乏だから狭くてぼろい宿しか取れないんだ。きっとこの家の洗濯部屋の方が立派だと思うよ」

「トッド………先程もその名前が出てきたけれど、それは誰なの?」

「ディヴィットの幼なじみさ。あたしの事を大好きで、でもあたしに振られ続けてる男」


リタは、にやっと笑った。


「あたしは貧乏な男は嫌いなんだよ。それを知ってもトッドは私の事を好きなんだ。あたしの役に立ちたいって、いつも言ってる。だからあたしはトッドに色々やってもらうんだよ。あたし専用の便利屋ってとこだね。金を向こうからくれるのがいいだろ?」


リタは得意げだ。


「時々、手を握ってやるだけで良いんだよ。ちょろいもんだね、男ってのは」


グレンダは気分が悪くなった。


「ダグ、リタを送ってちょうだい」


御者は頷くと、部屋の戸を開けた。

リタが出るまで戸を押さえているつもりだ。


「では、おやすみなさい」


リタはまだ何か言いたそうだったが、医者が立ち上がった。


「さぁ、君は帰りなさい。ケープさんはお疲れなのだ」

「分かったよ。じゃ、また来るよ」


リタは部屋の中をもう一度見回して、それから御者について出て行った。

医者はリタが家の中の何にも触らないように見張る為について行った。


「やれやれ。とんだ愚か者もいたものだわ。あの分では明日も来そう。一体どうしたものかしら?居留守を使うしかないかもしれないわね」


グレンダは大きく息を吐いた。

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運命の人 @Soumen50

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