訪問者
第54話
季節は新緑眩しい初夏になった。
その日、公園での散歩を終え、クリスは家に戻ろうと馬車に乗っていた。
馬車が家の門をくぐり、御者が玄関の前で馬車を止める。
「さぁ、着きましたよ、お嬢さん」
馴染みの御者が馬車の戸を開けると、まず犬が降りる。
クリスが御者の手を借りて馬車を降りると、御者はバスケットを下ろしてくれた。
クリスは御者にチップをやろうと持っていた小さなバッグの口を開けようとした。
と。
犬が、うぉん!と低く吠えた。
クリスは驚いて犬を見た。
「ディヴィット、どうしたの?」
犬はクリスの声が聞こえないかのように、一点を見たまま低く唸る。
「ぉ、お嬢さん!犬が吠えました!!」
御者も驚いた。
犬が吠えるのを聞いたのは、これが初めてだったから。
犬は門の方を見て唸り続けている。
クリスからも御者からも馬車が邪魔で門は見えない。
御者はそろそろと馬車の陰から頭を出した。
「ぉ、お嬢さん、女がいます」
御者は門を見たまま背中のクリスに言った。
「なんか様子が変です。お嬢さんは家に入った方が良い。早く!」
クリスは訳が分からないまま、玄関前の石段を上り、ノッカーを叩いた。
「鍵は持ってないんですかい?あぁ、こっちに歩きだした………」
御者はおろおろとした声を上げる。
クリスは恐ろしくなって、またノッカーを叩く。
「大伯母様、クリスです。開けて下さい。大伯母様」
クリスは拳で扉を叩いた。
「早く、早く!もう!大奥様は何をなさっているんでしょうねぇ」
御者の焦った様な声がクリスを追い立てる。
犬の唸り声が大きくなった。
「来たっ!」
「ちょっと、あんた!」
御者の声と女の声が同時に聞こえた。
クリスは扉を叩く手を止めた。
「あんた、ここの家の人間かい?」
クリスはそろそろと振り向いた。
石段の下。
馬車の横に女が立っていた。
赤い髪を振り乱し、腰に手を当てている。
古びたマントの下は、白いドレス。
どうやら婚礼衣装の様だ。
犬が唸っていても気にもならないらしい。
「あんたに聞いてるんだよ、ここの家の人間なんだね?」
クリスはこくり、と頷いた。
女はニヤッと笑った。
初めて会う人のはずだ。
だが、初めてのような気がしない。
この人を私は知っている。
想像よりも下卑ていて、想像よりも美しくはないけれど、確かにこの人は、彼女だ。
女は一歩足を進めると、クリスに向かって顎を上げた。
クリスの方が上にいるのに、女に見下げられている様な心持になる。
「だったらあんた。あたしのディヴィットを返しておくれよ」
クリスは女から犬に目を動かした。
犬はクリスと女の間に入り、女を威嚇するかの様に相変わらず唸っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます