第47話


居間に呼ばれたクリスはその犬を見て固まった。

犬の横に立っていたグレナダが手招きする。


「クリス、この犬はあたしが家の前にいる所を拾ったんだよ。あんたが世話をしておあげ」

「それは構いませんが……なんて大きな犬なんでしょう」


その犬は成犬だった。

まるで子牛程の大きさの体を黒く長い毛が覆っている。

捨て犬と言えば子犬を想像するだけに、クリスは驚いた。


「大人しいよ。それにこっちの言う事も理解する。きっとあんたの気に入るはずさ」


クリスはそっと犬に手を伸ばした。

犬はクリスの手を舐めた。

その目は優しく、クリスを見上げる。


「お前、なんて名で呼ばれていたの?」


クリスは犬に話しかけた。

毛並みはきれいで食事も足りていたらしく、この大きさになるまで野良犬だったはずはない。


「グレナダ伯母様、この犬は迷子犬なんじゃないですか?勝手に拾ったりして持ち主が探していたら可哀想だわ」


グレナダは、ふふんっと鼻を鳴らした。


「あたしがそれを調べなかったとでも?魔法でちゃあんと調べたさ。心配しなくてもこの犬は捨て犬だ。ぃや、今日からはあんたの犬なんだよ」

「分かりました。ありがとうございます、グレナダ伯母様。私、この子に素敵な名前を考えるわ」


クリスは膝をついて犬の目を覗き込んだ。

犬は雄。

男の子の名前と聞いて、先ず一番に浮かぶのは“ディヴィット”。

でもこれは使いたくない。

だとしたら?



「………クリストファーにするわ。私が男だった時の名」

「あんたねぇ。それじゃ家にクリスが二人いる事になる。ややこしくってしょうがないよ」


グレナダが呆れたような声を出した。

そして悪戯気に目を輝かせた。


「だったらいっその事、ディヴィットにしちまおう」

「え?」


クリスは驚いた。


「グレナダ伯母様、それはあんまりだわ」


それはついさっき、自分の中で却下した名だ。

振られた男の名を犬に付けるなんて、聞いた事がない。

毎回この犬を呼ぶ度にディヴィットの事を思い出してしまう。


「いいや、それがいい。ディヴィットの愚痴を言うチャンスさ。リンダが言ってたけどね、振られた男の文句を散々言うのが立ち直る手っ取り早い手だそうだよ」


クリスの抗議を、グレナダは手を振って退けた。


「………グレナダ伯母様、リンダに会ったの?」

「あぁ、もちろん。リンダだけじゃないけどね。家に行って皆にあんたの事を話して来んだよ。だってあたしには責任があるからね。あんたを立ち直らせる」


グレナダはそう言ってウィンクした。

それで家から何も言って来ないのね。


家族の誰一人訪ねて来る事は勿論、手紙さえない事の理由をクリスは知った。

リンダのアドヴァイスなら的確なんだろう。


でも、やっぱり、あんまりだ、と思う。

だから試しにクリスは、クリストファー、と犬に向かって言ってみた。

犬は首を傾げる様にクリスを見るだけ。


「ほら、ごらん。その犬もクリストファーじゃ嫌だって。今度はディヴィットって言ってごらんよ」


クリスは小さく息を吐いた。

そして犬を見て、ディヴィット、と呟いた。


うぉん!


犬が吠えた。

クリスにはその声が喜んでいるように聞こえた。


「ディヴィットが良いの?」


うぉん!とまた犬が吠えた。

そして鼻面をクリスの頬にこすりつける。


「ぁ、ちょっと、そんなに押さないで」


クリスはその勢いに押され、後ろに倒れた。

犬はそのままクリスの上に馬乗りになり、顔を舐めようとした。

その時。


「うぉっほん!」


グレナダが大きく咳払いした。

途端に犬がクリスの上からどき、元の場所に座った。

グレナダは犬を睨みつけた。


「調子に乗るんじゃないよ。二度と会えないくらい遠くに捨てて来る事だって出来るんだからね」


犬は尻尾を巻いて、平伏した。

クリスはそれを見て感心した。


「すごいわ。本当に人の言う事が分かってるのね」


もちろん言葉の全てを理解している訳はないはずだ。

でも声の調子や態度から、怒られている事が分かったんだろう。

なんて賢い犬なのかしら。

クリスは嬉しくなった。

グレナダが、ふふんっと鼻を鳴らした。


「もしまた調子に乗る様な事があったら、あたしにお言い」

「はい、グレナダ伯母様」


クリスは体を起して、犬に手を差し伸べた。


「さぁ、おいで。今からお前の寝床を作りましょう。食事用の皿を用意して………トイレの場所も決めないと」

「その辺はグレンダに相談すると良いよ。あの子もその犬の事は知ってるから」


クリスは、はい、と返事して犬と一緒に居間を出た。


「ねぇ、お前。本当にディヴィットが良いの?」


クリスは居間を出てすぐしゃがみ込み、もう一度犬に問いかけた。

犬は吠える代わりに、くぅんっと甘えるような声を出し、そっとクリスの頬を舐めた。

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