第25話


部屋に荷物を置いて食堂で食事をした後、部屋に戻る。

ディヴィットは戸の傍のベッドを、クリスは窓側のベッドを使う事にした。


「クリス、湯あみして来るか?」

「えぇ。そうするわ」


クリスは着替えを持って湯あみに行った。

秋なので汗をかく事はないし毎日体を拭いてはいるが、やはり洗うのとは清められ方が違うような気がする。

なにより布を外せるのはいい。

シャツの中に手を入れて拭く事はあっても、流石にきちきちに巻いた布の中まではきれいに拭けない。

だからと言って、外で布を外すのは論外だ。


クリスは体中を洗って、さっぱりしてから、布を巻いた。

巻きながら小さく息を吐く。

部屋まで廊下を歩くので巻いたが、部屋に戻ったら外してもいいものだろうか?

ディヴィットは、外してもいい、と言っていた。

見ないから、と。

でも、そうですか、と外すのも、何だか恥ずかしいような気がする。

外さなくても寝惚けて夜中に外してしまいそうだけど………

果たしてどっちが良いのだろう?


シャツとズボンを着て、部屋に戻る。

ディヴィットはクリスと入れ違いに湯あみに行った。

どうしようかなぁ。

クリスはベッドに横になった。

どっちにしても脱いでしまうのかと思うと、最初から脱いでいた方が良いような気もする。

でもなぁ………

クリスが決めかねている間に、ディヴィットが戻ってきた。


「ただいま~~」

「………なにしてるの?」


クリスは戸を開けて入ってきたディヴィットに問いかけた。


「何って、あんたを見ないようにしてるんだ」


ディヴィットは壁を向いたまま応えた。

そのままベッドまで後ろ向きでそろそろと歩く。


「普通に歩いていいわよ。私、服着てるから」


クリスが言うと、ディヴィットは、なんだよ、と言いながら振り向いた。


「まだ布も巻いてるのか?さっさと自由になれよ。窮屈なんだろ?」

「そうだけど。でも、その……宿代を払わなくちゃと思って」


クリスはそう言って財布を出し、ディヴィットに宿代の半分を渡した。


「明日でも良かったんだ。んじゃ、寝ろ」


ディヴィットは宿代を貰うと、それを財布にしまってから靴を脱ぎ、ベッドに寝転んだ。

もちろん、クリスに背を向けて、だ。


「………明かり、消すわね」

「あぁ」


クリスはランプの灯りを消した。

暖炉の火が部屋を赤く染める。

クリスはディヴィットに背を向けて、シャツを脱ぎ始めた。

衣擦れの音がやけに大きく部屋に響く。

クリスは裸になると、急いで布団にもぐりこんだ。

横になって大きく息をする。

はぁ。

気持ちいい。

ベッドの上で手足を思う存分伸ばして寝るのがこんなに幸せな事だったなんて、知らなかったわ。

クリスは伸びをして、それから目を閉じた。


後は眠るだけ。

部屋の中はしんとして、何の音もしない。

風が木の葉を揺らす音も。

小川の水が流れる音も。

とくとくという規則正しいディヴィットの鼓動も。

何にもない。

ぃや、暖炉の薪が爆ぜる音は焚火の音と同じだ。


それでも。


クリスは音のなさに息苦しさを覚えた。

あれ?

呼吸の仕方を忘れたかも?

そう意識すると、ますます息が苦しくなる。

クリスは懸命に頭の中で、吸って、吐いてと自分の呼吸をコントロールしようとした。

でも息を吸おうとすればするほど、吸えなくなる。


「っはっ、はっ、はっ………んはっ、はっ……」

「クリス?」


ディヴィットは、クリスの苦しそうな呼吸に目を開けた。


「どうしたんだ?」


ディヴィットはクリスに背を向けたまま聞いた。

だが、クリスは荒い呼吸を繰り返すばかり。


「………くそっ!見るぞ」


ディヴィットは意を決して振り向いた。

と、目に飛び込んできたのは、体を丸めたクリスの背中。


「どうした?苦しいのか?」


ディヴィットはクリスを抱え上げた。

クリスは喉を押さえ、ぜいぜいと息をする。

顔色が悪いように見えた。


「ちょっと待ってろ。医者を呼んでもらう」

「まっ!…まっ…て…………だ……ぃじょ…ぶ」


クリスは苦しい息の下で、ディヴィットを止める。


「大丈夫じゃないだろ?すぐだから」


ディヴィットはクリスをベッドに寝かせようとした。

だがクリスはディヴィットの襟首を掴んだ。


「…だ…ぃじょぶ…なの………ぃきが……苦しくて………でも…もうだいじょ……ぶ」


言葉通り、クリスが落ち着きを取り戻し始めた。

呼吸もだいぶ楽に出来るようになったようだ。

ディヴィットはクリスを抱えたまま、その様子を見ていた。

しばらくして、クリスは大きく、ふぅと息を吐いた。


「ごめんなさい………何だか苦しくなっちゃって」

「もう良いのか?どうして苦しくなったんだ?」


ディヴィットはクリスをベッドに横にならせた。


「分からないわ………とても静かだって思ったのよ。何の音もしなくて。それで………」

「苦しくなったのか?」


ディヴィットはクリスに布団をかけてやりながら聞いた。


「久しぶりに服を脱いだからかも。もしくは………」


クリスは何かに気付いたように口を噤んだ。


「もしくは?なんだ?服を脱いで苦しくなる訳がないだろ?そっちの理由があってる。言ってみろ」


ディヴィットはクリスを急かす。


「ぃや、これはないわ。もう心配ないから。ごめんね、起こしちゃって」

「ぃや、寝てなかったから。それより、なんだよ?」


クリスは頬を引き攣らせる。

ディヴィットはその様子を見て、それから立ち上がった。


「どうしたの?」

「医者を呼んで来る。まだ旅は続くんだ。ヘンな病気だと困るだろ?」

「ぃや、待って。医者なんか呼んだら女だってばれちゃうじゃない。理由は分かってるの。だから行かないで」


クリスは少しだけ体を起こした。

反対にディヴィットは座る。


「だったら、その理由を言え」


クリスはしばらく顔を顰めていたが、やがてちゃんと起き上がると、口を開いた。

もちろん布団で体は隠して。


「……ディヴィットが…………から」

「は?俺が何だって?」


クリスがぼそぼそと話したので、ディヴィットは問い返した。

クリスは俯いて、それから普通の声でもう一度言った。


「ディヴィットがそばにいないから」

「はぁ?俺、そこにいたけど?」


ディヴィットは首を傾げた。


「知ってるわよ」


クリスは何か吹っ切れたように顔をあげた。


「静かだって言ったでしょう?いつもは寝る時にいろんな音がするのよ。風とか水の音。それに、あなたの鼓動よ。その規則正しい音で眠りに誘われてたから、眠れなかったのっ!」


そう言い切ると、クリスはぷいっとディヴィットから顔を背けた。

ディヴィットはしばらく呆然としていたが、やがて、ははっと笑った。


「なんだ?意外と子どもなんだな。それはあれだな。赤子が母親に抱かれると良く眠るってやつだな」

「そんな事ないわよ。ただ、それに慣れちゃってたってだけで、私が赤ちゃんだって事ではないわ。だってそれまでは何ともなかったんですもの」


クリスは向こうを向いたまま反論する。


「はいはい」


ディヴィットはそう言って立ちあがると、自分のベッドに戻った。

布団を背中にかけ、そのままベッドのヘッドボードに背中を預けて座ると、クリス、と呼んだ。


「クリス、布団ごとこっちに来い」

「はぁ?」


クリスが振り向くと、ディヴィットはいつものように手を広げていた。


「なにしてるの?」

「何って………クリスが眠れるようにしてやろうって優しさだ」

「優しさって………でも折角のベッドよ?」

「でも眠れないんだろ?心配せんでも俺は座ったままでも眠れる。だから布団を体に巻いて、こっちに来い」


ほら、と促されて、クリスはベッドから降りた。

言われたように布団を体に巻いて、ディヴィットの腕の中に入る。

とくとくと規則正しい鼓動がクリスの耳に届く。

あぁ、この音だ。

なんて心地いい。


「さ、これで眠れるだろ?早く寝ろ」

「えぇ………ごめんなさい」

「別に良いさ」


ディヴィットはクリスの出ている肩に自分の背中を覆っている布団をかけてやる。


「ありがと………」


クリスは目を閉じると、そのまま眠りに落ちて行った。

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