第23話


旅が長じるにつれて、クリスはディヴィットに打ち解けた。

それはもちろん、ディヴィットの手腕によるものだが。

ディヴィットは自分の幼かった頃の話を積極的にした。

そうする事で、クリスの昔話を聞き出そうとしたのだ。

それでもクリスの口から大した事は出て来なかった。

何故ならクリスは話せるような事を何もしていなかったからだ。

友達はおらず、家族とのエピソードもほとんどない。

ただ狩りや剣の練習をしていただけだった。


それに気付いた時、ディヴィットは怒りを覚えた。

何に対して、とか、誰に対して、とかは漠然とし過ぎて分からない。

分からないが、異様に腹が立った。

強いて言えば、クリスが今まで何にも楽しい事を経験してこなかった事に対しての怒りだ。

親は何をしていたんだ?

妹や弟は?

一度それを尋ねたら、クリスは自分がそうしたかったのだ、と言った。


でも。


そりゃクリスが望んだ事ではあったのかもしれないが、それにしても遊ぶ間もない程練習させていたなんてバカげてる。

と、まぁこんな風に腹の中で怒った。


いいだけ怒ると、今度はクリスが可哀想になった。

駆けっこや鬼ごっこ、ボール遊びをする事もなかったなんて。

女の子なんだから、人形遊びや訳の分からん“ちまちました”遊びをしたかったろうに。

その大伯母さんとやらも酷な事を言ったもんだ。

クリスの16年間は、生きていないのと同じじゃないか。

クリスが“人生の仕切り直しだ”と言った意味が良く分かる。


そして。


そのうち、冷静になったディヴィットは別の事を考え始めた。

この旅の成功にクリスは16年間を賭けた。

大伯母さんに会って、許嫁とやらにケリを入れて(そんな事をクリスは言っていなかったが、そうしたいはずだ)、自分の人生を取り戻す。

それは傍から見ればバカげているのかもしれない。

16年間、面白おかしく生きて、その許嫁とやらと結婚する事を選んだほうが、うんと楽だろう。

会って好きになるかもしれないし、そもそも大伯母さんだって鬼じゃないんだ。

そうそうおかしな奴を選んだりはしないだろうし、どうしても嫌だったら婚約破棄すればいい。

実際クリスの話からも、大伯母さんは良い人、としか聞かされていないから、そうすることは可能のような気がする。

だとすればクリスはわざわざ過酷な道を選んだ。

人の言葉に流されず、自分で道を切り拓く方を選んだ。

なんて強い女なんだろう。

ぃや、男にもこんなに強い意志を持った人間はそうはいない。

俺が戦場に行ったのだって、人の言葉に流されて、だ。

こんなにか細いのに。

こいつ、すごい。


実際クリスが旅に出たのは、両親の言葉に流されたからだ。

でもそうとは知らないディヴィットは、クリスが強い意志を持つと勝手に勘違いした。

己にないモノを持つ人間だと勝手に決めた。

だからディヴィットはクリスを尊敬した。

彼女の為になる事はないか、と考えた。

そして、クリスの旅が楽しいモノになるようにしようと決めた。

人生のやり直しを今から始めても悪くないはずだ、と思ったから。

ディヴィットは、クリスに幸せになって欲しい、とそう思い始めていた。


「なぁ、許嫁を袖にしたら、その後はどうするんだ?スタッフィードでマダム・ケープの相手?」

「いいえ。家に戻るの」

「戻る?また旅をするってのか?」

「まぁ、そうなるわね」


ディヴィットは驚いた。

往復するとは思っていなかったからだ。

てっきり大伯母さんの所で過ごすんだと思っていた。

まぁ、とクリスは言葉を続ける。


「もしかしたら大伯母様が私を置いてくれるかもしれないけれど。でもそれには条件があるわ」

「条件?どんな?」


クリスは自分を見下ろした。


「こんな恰好をもうしなくていいように、私にドレスを新調してくれる事。妹のを借りるのではなくて、私のドレスが欲しいの。それさえくれたら大伯母様の相手も悪くないわね」

「今まで自分のドレスはなかったのか?」


ディヴィットは新しい事実に目を丸くした。


「えぇ。私の服は男物ばかり」

「それはクリスが望んだ事?」

「え?あ~~そうね………うん。そう」


ディヴィットの問いに、クリスは口ごもりながら返事した。

それはディヴィットに若干の違和感を与えた。

訝しげな表情でクリスを見れば、何だかそわそわとしているように見える。

クリスはしばらくして、実は、と話し始めた。


「私はドレスも着たかったの。でも、両親は男の真似をするなら、徹底してした方が良いってそう思ったのよ。確かにその考えは正しい。女を感じさせるような事がほんの少しでもあったら危険だから。でも、納得しててもどうにもならない気持ちって、やっぱりあるでしょう?」


ディヴィットは話しを振られ、顔を顰めた。


「あぁ、あるな」


ディヴィットは戦場での事を思い出す。

左足は諦めろ、と医者に言われたあの瞬間。

俺は命が助かるなら、と思いつつ、左足を失う事を恐れた。

死にたくない。

でも左足も失いたくはない、と戦友に泣き付いた。

見兼ねた奴は俺を助けてくれた。

奴がいなかったら、俺は今頃どうしていただろうか?

奴には感謝してもしきれない。


「だから、そういう事なのよ」


クリスの声に、ディヴィットは意識を戻した。


「なるほどな。だったら5着でも10着でも好きなだけ作ってもらえよ」

「そんなに要らないわ。私はお姫様じゃないんだから」


クリスの言葉に、リタの声が蘇る。


『ディヴィット、あたし今まで誰も見た事のないような花嫁衣装を着たいんだよ。お姫様みたいに豪華なドレスをね』


それに対してディヴィットは、金がない、と言った。

鍛冶屋の稼ぎなんてたかが知れている。

多少の蓄えもあるが、それだって雀の涙ほどだ。

そう話した時、リタは言った。


『だったらあたしの為に金貨を稼いできておくれよ。鍛冶屋なんか辞めて兵士になったらいい。戦果をあげればきっとご褒美がもらえる。あんたの腕ならすぐだよ』

―――そう簡単に行くとは思えないがな

『だったら、そうだねぇ………3年待つよ。それだけ時間があれば、大丈夫でだろう?ねぇ?』


リタの目は期待に輝いていた。


―――分かったよ。お前の為に稼いで来よう


ディヴィットはそう言うしかなかった。

リタは嬉しい、と言って、ディヴィットにキスをした。

ディヴィットの考え通り、戦場で戦果をあげるのは簡単ではなかった。

今手元にある金貨も(クリスに見せた革袋だけでなく、実は他に3つある)、単なる慰労金、退職金だ。

それでもディヴィットは満足していた。

ディヴィットの3年分の年収に当たるであろう数の金貨。

これだけの金貨を一度に手にする機会はそうない。

約束の時は過ぎてしまったが、手紙は何度も書いた。


リタからの返事もあった。

今回、やっと帰る事を手紙にしたが、その返事が来る前に戦場を後にした。

リタに早く会いたかったから。

お姫様のような花嫁衣装を用意しておけよ、と手紙に書いた。

きっとリタはそれを着て、俺の帰りを待っている事だろう。


「くしゅっ」


クリスのくしゃみが聞こえた。


「大丈夫か?」


ディヴィットはクリスを見た。

クリスは決まりが悪そうに笑う。


「えぇ。空気が冷たいからかな?」

「かもしれん。そろそろ野宿の場所を探した方が良いかもな」


日はそろそろ傾き始めている。

暗くなってしまう前に見付けた方がいい。


「そうね」


二人は街道から森に入り、乾いた場所を探し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る