第15話


クリスは改めて自己紹介した。

もちろん、服を着て。


「私の名前はクリスティーナ。みんなからクリスって呼ばれてるの。大伯母の所に行かなければならないのは本当で、その理由も本当。婚約を取り消したかったら家まで来いって言われたの」

「でもあんた、剣の腕前はまぁまぁだろ?旅に出る前から稽古してたんじゃないのか?」

「えぇ。この旅が決まったのは、生まれて間もなく。16になったら大伯母を訪ねるようにと言われていたから、いろいろと学んだわ」

「生まれてすぐから許嫁が嫌だったってのか?」

「いいえ。でも顔も知らないのに結婚するなんて、ごめんだ、と思ったの。8つの時よ。それから父に頼んで教えてもらったわ」


嘘だけど。


クリスは心の中で舌を出しながら話す。

ただ、8つの頃は今のように恋なんてしなくていい、と思ってはいなかった。

言われた事を言われたようにやっていただけ。

考え方が変わったのは、“恋”というものがどんな風に人を変えるものなのか分かるようになってから。

決していいことばかりではないと知ってからの事だ。

それでもディヴィットは納得したように頷いた。


「顔も中身も知らない奴を好きになる事は出来ないからな。せめて話しが合うかどうかくらいは確かめないと」

「そうでしょう?」


ディヴィットはまた頷いた。


「その点、俺はリタの全てを知ってる。美人で、情熱的で、男を蕩かす極上の女だ。あんないい女が俺の婚約者だなんて、どう考えても上出来だ」

「………ふ~~ん」


クリスはなぜか、心がささくれ立った気がした。

やな感じ。

私の前で婚約者の事を褒めなくても良いじゃない。

褒めたくなる気持ちは分からなくはないけれど、私だって女なんだから。

このまま放っておいたら、彼女の事を延々話すんだろう。

クリスは立ちあがった。


「朝ごはんを食べに行ってくるわ」

「ぉ?俺も行く」


ディヴィットはクリスの後から部屋を出て、鍵をかけた。

二人は連れ立って食堂に行く。

主人が目ざとく見つけて、クリスが出した銅貨を返す。


「おはようございます、お客さん。昨日の約束です」

「おはよう。ありがとうございます」


クリスは返された銅貨をポケットに入れた。

昨夜はあんなに調子の良かった主人が意外と義理堅いらしい事に、自然と笑みが出た。


「なんでただ飯だ?」

「僕があなたを部屋に引き取ったからです。朝食代は御自分でどうぞ」


クリスはそう言って一人テーブルに向かう。


「そうですよ、お客さん。あちらの御好意で夕食までご馳走になったんですから。朝食分くらいは払って下さい」


後ろで主人がディヴィットに言うのが聞こえた。

ディヴィットのブツブツ言う声も。

クリスは少し胸がすっとして、席に着く。

すぐに向かい側にディヴィットが座った。


「ディヴィット、僕に借りがあるでしょう?」

「なんだ?」

「部屋代です。半分はあなた持ちだったと思いましたが」


ディヴィットは顔を顰めた。


「半分も払う程あの部屋にはいなかった。あんたの所為だ、クリス」

「は?」


ディヴィットはテーブルに身を乗り出した。

クリスも自然、身を乗り出す。


「あんたが裸だったから、俺は廊下で寝た」


囁かれる声に、クリスは顔を赤くした。

ここでそれを言うの?!

ディヴィットは元に戻る。


「だから、俺は昨日の分の部屋代は払わない」

「………分かりました」


何だかとても理不尽な気がする。

部屋を出たのはディヴィットの勝手だろうし、クリスは裸を見られた。

半分どころか、もっと貰ってもいいはずだ。

でも、これ以上この件について話せば、大声で秘密をばらされるかもしれない。


弱みを握られちゃったな。

身から出た錆とはいえ、旅の間中たかられるかも知れない。

とは言え、二部屋も取る余裕はないし。

これから先、どうしたらいいんだろう?


「お待たせしました」


主人が二人分の皿を運んで来た。


「さ、食おうぜ」


クリスは機嫌良さそうにフォークを手にしたディヴィットを見て、小さく息を吐いた。

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