第12話


部屋に行き、荷物を置いて食堂に行く。

カウンターで食事を注文してから、テーブルを探した。

食堂にディヴィットはいなかった。

クリスはほんの少しほっとして、一人で席に着いた。


泥棒だなんて言うのではなかった、という後悔がさっきから胸の中を占めている。

あんなに頑なにならなくても良かったんじゃないの?

床に寝るのなら問題はないんじゃない?

だって『頼むよ』と言った時の目。

あれは捨てられた子犬の目だった。

『拾って』と『お願い』と言っていた。

拾ってあげたかった………

おいでって言ってあげたかった………

その思いが胸の中で渦を巻く。


半日一緒に過しただけで、ディヴィットが悪い人ではない、という事は分かっていた。

聞きもしないのに色々と自分の事を話したからだ。


「俺は生まれも育ちもクロニングだ。年は23。クリストファーは?………いいじゃないか、年くらい教えてくれても。深窓の令嬢でもあるまし………んだよ、無視か。ま、いい。おいおい聞きだすから。で、まぁ、戦争に行くことを決めたのは18の時だ。リタが……あぁ、俺の婚約者の名前。すんごい美人でな。燃えるような赤い髪と明るい鳶色の瞳。勝気で情熱的で大抵の男は虜になってしまう。そんなリタが選んだのがこの俺。まぁ、作戦勝ちってヤツだ。他の男がリタをちやほやするから、俺は徹底して冷たく当たった。それが当たったんだ………何の話をしてたっけ?」


とまぁ、こんな調子で歩いている間中ディヴィットは話し続けた。

クリスはそれを無視している風を装いながら、全部聞いた。

時に質問しようとしそうになるのを抑えなければならない程、時に笑いで表情が崩れそうになるのを我慢しなければならない程、楽しみながら。

だから今もし顔を合わせたら、余計な事を言ってしまいそうだった。


でもディヴィットにディヴィットの事情があるように、クリスにはクリスの事情がある。

胸を締め付ける忌々しい布切れから解放されたい。

それがほんの一時でも良いから、気を張る事なく普段の自分でいたい。

でも誰かと同室になったらそれが出来ない。

男装していても売られそうになった。

女だとばれたらどうなることやら。

考えただけで恐ろしい。


クリスがもう一度ため息を吐くと、目の前に皿が置かれた。


「おまちどうさまです」


顔をあげると宿の主人。

ありがとう、とフォークを手に取ろうとすると、目の前に銅貨が置かれた。


「お客さん、この飯代はいらないから、あれをどうにかしてもらえんですか?」

「あれって?」


主人がクリスの後ろを指した。

クリスは指の先を見て顔を顰める。

そこからは宿の入り口のドアが見えた。

そのドアの傍にディヴィットが剣を抱え込み座りこんでいる。

クリスは食堂の方ばかり気にしていたから、背中側にいるディヴィットに気がつかなかった。


「一体何ですか?」


クリスは主人に聞いた。


「宿賃が半分しかないからあそこで夜を明かすと仰るんで。困るといっても頑として動こうとなさらない。用心棒代わりになるだろう、と。腹も減ってないから食事もいらないと仰るんですが、言う傍から腹の虫が鳴るんで」


「………何て迷惑な………」


クリスはこの先の展開が読めて思わず呟いた。

が、その言葉に主人は我が意を得たかのように、そうなんです、と言って、クリスの向かい側に座る。


「お客さんもそうお思いになるでしょう?ですから私からもお願いです。あの人を部屋に入れてはくれませんか?お客さんだって宿賃が半分になるし……なんなら明日の朝の飯代も奢ります。悪い話じゃないでしょう?」

「悪い。悪夢のような話です。僕はあの人と何の関わりもないのです」


主人は顔の前で手を振った。


「またまた。聞きましたよ。お客さん、あの人に助けられたそうじゃないですか」

「は?」


クリスは目を丸くした。


「山賊に襲われたんでしょう?間一髪の所にあの人が行きあって、腕をふるったそうじゃないですか。山賊はコテンパンにやられて逃げ出したって。その後、この村まで護衛してくれたそうじゃないですか。それを考えたら、一晩くらい相部屋になっても良いと思うんですがねぇ」

「ぃや、それは………」


かなり間違っている。

百歩譲って、大負けに負ければ、あるいは大筋は合っているのかもしれない。

でもクリスはそれに対して一応の礼は言ったし、ディヴィットは勝手に同道してきただけだ。

クリスはそう言おうとした。

だが。


「じゃ、あたしはあの人に伝えてきますね。ぁ、そうだ。この金はあの人の夕食代って事にしときましょう。ぃや、命の恩人の為です。お客さんもそう思うでしょう?」


クリスが話す前に主人はそう言うと席を立ち、同時に、さっき置いた銅貨をまた掴んだ。

主人はクリスがごね出す前に話しを決める方が良いと、これは長年の経験から分かっていた。

なにしろあの男と違って、こっちの客はまだ坊主と言って良い程の子ども。

言い包むのは簡単だ。


「そんな事は……」

「だってお客さん、腹の虫が鳴いている横では良く眠れないですよ」


亭主は、万事心得ています、という顔をして、ウィンクまで残し食堂を出て行った。

クリスは振り向いてその背中を見送っていたが、主人がディヴィットに話し掛けるのを見て、急いで体を元に戻した。

すぐにどたどたと足音が聞こえる。


「クリストファー、ありがとな。飯までおごってくれるなんて、太っ腹じゃないか」


ディヴィットが向かい側に座る。


「あんたは俺を見捨てたりしないって、俺、信じてた」

「………あなたが宿の亭主を脅す様な事をするからです」

「はい、お客さん、お待ちどうさま。ぃやぁ、旅は道連れとは良く言ったものです。連れが良い人だと旅もうんと楽しくなる。そうは思いませんか?」


クリスの呟きは、主人がディヴィットの前に皿を置いた声に消された。


「そうだなぁ。俺は本当にラッキーな男だ。戦争で散々な目に遭ったが、この旅はクリストファーのおかげで快適な旅になりそうだ。もちろん俺も用心棒としてしっかり働くから安心しろよな」


………いつの間にこの男は私の用心棒になったの?

クリスは問いただそうとしたが、その前に主人が声を張り上げる。


「なるほど。それはこちらのお客さんも心強い事でしょうな。なにしろあなたのような剣豪に身を守ってもらえるのだから」

「親父、俺は剣豪ってほどはないぞ。ただまぁ、ちょっとばかし腕に自信はあるけどな」

「またまた御謙遜を。山賊をあっという間にやっつけたそうじゃないですか」


二人はクリスを放っておいて、がはは、わははと笑いながら話しを続ける。

なんだかもう、最悪。

悪夢の中の悪夢って感じだわ。

クリスは冷めてしまった料理を見てため息を吐いた。

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