第6話
翌朝。
起きてみると、外は土砂降りだった。
「お客さん、今日は出ない方が………」
宿の主人は朝食を取りに来た客を引き止めていた。
それでも急ぎの用がある者は旅立って行ったが、クリスは迷った末に残った。
一日でも早く終わらせたい旅ではあったが、急がなければならない旅ではない。
まだ金貨はたくさんあるし、ムリして雨の中を歩いてもいい事はなさそうだった。
出鼻を挫かれた感はあったが、部屋にいる間は胸を押さえつける窮屈な布も外せて、存外、快適だった。
念の為昼食を抜き、朝夕の食事も質素にしてもらう事で金貨を節約する事は怠らなかったが。
食事の度に食堂に行き、一人で食事をとった。
「あんた、スタッフィードまで行くんだってな」
2日目の夕食の席で、向かい側に一人の男が座った。
勝手に。
「………そうですが?」
クリスは目もあげずに返事した。
「ここからだと結構な距離だが、一人で行くのか?」
「………」
クリスは返事せずに、食べる事に集中する振りをした。
ムシすれば目の前の男はいなくなるだろう、と思ったからだ。
にしても、とクリスは別の事を考え始める。
宿屋の主人に目的地を話したのは失敗だったかも。
話す気はなかったのに、尋ねられて、つい口が滑った。
湯を用意してくれたり、シチューを作ってくれたり、と、親切にしてもらった所為だ。
主人はクリスが一人で旅する事を心配した。
まだ若く、男にしては線が細い………まぁ、女だから仕方ない事だけれど………いかにも弱そうなクリスが遠くまで旅するのはいかがなものか、と、主人は言うのだ。
昨日の朝も、夜も。
そして今朝もだ。
「お客さん、スタッフィードまでなんてムリですよ。時期が悪すぎる。そりゃ春の日ならば、あんたのような人でも行けるでしょうがね。こう言っちゃなんだが、これから冬に向けて腹を満たす為に熊やら狼やらが森から出て来る。山賊がいる森もある。あんただけじゃ殺されに行くようなもんだ」
家に帰った方が良い、と言う主人に悪気はなさそうで、だからクリスは憤るよりも苦笑した。
「ご心配はありがたいのですが、前も話した通りスタッフィードにいる大伯母が勝手に僕の嫁を決めてしまったんです。それを撤回しに行かねばなりません」
彼の気を悪くさせるつもりはなかったから出来るだけ丁寧な口調で、クリスは旅に出る前に父が考えてくれた嘘を話した。
呪いを解く為だ、なんて真実を話せば、魔女狩りに遭ってしまう。
「でもねぇ………」
「大丈夫です。僕、剣には自信があります。持ち歩いてはいませんが、弓矢の腕もまぁまぁなんですよ。ウサギ狩りを良くしていました」
「へぇ、ウサギ狩りを………」
主人は少し驚いたようにクリスの腕を見た。
その細い腕で弓を引けるのか?とでも言いたげだ。
クリスは少し得意げになって、もう少し話した。
「狙った獲物は逃さない、というところです。父には目が良いと言われました」
もちろんカラクリはあって。
前もって弓と矢に魔法をかけておくのだけれど。
剣にも同じ事が言えた。
クリスの持つ剣は軽い。
魔法で軽くしてある。
但し。
それはクリスが持つ場合にのみ。
他の人が持てばそれは元の重さを取り戻す。
こうしておけばクリスは剣を持ち歩けるし、他人が不審に思う事もない。
一石二鳥だ。
「御亭主のお気持ちはありがたい。ですが、僕は行かねばならないのです。どうしても」
主人はクリスの言葉になんとなく説得されたようで、それでも口の中では何かを言いながら離れて行った。
この男は私達の話を聞いていたのかもしれない。
クリスは考えた。
それとも、もしかしたら主人から聞いたのかも。
やっぱり納得していなかった主人がこの男に途中まで一緒に行ってくれ、とか何とか言ったのかもしれない。
果たして。
「俺はクロニングまで。ロッシまでは同じ道だと思わないか?」
男はクリスの想像を裏付けるような事を言う。
クリスは何と言って断ろうか、と頭を捻る。
だが断りを入れる前に男は続けた。
「一緒に行けばそれだけ危険からも身を守れるだろ?一人より二人の方がいいって」
クリスは無視し続ける事にした。
黙ったまま皿をきれいにする。
ゴブレットの水も飲みほして、席を立つ。
「ぉい、俺の話聞いてなかったのか?」
男が声をかけて来る。
クリスは初めて男に目を遣った。
年はクリスより5つ6つ上のように見える。
クリスが腰まである髪を後ろで一つに束ねているように、彼も胸まである黒髪を束ねている。
グレーの瞳と表情が、不満そうだ。
「聞いていました。でも、僕に道連れは必要ありません」
クリスはそれだけ言ってテーブルを離れた。
後ろで、がたがたと椅子を動かす音がする。
「ちょ、待てって」
クリスは後ろから腕を掴まれた。
「まだ何か用があると?」
クリスは振り返って男を見上げた。
背が高い。
クリスだって女にしては背が高い方で、だからこそ男に間違われもするのだが、この男は更に高い。
がっちりしていて、力強く掴まれた腕はちょっとの事では放されそうにない。
男は黙って食堂にちらっと目を走らせると、クリスの腕を掴んだままそこを出た。
「痛いんですが」
「黙って歩け。悪いようにはしない」
いくら鍛えているとはいっても、クリスは女だ。
力では敵わない。
クリスはついて行くしかなかった。
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