第7話
そのまま廊下を歩き、男の部屋だと思われる部屋に入る。
男は部屋に入ると、クリスを解放した。
「一体何だというんです?僕と道連れになれないと何か困った事があるというのですか?もしかして金が欲しいとでも?」
クリスは腕を組み、怒っているふりをしながら、上着の下に隠し持っている杖に触れた。
男の目的は分からないが、いざとなったら魔法を使うしかない。
剣を部屋に置いてきたのは間違いだった、と思う。
でもこんな事になるなんて、誰も想像できなかったはずよ、クリス。
クリスは落ち着く為に自分に言い聞かせる。
大丈夫。
魔法を使って後の事は、ゆっくり考えればいい。
このピンチを上手く切り抜ける方が先決なんだから。
男は肩を竦めると、こう言った。
「あのな、あんた、自分が狙われてるって知ってるか?」
「は?」
クリスは男の言葉が理解できなかった。
私を狙う?
誰が?
なんで?
まさか魔法使いだとばれたの?
まだ魔法は使っていないのに?
クリスは、あり得ない、と考え、と同時に杖から手を離した。
男の様子から、今すぐ自分に害を及ぼそうとは考えていない、と判断したから。
「やっぱり知らなかったか………」
男はクリスに椅子を勧めると、自分はベッドに座ってから口を開いた。
「食堂にいる男どもが、あんたを売ろうって話ししてんのを聞いちまったんだ」
「売るって………僕をですか?豚のように?」
クリスは目を丸くした。
だが、男は頷いた。
「あんた、男の割にきれいな顔してるからな。線は細いし、声変りもしていないらしい。まるで女みたいだ。だから売れる」
「僕を………娼館にでも?」
女だとばれた?
「いいや。男娼館に、だ。知らないのか?男の中には男しか抱けない奴もいるって事」
クリスは頷いた。
「初めて聞きました」
男は顔を顰めた。
「だろうな。世間知らずを絵に描いたような風だから。まぁ、それでなくちゃ高くも売れない訳だが……」
クリスは男の知ったような口ぶりに不審を覚えた。
世間知らずはそうだろう。
なにしろクリスは毎日を勉強に費やした。
持たぬ者達の常識も教えてもらってはいたが、所詮父親の知識の範囲だ。
父が知らない事は教えてもらえない。
それにしても。
「僕に比べてあなたは随分と世間ずれしていらっしゃるようだ。だからと言って、それがあなたが僕に真実を言っているという保証にはならないと思いますが。僕を騙し男娼館に売ろうとすると考えているのは、あなたではないのですか?」
男はニヤッと笑うと、立ちあがった。
ベッドサイドのテーブルに置いてあった革袋を掴むと、そのままクリスの傍に来る。
「頭は悪くないようだな。でも俺は金に困ってないんだよ」
ほら、と、男は革袋の口を開けて、中身を見せた。
中には金貨がぎっちりと入っていた。
「俺は兵隊だ。3ヶ月前まで戦場にいた。ちょっと怪我しちまって退役する事になったんだ。これは退職金」
男は革袋の口を縛るとベッドに戻り、今度はズボンの左裾をまくって見せた。
ふくらはぎに大きな傷がある。
傷はぎざぎざで、随分と縫い物が下手な人間が縫ったようだ、とクリスは眉根を寄せた。
少しえぐれてもいる。
もしかしたら、一度化膿したのかもしれない。
「敵にやられた。でも一緒にいた友達が医者よりも医療の心得のある奴で、左足を切らずに済んだ。本当は走る事も出来るんだが、もう戦争はこりごりでな。それで足を引き摺るふりをして退役した」
「………そうですか」
クリスは返答に困って、聞いていた事だけを示した。
父親は戦争の事など教えてくれなかった。
だから男が誰と戦争し、誰に怪我させられたのかも分からない。
だが男はクリスの戸惑いを、キズを見たショックだと勘違いした。
「そんなに嫌そうな顔すんなよ。名誉の負傷だ。まぁ、見た目がグロイのは、認めるがな」
「あぁ、いえ、そう言う事ではないのですが………大変でしたね」
男はズボンの裾を戻しながら頭を振った。
「大変でなかったとは言わないが、これで結婚資金を貰えたんだ。文句は言うまいよ」
「結婚資金?」
「あぁ。故郷に……クロニングに婚約者がいるんだ。3年で帰るって約束が5年になっちまったけど、まぁ、これを稼ぐ為だったと言えば許してくれるだろうさ」
横に置いた革袋に目を落とし、軽く叩く。
ほんの少し口元に笑みがある。
その婚約者とやらを思い出しているんだろう。
リンダが好きな人の事を話している時も、たまにこうして黙ってしまう事があった。
不思議に思って聞けば、好きな人を思い出しているのだ、とリンダは教えてくれた。
クリスは、男を信用しても良いかもしれない、と思った。
ほんの少し。
小指の先だけではあるが。
「………で、まぁ、話を戻すが………俺はあんたを売る気はない。ただ、奴らの話を聞いちまった以上、放っておく事も出来なくてな。その辺は俺の、その、気持ちの問題なんだが……別に一緒に歩かなくても良いんだ。最初は少し離れて付いていけばいいと思ってたし。ただそれだと、俺が不審者に思われちまうだろ?」
「ですね。僕、確実にあなたを撒く努力をします」
男は頷いた。
「だろ?だから話した方が良いと判断した訳だ」
「お話は理解しました」
「じゃ、一緒に行くか?」
「考えてみます。今夜一晩」
クリスの返事に男は一瞬、顔を顰めた。
が、すぐに、しょうがねぇ、と呟く。
「出会ってすぐの人間に心開く程お人よしでもないか。ぃや、その方が本来正しいのかもしれん」
男は立ちあがってクリスの前に右手を差し出した。
「俺はディヴィット。明日の朝、返事を楽しみにしてる」
「クリストファーです。では、おやすみなさい、ディヴィット。御親切、ありがとうございます」
クリスはディヴィットと握手をすると、部屋を出た。
自分の部屋に戻りながら、また一つ嘘を吐いたと思う。
誰が“クリストファー”?
私は“クリスティーナ”なのに。
クリスは部屋に入ると小さく息を吐いてから、翌朝の為に早くベッドに入った。
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