1万円札にはなぜ『1万円』の価値があるのか
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1万円札にはなぜ『1万円』の価値があるのか
[1] 1万円札は日本銀行の借用書
令和6年7月3日に新しいお
例えば、1万円札なら新たに『渋沢栄一の1万円札』が発行されていくワケです。
(※旧札も引き続き使えるのでサギには注意しましょう。なんなら聖徳太子の1万円札もまだ使えるので)
しかし……
そもそも、この1万円札にはなぜ1万円の価値があるのでしょうか?
だって『1万円札』ってただの紙でしょう。
さらに言えば、別に1万円札を政府へ持っていっても金(ゴールド)などの金属と交換してはくれないのだそうな。
なのに我々は1万円札があれば世の中で1万円ぶんのお買い物ができたりする。
子供の頃はこれが不思議でたまらなくって、夜しか眠れなかったものです。
……そんなある日。
中学校の社会の先生がこんなことを言っているのを聞きました。
「1万円札というのは『日本銀行の借用書』なんだ」
と。
なるほど! 他人の借用書なら、自分にとってそれは財産になる。
お札に価値があるのは『借用書』だからなのか……
と一瞬はわかった気になったのですが、でも、よくよく考えるとまた意味わからんくなります。
だって、そもそも「1万円札が日本銀行の借用書」ならばそれによって一体何を借りてるの?って感じでしょう。
まさか1万円札で1万円札を借りてるワケないし、仮にそうだったとしたら先にあった1万円札はどうして存在するのか説明しなきゃいけないから永遠に謎が解明されない。
ようするに意味わからんじゃないですか。
……で、あれから20年。
大人になった私ならば説明ができると思うので、ちょっとやってみます。
[2] 原始的なおカネ
なぜ1万円に1万円の価値があるのかを知るためには、まず「おカネがどう生まれるものなのか?」を知る必要があります。
そう。
たとえば、工場で1万円札が刷られた時に1万円が生み出されている……ワケじゃないのです。
山掘っても1万円札は出て来ませんし。
一体、おカネというものはどのように生み出されているのか。
そこで、まず想像してもらいたいのですが……
もし地球上に人類が存在していなかったとしたらおカネは存在するでしょうか?
当然ですが存在しません。
金や銀やダイヤモンドという物質は存在しても、おカネは存在しない。
じゃあ、世界に人類は存在したとしましょう。
ただしこの人類はまだ数十人から数百人の部族のみで、狩猟採集といった原初的な暮らしを送っていたとする。
ここでおカネは存在しますでしょうか?
答えを言えば、これは存在するのです。
もちろん日本円のような複雑で洗練されたおカネは存在しません。
しかし、『おカネというシステム』はどんなに原初的な部族社会でも存在する。
そのおカネというシステムとは何かと言うと……すなわち『貸し』と『借り』の記憶(あるいは記録)のことです。
わかりやすく例えてみましょう。
ここにAさんという海の民と、Bさんという山の民がいたとします。
ある日、Aさんは海で採った魚を一匹持っていって、山のBさんにあげました。
この時。
Bさんには『Aさんから魚を一匹もらった』という”借り感”ができます。
Aさんには『Bさんから魚を一匹あげた』という”貸し感”ができる。
もう少しわかりやすく言い換えましょう。
Bさんは魚を一匹もらっているワケですから「この借りはいつか返さなければならねえな」と思う。
対して、Aさんは魚を一匹あげているので「Bさんは『この借りはいつか返さなければならねえな』と思っているだろう」と見込む。
そう。
この、Aさんが「Bさんは『この借りはいつか返さなければならねえ』と思っているだろう」と見込んでいる状態が、おカネなのです。
言い換えると、
『借りを返してもらえるという見込み』=『おカネ』
というワケです。
整理すると以下。
――――――――――――――――
【Aさん】
・魚一匹失う
・『Bさんへ魚を一匹あげたのでこの借りを返してもらえるだろう』という貸し感
【Bさん】
・魚一匹もらう
・『Aさんから魚を一匹もらった』という借り感
――――――――――――――――
さて……ここで季節は廻ります。
あたたかくなり、山の幸が実るようになりました。
そこでBさんは山で栗を取り、そのうち3つを海のAさんへ持っていってあげました。
この時、魚一匹と栗三つは同じくらいの価値だという共通認識があったとする。
するとBさんからすれば「借りは返したぜ」の状態になりますね。
逆に、Aさんはもう「借りを返してもらえる」と見込むことはできません。
借りは返してもらったんですから。
――――――――――――――――
【Aさん】
・魚一匹失う
・栗を三つもらう
・『Bさんへ魚を一匹あげたからこの借りを返してもらえるだろう』という貸し感
↑↓相殺
・『Bさんから栗を三つもらった』という借り感
【Bさん】
・魚一匹もらう
・栗を三つ失う
・『Aさんから魚を一匹もらった』という借り感
↑↓相殺
・『Aさんへ栗を三つあげたからこの借りを返してもらえるだろう』という貸し感
――――――――――――――――
このように互いの「貸し感と借り感」×2が相殺され、『Bさんへ魚を一匹あげたからこの借りを返してもらえるだろう』という財産も消える。
つまり、おカネが消えたことになります。
このように、なんと『おカネ』とは生まれたり、消えたりするものなのです。
何故ならおカネとは物質ではなく人間関係の状態だからです。
まとめると、
『おカネは二者間で貸し借り関係が生じると産まれ、借りが返されると消滅する』
ということになります。
◇
さらに、上の例ではAさんとBさんは貸し借りを『記憶』していましたが、別にこれを『記録』してもよいですね。
ようするに、Aさんなら「Bのヤツから魚一匹ぶんの借りを返してもらえる見込み」とメモっておく。
Bさんなら「Aのヤツに魚一匹ぶんの借りを返さなきゃいけない」とメモっておく。
このメモが帳簿というものです。
あるいは、メモとは別に証明として借用書を書いてもいい。
たとえばBさんが魚をもらったとき、それと引き換えに、
《私Bは、魚一匹ぶんの借りを返します。マジで!》
と書いた木板をAに渡しておくとか。
こうした借用書の方がピンと来るかもしれませんね。
AさんがBさんへ魚一匹をあげて借用書を書いた場合、整理するとこう。
――――――――――――――――
【Aさん】
・魚一匹失う
・《私Bは、魚一匹ぶんの借りを返します。マジで!》という借用書を得る
【Bさん】
・魚一匹もらう
・自分の書いた借用書ぶんの借りを返す義務
――――――――――――――――
また、このような『貸し』というのは、【譲渡】できることがある。
一番わかりやすい借用書で例えてみましょう。
Aさんは魚を一匹あげたので《私Bは、魚一匹ぶんの借りを返します。マジで!》という借用書を持っています。
そこに素潜りの上手な海女のCさんがやってきて、Aさんに貝を二つくれました。
ならばAさんにはCさんに対して貝二つぶんの借りができる……
……はずでしたが、ここでAさんはあの
――――――――――――――――
【Cさん】
・貝二つを失う
・《私Bは、魚一匹ぶんの借りを返します。マジで!》という借用書を得る
【Aさん】
・貝二つを得る
・《私Bは、魚一匹ぶんの借りを返します。マジで!》という借用書を失う
――――――――――――――――
これでAさんとCさんの貸し借りは
また、借用書の持ち主がCさんに代わったので、Bさんが借りを返すべき相手はAさんからCさんに変わる。
このように、『借りを返してもらう権利』を譲り渡すことで支払いをする……ということが、人間の社会にはあり得ます。
だいぶ我々がイメージするおカネに近づいてきたでしょう?
なにせ、1万円札は日銀の借用書らしいのです。
我々はその借用書を【譲渡】して、いろいろな買い物をしたりしているのですから。
[3] 『円』のうまれ方
さて、これまでは広い意味でのおカネがどのように生まれるかを考えてきましたが、これからいよいよ『現金』の生れ方を見ていきましょう。
広い意味でのおカネ(=金融)というならば、『売掛金』『手形』やその他債権などもおカネの一種です。
しかしそれらは上位の存在……つまり現金に”決済”されることを見込んでいます。
じゃあ、その上位存在である『現金』というのは具体的に何かというとこちら。
1、紙幣(千円札~1万円札)
2、硬貨(1円玉~500円玉)
3、銀行預金
4、通貨代用証券(小切手とか即日で”3”以上にできるもの)
この四つが【現金】になります。
さて、みなさんはこの四種類の現金のうち、どれが世の中で最も多く存在する現金だと思いますか?
そもそも、おカネというのはたとえ1~4の現金であっても『貸し借り関係』なのですべて増えたり減ったりするものです。
なので、この世の中にどれだけの現金が存在するのかを計るには、「はい、今!」という一瞬において、「現金と換算でききる人間関係がどれだけ存在しているか」を数えることになるのです。
で、1~4のうち、どれがもっとも多量に生まれていることが多い現金でしょうか?
それは『3、銀行預金』なのです。
というか、現金のうち90%以上は銀行預金。
紙幣や硬貨(1円玉~1万円札)は、10%弱にすぎません。
これは不思議に思いませんか?
と言うのも、一般的、通俗的に信じられている銀行イメージというのは
――銀行は、我々一般預金者の1万円札をめっちゃ多く預かっているが全部をいっぺんに下されることはないので、預かっている何割かの1万円札をアタッシュケースに詰めて企業に貸し出している――
というものでしょう。
でも、本当にそうならば多数なのは紙幣や硬貨でその一部が銀行預金という割合のはず。
つまり、世の中の大人の大多数がしているこの通俗的な銀行イメージというのはまったくの間違いということになります。
そう。
1万円札は1万円札。
銀行預金は銀行預金。
まったく別のおカネなのですから……
というワケで。
次は『銀行預金』という90%以上を占める【現金】がどのようにして生み出されるのかを説明していきます。
◇
さて、突然ですが。
……まず、ここにおカネが1円たりとて存在しない世界があったとしましょう。
そんな世界にX社とY銀行という者がおったそうな。
ある日。
X社は「やばー、マジで1円もないから会社やってけんワー」と悲鳴をあげていました。
「なあ、Y銀行よ。ちょっと1億円ばかり貸してくんねーか?」
「えー、いいよー」
Y銀行は快く承諾してくれました。
X社はよろこび、さっそく《X社の借用書1億》を書いてY銀行へ渡します。
でも、この世界には1円もおカネが存在しなかったのでしたね。
仕方がないので、なんとY銀行も{Y銀行の借用書1億}を書いてそれを貸すことにします。
つまり……
X社とY銀行で互いに1億の借用書を書き、交換したのです!
整理するとこう。
――――――――――――――――
【X社】
財産 {Y銀行の借用書1億}
借金 自分の借用書1億を返す義務
【Y銀行】
財産 《X社の借用書1億》
借金 自分の借用書1億を返す義務
――――――――――――――――
元々この世界にはおカネが1円たりとて存在していませんでしたが、これで1億円の債権が二つ産まれました。
借用書の交換によって0から2つの債権を産む。
これが銀行が『預金』を産んでいるメカニズムなのです。
だから、この世界にはすでに1億円の預金という【現金】が”創造”されたことになったのでした……
……と、言ってもまだピンと来ないかもしれません。
もう少しわかりやすくするために、X社にはドーンともう1億借金してもらいましょう。
X社はまた《X社の借用書1億》を書いて、Y銀行へ渡しました。
一方。
Y銀行はちょっと違くて、先に渡していた{Y銀行の借用書1億}に「+1億」と追記だけしました。
これで互いに総額2億の借用書を交換したことになるのですが……
――――――――――――――――
【X社】
財産 {Y銀行の借用書1億+1億}
借金 自分の借用書2億を返す義務
【Y銀行】
財産 《X社の借用書1億》と《X社の借用書1億》
借金 自分の借用書2億を返す義務
――――――――――――――――
で、このX社が持っている{Y銀行の借用書1億+1億}が、実は【預金通帳】だったと考えるとわかりやすい。
みなさんも銀行の預金通帳はお持ちでしょう?
あれを銀行の借用書だと思うとわかりやすいのです。
冊子状の借用書に+-をどんどん追記しているのだというふうに。
そう考えると、『預金通帳の残高』=『銀行側の借金額』だとピンときませんか。
だったら『預金通帳の残高』を生み出すのに必ずしも1万円札は必要ないでしょう?
銀行が預金通帳に+を追記するのは、銀行が借用書を書いているのと同じだからです。
その証拠に、X社とY銀行の例のごとく1枚も1万円札が存在しない世界であっても、預金通帳の額は2億になり得た。
そう。
これで預金についてのイメージ、
――銀行は、我々一般預金者の1万円札をめっちゃ多く預かっているが全部をいっぺんに下されることはないので、預かっている何割かの1万円札をアタッシュケースに詰めて企業に貸し出している――
という通俗的な銀行イメージがまるで間違っていたことがお分かりでしょう。
まずY銀行がX社に貸しているのは『預金(=Y銀行の借金)』であって、1万円札ではない。
そして、『預金(=Y銀行の借金)』を生み出しているのは『X社の借金』であって、これも預金者から預けられた1万円札ではありませんね。
これはよく考えれば当たり前ですよ。
だって、もし預金が『預金者から預けられる1万円札によって生まれる』のなら、そもそもどうして世の中に1万円札が出回っているのか説明がつきません。
1万円札は山掘っても出てきませんし、モンスターを倒すと1万円札を落としてくれるなんてシステムもないのですから。
もう一度言いますが、『銀行預金』=『銀行側の借金』。
相手の借用書さえあれば、銀行が銀行の借金額(=預金)をプラスするのに1万円札など必要ないのです。
◇
さて、銀行預金が”借用書の交換”によって産みだされていることはおわかりいただけたと思います。
世の事業者たちは『銀行の借金』を借りるために借金をしているのですね。
しかし、ここでひとつ疑問が浮かぶはずです。
そう。
なぜ、ただの銀行の借金にすぎない『銀行預金』なんてもんが【現金】として扱われているのでしょう?
しかも、世の中の現金の90%以上は銀行預金なのです。
そんなほとんどの現金が単なる銀行の借金だと考えると、そら恐ろしい感じがするかもしれませんね。
ただ、それほど心配することはありません。
これを説明するために、またあの1万円札が1枚も存在していない世界に戻ってみましょう。
Y銀行は困っていました。
先ほど彼は、X社に対して{銀行の借用書1億+1億}を渡していましたね。
X社はほとんどの支払いを預金の振り込みや小切手などで行うはずなのですが、「10枚だけ1万円札と代えてくれ」と言い出します。
結論が先になりますが、そもそも銀行の借金である『銀行預金』が現金として扱われるのは、「預金通帳の額のマイナスと引き換えに
だから2億の預金残高(Y銀行の借金)のうち、たとえ10万円だけであっても「1万円×10枚にしてくれ」と言われればそうしてやらなければならない。
でも、この世界に1万円札は1枚もないのですよ!
Y銀行が困っているのもムリはないでしょう?
が……
そこで『Z』という第三の男があらわれます。
Zは「銀行に対して銀行をやる特別な銀行」つまり……中央銀行でした。
中央銀行というのは日本で言えば日本銀行です。
もちろん、たとえ中央銀行がいてもこの世界に1枚も1万円札が無いことには変わりありません。
Z中央銀行は1万円を刷る機械は持っていますが、何の意味もなく誰かへ1万円札をあげるワケにはいかないのですからね。
だから1万円札を刷る印刷技術があったとしても、まだこの世界に1万円札は存在しないのです。
そこで。
Y銀行はZ中央銀行に対して、先ほどのような『借用書の交換』をお願いしました。
Y銀行は1千万円の借用書を書き、Z中央銀行へ渡します。
Z中央銀行も1千万円の借用書を書き、Y銀行へ渡す。
――――――――――――――――
【Y銀行】
財産 {Z中央銀行の借用書1千万}
借金 自分の借用書1千万を返す義務
【Z中央銀行】
財産 《Y銀行の借用書1千万》
借金 自分の借用書1千万を返す義務
――――――――――――――――
こうして、借用書の交換によってまたゼロから1千万円の債権が2つ生れました。
Z中央銀行は、Y銀行にとっての銀行です。
Y銀行の持っている{Z中央銀行の借用書1千万}は、銀行が持っている特別な預金通帳だと考えてください。
で……
Y銀行はこの特別な預金通帳の額を100万マイナスすることと引き換えに、小分けした借用書の【Z銀行の借用書1万円】×100枚にしてもらう。
すると、互いの借用書はこうなります。
――――――――――――――――
【Y銀行】
財産 {Z中央銀行の借用書1千万-100万}と【Z中央銀行の借用書1万】×100枚
借金 自分の借用書1千万を返す義務
【Z中央銀行】
財産 《Y銀行の借用書1千万》
借金 自分の借用書1千万を返す義務
――――――――――――――――
お気づきの方もいるでしょう。
そうです!
この【Z中央銀行の借用書1万】が『1万円札』なのです!!!
最初に言った「1万円札が日銀の借用書だ」というのはこういうこと。
つまり1万円札とは、『中央銀行』が『フツーの銀行』に対して出す1万円ずつに分離された借用書なのです。
そして今、Y銀行は上記のようにZ中央銀行に対する特別な預金通帳{Z中央銀行の借用書1千万-100万}と【Z中央銀行の借用書1万】×100枚を持っている。
これでY銀行は地元に帰りました。
たしかX社は「10枚だけ1万円札にしてくれ」と言っていたので、Y銀行はX社の持っている預金通帳に{Y銀行の借用書1億+1億-10万}と追記するのと引き換えに手持ちの【Z中央銀行の借用書1万(=1万円札)】×10を渡してやる。
これは、Aさん、Bさん、Cさんの例でやっていた債権の譲渡ですね。
1万円札は『中央銀行』の『フツーの銀行』に対する借用書なのですが、企業や個人はそのフツーの銀行に対する借用書(=預金通帳)を持っているので、【Z中央銀行の借用書1万(=1万円札)】という中央銀行の債権を譲渡してもらうことができる……ので、世の中に1万円札が存在するのです。
こうしてあの1枚も1万円札が無かった世界に10枚の1万円札が出回ることとなったのでした!!!
さて、これは世の中でなんとなくされるおカネのイメージとはかけ離れているかもしれません。
世間の大人の99.99%は、「山で掘ってきたか、モンスターが落としたか、なんでかは知らないけどとにかくまず世界に1万円がいっぱいあって、その取り合いの結果余分に取ったぶんを我々が銀行に預けている」みたいなイメージを前提に暮らしています。
でも、逆なのです。
まず政府や事業者が銀行に借金をする……それによって『預金(=銀行の借金)』が創造され、その一部が1万円札と交換されているのでした。
つまり、すべての現金は「政府や事業者が銀行に借金すること」によって生じているのです。
逆に言えば、この世のすべての借金が返されるとすべての現金は消える。
例えば、X社が「やっぱおカネなんぞ1円もなくても会社はやっていける!」と思い、Y銀行への2億の借金を{Y銀行の借用書1億+1億-10万}と【Z中央銀行の借用書1万(=1万円札)】×10でそのまま返してしまったら、この世界の預金と紙幣はまた0にと戻りますでしょう。
もちろん、借金というのは返済されるものですが、現実ではその間によそで別の借金が生じていますから、世の中全体の借金の総量が確保され、現金の総量も確保されるというワケ。
これはすなわち、政府や事業者たちが銀行にする借金が増えればそれだけ世の中の現金(預金や紙幣)が増え、返済されるぶんがより多ければ世の中の現金(預金や紙幣)が減っていくことを意味します。
そう、「世の中の現金の総量が増えたり減ったりする」というのはこういうことなのです。
[4] なぜ1万円札に価値があるのか?
1万円札が1枚もない世界から1万円を世に出してみることで、1万円がどのように生まれ、1万円札がどう世に出て来るのかがわかったかと思います。
しかし、ここでもまた疑問が浮かぶはずです。
なるほど、銀行預金がX社とY銀行の借用書の交換の原理で生み出されるのはわかる。
単なるY銀行の借用書である『銀行預金』が現金あつかいなのは「
でも、そのZ中央銀行の借用書にすぎない1万円札になぜそんな価値があるのでしょうか?
これが最期のテーマになります。
ところで。
この『元は1万円札が1枚もなかった世界』には王様がおりました。
王様はそれまで米で年貢を取って国を統治してきたのですが、ある日こんなことを言い出します。
「今年から年貢の米は1
これには城の大臣たちもびっくりです。
「なんですって!!」
「年貢を一粒も取らずにどう国を統治していくおつもりですか!」
「どうかお考え直しください!!」
悲鳴をあげる家来ども。
「ククク、案ずるでない」
が、王はゆっくりとヒゲをなでながら言いました。
「年貢の米は1粒も取らない……が、代わりにこれからの年貢はワシの弟がやっておる【Z中央銀行の借用書】で徴収することとするのだ!」
「「「な……なるほどー!!!」」」
というので、【Z中央銀行の借用書(1万円札)】に価値があるのでした。
なにしろ。
この世界では年貢を米で払うこともできなければ、金(ゴールド)や布で払うこともできず、【Z中央銀行の借用書(1万円札)】でしか払えないようになったのです。(ただし、また例によって1万円札と即日で交換できる銀行預金も、税の支払い手段として認められる)
円でなかったら年貢を払ったことにならないのだから、どうしても円を持っていなければ済まなくなる。
なるほど。
それはたしかに1万円札に価値は出そうですが、しかし、なぜ王様は年貢を米で取るのをヤメてこんなことをしなければならなかったのでしょう?
だって、これから年貢を『円』で取るとなると、すぐにひとつの問題に突き当たりそうですから。
王様は、
――年貢の米は1粒も取らない……が、代わりにこれからの年貢はワシの弟がやっておる【Z中央銀行の借用書】で徴収することとするのだ!――
とおっしゃいましたね。
しかし、今は7月です。
年貢を『円』で取るには、国民に12月までの帳簿を来年2月に申告させて、そこに税率をかけた分を納めてもらう必要がある。
つまり、今から1年近くは税収0円でやっていかなければならないってワケ。
これは大変なことのように思われます。
だって、国家の統治というのはメチャいろいろあるじゃないですか。
軍隊、警察、消防、電力、エネルギー、医療、道路、公園、図書館、博物館、鉄道、河川や港湾、山などの整備事業、老人や障害者に対する保障、郵便、教育、研究開発、外交、産業政策、それら膨大な国家経営を回していく幾万もの職員の確保……
商人の自由に任せても決して上手くいかない、国家権力が行うべき”統治の領域”がざっと考えただけでもこれだけある。
それを税収0円で1年やっていかなければならないのです!
……が、実を言うとまったく問題はありません。
なぜなら、別に政府は税金で集めた1万円札を使うワケじゃないからです。
仮に今年の税収が1万円札0枚だったとしても、政府は今日その日から国民の生産するものならなんでも買うことができる。
だって、こーゆう融通がきくからこそ、王様は年貢を米粒でなく【Z中央銀行の借用書】で徴収することにしたのですから。
◇
別に政府は税金で集めた1万円札を使うワケじゃない。
仮に今年の税収が1万円札0枚だったとしても、政府は今日その日から国民の生産するものならなんでも買うことができる。
……ってどういうコト? というのを説明していきます。
まず現在、城には1万円が一枚もありません。
ですが、ある山に土砂崩れが起こり、これを整備し直さなければならなくなった。
そのための土木業者は地元にありH社としましょう。
でも、仮にただ自由市場の中で崩れた山を整備したとしても、H社には何一つ商売になりません。
H社にも地元愛というのはないワケではないのだけれど、彼らにも生活というものがあるのですからボランティアで一つの山を整備するなんて無茶です。
溺れる人を助けようとして自分も溺れる状態になってしまうでしょう。
だから、王様はH社に言います。
「
でも、城には1枚も1万円札がないのでしたね。
王様はウソをついたのでしょうか?
いいえ、そうではありません。
ここで登場するのが『小切手』です。
小切手と言うとピンと来ないかもしれませんが、実はこれも借用書の一種。
ただし、「
ピンと来ないと思うので実際にやってみましょう。
ハーハー……ぽん!
王様は小切手用の紙に『1億円』と書き、ハンコを押して、H社へ渡しました。
H社は「ありがたき幸せ」と言って《王の小切手1億》を受け取り、ハリキッて崩れた山の整備を始めます。
――――――――――――――――
【H社】
財産 《王の小切手1億》
売上 1億円ぶんの働き
【王様】
費用 1億円ぶん働いてもらう
借金 自分の書いた小切手1億を返す義務
――――――――――――――――
さて、《王の小切手1億》をもらったH社はこれをどうするか。
そりゃ王の小切手だからこのまま持っていてもいいのですが、いかんせん一枚で1億ですから使うとなる時に不便で仕方ありません。
そこでH社は小切手を持ってかのY銀行へと向かいました。
「すいませーん、王の小切手なんスけど……」
H社が《王の小切手1億》をY銀行へ渡すと、Y銀行はニッコリして{Y銀行の借用書1億}(=預金)と交換してくれました。
――――――――――――――――
【H社】
財産 {Y銀行の借用書1億}(=預金)
減少 《王の借用書1億》失う
【Y銀行】
財産 《王の小切手1億》得る
借金 自分の借用書1億を返す義務
――――――――――――――――
H社はこれで自分の預金通帳に1億が加算されたのですから、これで十分です。
1億で重機を買ってもいいし、従業員の給料に充ててもいい。
対して、Y銀行からすれば「H社の持っている預金通帳に1億が加算されること」は借金が増えることでしょう。
その借金分、得ているものが無くてはならないワケですが、それが《王の小切手1億》という財産ですね。
では、Y銀行はこの《王の小切手1億》をどうするか。
Y銀行はコレを持ってZ中央銀行へ行きます。
そして、H社がY銀行にやったことと同じように、Y銀行はZ中央銀行へ《王の小切手1億》を渡す。
その代わり、Y銀行はZ中央銀行に対して持っている借用書(=特別な預金通帳)に1億加算してもらえるのです。
先ほどのものと合わせると、こう。
――――――――――――――――
【Y銀行】
財産 {Z中央銀行の借用書1千万-100万+1億(←New!)}と【Z中央銀行の借用書1万】×90枚
借金 自分の借用書1千万を返す義務
【Z中央銀行】
財産 《Y銀行の借用書1千万》《王の小切手1億》(←New!)
借金 自分の借用書1千万を返す義務
――――――――――――――――
こうして
王様とZ中央銀行の関係はとてもシンプル。
――――――――――――――――
【Z中央銀行】
財産 《王の小切手1億》
借金
【王様】
財産
借金 自分の書いた小切手1億を返す義務
――――――――――――――――
こうなれば、すでにこの《王の小切手1億》は消滅したと考えてよいでしょう。
だって、Z中央銀行は王様の弟なのです。
これを『王家』という一つの帳簿に連結すればこうなります。
――――――――――――――――
【王家】
財産 《王の小切手1億》
借金 自分の書いた小切手1億を返す義務
――――――――――――――――
要するに、王家の書いた借用書が、王家に戻ってくるというワケ。
言い換えると「自分が書いた借用書を、自分が持っている状態」なので、この借用書がいくらZ中央銀行に積まれていてもまったく問題ありません。
(※ちなみに、もし、小切手という帳簿上の論理を満足させたいのなら、王様とZ中央銀行で借用書の交換をして預金を創り出し、その預金で小切手を決済すればいい。つまり、王様が国債という別の借用書を書き、Z中央銀行が預金という借用書を書いて、預金と小切手を相殺させる。このような「国債の日銀直接引き受け」は戦後の日本では復讐防止のためGHQから禁止されているのですが、現在では政府の国債を国内の銀行が買い、国内の銀行の国債を日銀が買って金利をコントロールしているので事実上同じことです。9条はあるけど軍隊はあるみたいなもんですね)
ここで何が重要かと言うと、事実上、この王様は国家経営に必要なだけのモノや労働の種類と量を『小切手』を書くだけで自在に動員できるというところ。
だから年貢を米粒ではなくて、【Z中央銀行の借用書】で取ることにしているのです。
ただし、それは国内で生産されるモノと労働の「種類と量の範囲」においてに限ります。
例えば王様が「太平洋埋め立て事業」なんかのために小切手を書きまくっても、そもそも国内に太平洋を埋め立てるだけの物理的な材料と労働力が存在しないので、実現しません。
また、王様が小切手を書いて支出すると、そのぶん世の中の銀行預金の量が増えます。
それはX社がY銀行に借金をすると預金が生れるのとまったく同じ。
よって、王様がただ小切手を書いて支出しまくるだけだと世の中の預金現金が増えすぎて、現金の価値が下がってしまう。
この時にようやく必要となるのが『税金』です。
国民が政府へ1万円札か預金で『税金』を納めると、納められたぶんの現金は世界から消滅します。
別に政府は税金で集めてきた1万円を使ったりはしないので。
政府が税金を取っているのは、「世の中の現金の総量を減らすため」「メチャクチャ資産を蓄えすぎる国民が出てくると危険因子となるから力を削いでおくため」そして「円に価値を付与するため」です。
以上のことを踏まえると。
1万円札に1万円の価値を与えているのは、「中央政府が税を米粒ではなく『1万円札』や『銀行預金』を指定して取っているから」なのですが、それを担保しているのは「その政府が動員しうる国の全体で生産できるモノや労働の種類と量」ということもできます。
[5] まとめ
まず現金を実際に創り出しているのは、政府や事業者の銀行への借金から『銀行の借金(=預金)』が生れるからでした。
この預金が現金の発生源であり、そのうちのわずか一部が【中央銀行の借用書(1万円札)】に換えられることがあって、それが流通している。
しかし、その現金の発生源である『預金』に【現金】としての価値を与えているのは『預金(銀行側の借金)』ならば1万円札と即日で交換できるというところにあります。
そして、その1万円札に価値を与えているのは、中央政府が税金を米ではなく円を指定して取っているから。
さらにその中央政府の徴税権力の源にあるのは『国の全体で生産できるモノや労働の種類と量』ということになる。
綺麗に〆るのであれば、1万円札に1万円の価値があるのは日本人ひとりひとりがいろんな業種、職種、業界でそれぞれ日々がんばっているから……と言えるかもしれませんね。
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