第4景 アクアリウムの世界

「えー、こちら、FLN-083715、遠方世界群えんぽうせかいぐんの中にあっても珍しい絶景――『地球のほぼ全土が水に沈んだ世界』でございます」

 わたしは今、企画旅行のメイン・アテンダントとして『異世界』にいる。

 新世界旅行社しんせかいりょこうしゃに就職してまだ一年も経たないのだけど、社長は容赦なく仕事を振ってくる。『なあに、AIもアンドロイドもいるし、航界機こうかいきのコクピットにゃ自分も居るんだからどうとでもなるなる!』って。

「探検家の報告によりますと、わずかな島があるくらいで、地球表面の90%以上が海なんだそうです。温暖化とか海面上昇とかそういうレベルじゃなくて、そもそも最初から、地球誕生の時点から水分が私たちの――基軸世界きじくせかいの地球より多かったんじゃないか、と考えられています」

 実際、お客様の御要望への対応とか、機内食の配膳とか、着席案内とか、そういうの――キャビン・アテンダントの業務――は全部アンドロイドたちがやってくれてる。だから、わたしは説明する方にだけ気をつかっていられる。

「陸がない分外に降りるのは無理なのですが――窓の外を御覧下さい。ただいま当機は着水しております。水に潜る前に、まずは見渡す限り水の景色を御堪能下さい」

 窓の外には、限りない水平線と少しの波が見えるはず。鳥は見当たらない(発見されてないらしい)。航界機の窓は小さくてわたしの立ち位置からは良くは見えないけど、私のメガネスマートグラス越しに機体センサーからの映像が重ね写しになっているから、多分窓からはそう見えてるだろうと想像は付く。

「窓から覗きにくい席の方は、メガネにコクピットからの映像を飛ばしておりますので、そちらもお楽しみください」

 航界機がしばらく海の上をただよう。特別な設備があるわけじゃないから、波に合わせて揺れる。

「君ィ、少し気分が悪いのだが……」

 お客様の一人から声が上がる。転移酔いじゃなくて、乗り物酔いだろう。すぐにアンドロイドの一体が駆け寄った。

『お客様、中枢系に効果のある配合をしたお茶です。よろしければどうぞ』

「おお、すまんな」

『すぐ良くなるでしょうが、それまで少しの間、シートの束縛そくばくを緩めましょうね』

 アンドロイドたちは航界機の機体AIとリンクして群体として振る舞う、のだそうだ。だから機体の中ではわたしの指示を待つまでもなく、素早く反応してお客様の御要望にこたえる。

 やがて気分の悪かったお客様も慣れてきた頃合いで、コクピットにメガネ越しで合図を送ってから、次の案内をする。

「お待たせしました。いよいよ水の中――海中にご案内します!」


 ※ ※ ※


「では窓の外をご覧ください。メガネの映像をお選びになっても構いません。ただいま当機がいるのは、この世界の亜熱帯にあたる緯度の海域です。もっとも、陸のほとんどないこの世界では、海流も基軸世界とはだいぶ異なっていますし、浅い海にしか生きられない生き物、例えばサンゴや珊瑚礁さんごしょうむ魚などは存在しません。その代わり――」

 基軸世界のジンベイザメという魚、をさらに数倍大きくしたような魚が来た。その周りには、その巨体にまとわりつくように、色とりどりの魚が、貝が、タコやイカが、藻までもが、群れている。

「――このように、巨大な魚を中心として、その代謝や老廃物に依存する生態系ができているのです。どうもこのサメの仲間、魚食性はあまり無いようで、ひたすら泳いでプランクトンを大量に食べるらしいんですね。で、その糞や食べ残し、剥がれたウロコなんかを藻やカニ、貝、小魚が食べる。それらを大きめの魚やタコ、イカが食べる。それらの死骸を食べるエビもいる――そんな感じで、一つのアクアリウムが出来ているわけです」

 よし、言えた。

 そんな一つの生態系が通り過ぎていくと、次に、それらとはまた別の生き物の群れが来た。基軸世界のジュゴンに似た生き物だ。――え? なにこれ?

 目線での問いかけに応じて、すぐに機体AIがわたしのメガネにプロンプトを投影する。

「――もちろん、巨大魚にくっついた生態系ばかりではありません。こちらのジュゴンかアシカのようにも見える生き物――どうも哺乳類ではないらしいのですが、巨大魚が来るのを待ち構えて、その生態系から魚を捕食して暮らしているというのです」

 ジュゴンもどきの群れは、巨大ジンベイザメを追いかけて、その背中で渦を巻くように泳ぎだした。

「基軸世界のイルカ類にも似たことをする生き物がいるそうですが、群れで渦を作って小魚を逃げられないようにして、食らいつくんだとか」

 お客様から、おお、と声が上がる。ざわめきが起きる。

 ジュゴンもどきの様子がウケたのかな、と思ってメガネを確認すると、また何かよく分からないモノが数体映っている。

「ええ、続いて当機の前に現れましたのは――――?」

 言葉を失った。機体AIも即答できないらしくて、視線ジェスチャへの応答が無い。

 ジュゴンもどきよりはっきりと「手」のように見えるパーツがあって、より「目鼻立ち」がはっきりしているように見える。毛こそ無いし、ウロコが生えてるけど、これ――人魚? 魚人?

『ちょっと社長、これ、何です? AIも固まってるんですけど?』

 小声で音声通信をコクピットに送った。

『――社長じゃなくてごめんな。でも僕も正直、よくわかんない。取りあえずAIのデータをリサイズして再試行かけてみるけど』

 太っちょの先輩が答えた。

『え? 社長が乗るんじゃなかったの?』

『たぶん、ウェンディ君を安心させるための口から出任せだね。いつもの』

 しょうがない。アドリブでいくしかない。

「――なんと言うことでしょう! 探検家も未発見の人魚です! 知性のほどは分かりませんが――」

 本当に未発見なのかどうかは知らないけど。

 すると、人魚たちが、必死にこっちの船を叩いてる、ように見えた。向こうでは、ジュゴンもどきが巨大魚から急に離れだした。

『ちょっと先輩! マクロナルド先輩! 何が起きてるんですか!』

『たぶん――警告だ。こっちのセンサーでも感知できた。冷水塊が、海底から、来る!』

『来たらどうなるんです?』

 聞き返すのと、機体AIが正気を取り戻し、警告を発したのは同時だった。

『緊急! 緊急! 潮流が急変化します! お客様方は至急着席し、シートに体を固定してください!』

 のんきにたち歩いていたお客様はアンドロイドたちが取り押さえ、着席させた。わたしも座席に戻る。

『救命装備を着用してください! 耐ショック――』

 激しく機体が揺れ始める。そもそもこの航界機の潜行能力は、専用の潜水艇ほどしっかりしたものじゃない、らしい。耐水圧は基準以上にはあるはずだけど、急な流れにどこまで耐えられるか。

『耐ショック――』

 もたもたと救命装備を付けていたところに、何回目かの急な揺れが来た。足を滑らせたわたしは、倒れて――

【この項、次回に続く】

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