第2景 喫茶店の世界

喫茶店カフェを見たい、ですか?」

 新世界旅行社しんせかいりょこうしゃ本社社屋しゃおくの応接室で、例によって例のごとく、自分はマニアの持ち込み企画に困惑している。

カフェイン飲料コーヒーを提供する店なら基軸世界きじくせかいにもあるでしょうに」

「そうじゃないんです!」

 マニア――ああいやお客様は熱弁する。

「今時のカフェインと香料をブレンドしたケミカルドリンクじゃなくてですね! オールド・トーキョースタイルの、コーヒー豆一つ一つにこだわり抜いてじっくり焙煎して、抽出して、それをこだわりの調度の中で提供するアレを、体験したいんですよ」

 お客様の取り出した古びた紙冊子。20世紀トーキョーの喫茶店案内本らしい。

「そりゃまあ要は『20世紀程度のテックレベルに留まってる世界』を検索すればいいので御案内できなくは無いですが……」

 そもそも元はといえば弊社へいしゃも、20世紀のトーキョーで設立された旅行会社だったんだ。20世紀ニホンの喫茶店文化の記録くらい残ってはいる。それがコーヒー栽培農業とともに衰退していった経過も。

「……だいたいの世界ではプランテーション・モノカルチャー農業に対する反感や気候変動、コーヒーノキ特異性疫病の蔓延などで、コーヒー豆栽培自体が衰退していくんですよねえ……基軸世界と同じで……。そうすると『豆へのこだわり』は物理的に不可能になって、化学合成ケミカルコーヒーの方向に進んじゃうわけですよ。今お客様にお出ししてるのもそういう化学合成コーヒーだったりしますし、自分はこれ結構好きなんですけどね?」

 航界機こうかいきはあくまでも同じ時間における異世界の地球への移動を可能にする機械であって、――少なくとも今はまだ。様々な政治・経済的要因によって偶々「過去の地球」に似た技術水準にある異世界に移動することはできても、それは「過去の地球」そのものではない。だからこそ、基軸世界の地球で過去に生じただけを絶妙に避けた都合のいいifもしもの世界を探すのは、意外にむつかしいのだ。

「そこを何とか探してみては貰えませんか。クラウド・ファウンディングで、集客とお支払いの目処めどは立てているので!」

 いや企画を実施できるかどうかの目処を立ててからクラウドに募れよ順番が逆だな素人さんは、とは思うのだが。そうは言ってもわざわざ企画を持ち込んできたのをノールックで蹴飛ばすのもばつが悪いので。

「……とりあえず調べるだけ調べてみましょう。ああ、代金の入金はこっちからの回答を待ってからで構いませんので」

 保留することにした。


 ※ ※ ※


 ある企画団体旅行をデザインするとして、旅行先に適した異世界を探すには、幾つかの方法がある。業界紙に載った世界紹介記事のバックナンバーを漁る、その元ネタと思しい異世界探検家たちの論文・報告を探す、他のお客様や同業者から話を聞く、等々。

「という話なんだが……何か良いネタ無えかなあ」

 このときの自分は、最後の選択肢を採った。若手の同業者と食事に出たんだ。

「そうですねえカナエさん」

 自分の名字ファミリーネームながら、ニホン人の名としては女の子フィメイル・ジェンダー名前ラストネームみたいで余り好みじゃない。それはさておき。

近傍世界群きんぼうせかいぐんにこだわりすぎなのでは?」

 近傍世界群、というのは、比較的基軸世界と『近い』歴史を辿たどってきたと考えられている世界の総称だ。人類が『基軸世界のホモ・サピエンス相当の種』のみ存在しており、かつ人類の文明が地上を覆っている世界と考えてよい。

「ンなこと言ったって、近傍世界以外に『20世紀の人類文化』それも『属地・属人性があって』『滅びる要因が多い』もの、なんてどこに」

「――例えば、していれば?」

 異世界の実在が証明されたことによって、『行方不明者』の中にごく希ながら『異世界に転移した者』がいるのではないか、という仮説が立てられた。ちょうど、弊社の庭にいるバッファローのように、(転移技術のない世界にとっては)偶然(のように見える)転移する者は古来からいたのではないか、と。そして、転移した者が基軸世界の文化を伝えた事例が、世界でも発見されたことがある。

「そうか! 遠方世界群えんぽうせかいぐんへの文化転移に関する報告書! ……ありがとよ! ここはおごるよ!」

「いや、最初から奢られるつもりだったんですが……」


 ※ ※ ※


「――というわけで、少しばかり喫茶店で良ければ御案内できそうなんですが、どうです。乗りますか。無論、御企画通りのプランではありませんから御不満はありましょうから、少しばかり出精しゅっせい値引きさせていただきますが」

 俺はマニ……お客様に告げた。

「分かりました、今回はそれでお願いします」

 お客様はうなずいた。


 ※ ※ ※


 と言うわけで、目的の世界はFLP-018301、遠方世界群の中でも『ファンタジー世界群』と総称される、「剣と魔法があってホモ・サピエンス以外の人類種が闊歩かっぽしている類」の一つだ。

 調べて果たして『遠方世界の喫茶店』を示唆しさする報告書があったのも驚いたが、旅行先として人気のファンタジー世界群の中にあって、その『喫茶店』が旅行商品とは考えられて無かったのも驚いた。いやまあ自分も見落としてたって言うべきなんだが。

 ――で、その喫茶店を確かめてみたいのもあって、自分でアテンダントをすることにした、ってわけ。

「と言うわけで目的の世界に到着です。ここからはこちらの世界の技術進度との兼ね合い上、徒歩になります。あ、ファンタジー世界ではありますが『連続ささくれ事件』の世界とは別ですので、その点はご安心下さい」

 アナウンスすると、お客様方から口々に、誰に言うともなく私語が漏れる。

「喫茶店まで徒歩かー」

「まあ腹ごなしということで良いじゃないですか」

 少し大袈裟おおげさ咳払せきばらいをしてから、付け足した。

「はい皆様、全身立体映像フルボディ・ホログラフの設定をお忘れなく。ファンタジー世界では、自分たちの方が『異世界人』なんですから、少しでも自然に振る舞うようお願いします」


 ※ ※ ※


 航界機こうかいきめた場所から徒歩で数時間、都市の城門を潜って一時間弱。

 その『喫茶店』は、確かにあった。看板に書かれたニホン語――いや漢字は、辛うじて『喫茶店』と読めないこともない。

「ごめん下さい。12名なんですけど、入れますか」

「今ならいいですよ」

 耳の尖った店主が答えた。

 中に入ると、木の香りがした。天然の木の調度、床、壁。ニスを塗ったばかりのように輝いているのに、活きた木のような香りがする。

「いい香りだ」

 お客様の一人が言った。

「でしょう? 実はこれ、

 店主が言って指を弾いた。すると壁の木板から突然枝が何本かえ、赤い実を付けた。

「――コーヒーの実!?」

 自分も驚いた。魔法の有り得る異世界とはいえ、そんなに成長を加速させられるものなのか。

「おや、この実をご存じでしたか。博識でいらっしゃる。元々コーヒー、この世界には無かったんですよ」

 店主が言いながら指を弾くと、今度は赤い実が発酵し、コーヒー豆と分離し、乾燥されるまでの様子が早回しで繰り広げられた。

「200~300年ほど前に、当店の初代店主がね、異世界からこの豆を持って現れたと言われています。店主は元の世界で『喫茶店』を営んでいたんですが、持っているのはわずかな生のコーヒー豆だけ。コーヒーの味と香りには自信があっても、手持ちのコーヒー豆を使い切ったらもうどうしようもない」

 語りながら豆の焙煎を始めた。確かに焙煎釜だ。本で見た通りだ。

「そこで、初代店主は冒険者になって旅をして、仲間を作るところから始めたって言うんですね。釜を作れる岩妖精、サイフォンを組める錬金術師、そして森妖精の、コーヒー豆をコーヒーの木にまで確実に育てられる植物魔法の妙手――私の祖母です」

 豆の香りが変わり、やがて店主は釜を止めた。

「そうして冒険者を引退した初代店主が喫茶店を始めました。その後は祖母が、ついで半妖精に生まれた母が。『木』を育てたり豆を熟成させたりの植物魔法は、祖母の残した魔法遺品アーティファクト頼りですが、豆のり加減、コーヒーのれ方は引き継いできたつもりです」

 店主は豆をひき、サイフォンにかけた。

 どれほどの時間を待ったことか、それともそれほどの時間は掛かっていないのか。

「お待たせしました。コーヒー、人数分です」

 一同はコーヒーの香りを嗅いだ。そして口に運んだ。

「これか! これが本物の香りか!」

「奥行きのある苦み! これが本当の焙煎!」

 マニ……お客様方の興奮をよそに、自分は

(いや、化学合成の方が手間が無くていいな……?)

(そもそも魔法でいじるのと科学で香りを調整するの、そんなに差があるか?)

と思いはしたのだけど、黙っておくことにした。



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