新世界旅行社31景

歩弥丸

第1景 夕涼みの庭

『ねえマスター社長

 本社社屋制御系のAIが、唐突に問う。

『あのバッファロー、どうするんですか』

「どうと言われても、なあ」

 窓の向こう、本社の庭でバッファローはのんびり草を食んでいる。その草が、元いた世界の草では無いと、知っているのかどうなのか。

 少し前に『絶滅種が繁栄している世界』というテーマで自社企画旅行を組んだ自分らは、実際バッファロー――純血種は絶えたと言われる森林バイソンの栄えている世界にお客様方を案内した。案内するにはしたんだ。

 ただ、少しばかり繁栄しすぎていて――見渡す限り全部バッファローしか居ないという有様ありさまだっただけの話で。

『歴とした規約違反ですよ、これ』

「別に連れて帰りたくて帰ったワケじゃねえよ」

 世界間旅行規約第35条第1項『異世界非知的生物の持帰りの禁止』。異世界から基軸世界きじくせかいに持ち帰った生物が環境にどういう影響を及ぼすか分からないから、持ち帰るのは止めておきましょう、という業界のルールだ。所詮しょせん自主規制、自分らで決めた内輪の決め事でしか無く別に法のペナルティなんか無いのだが、自分らで決めたことだからこそ無闇むやみに破りたくはない、というのはある。それはそれとして。

「バッファローの方が勝手に付いてきたんだからどうしようもねえし、規約の『持帰り』にも当たらねえだろ」

 それこそ地平線まで埋め尽くすほどのバッファローの大群に囲まれたのは完全に想定外だった。そんなところにお客様を降ろせば間違いなく危害が及ぶので、自分は即撤退を決めた。ところが基軸世界に戻ってきたら、――何故か一頭のバッファローが付いてきた、という顛末だ。

『「持帰り」の定義、そんなのでしたっけ?』

「多分な。そりゃ元の世界に戻すに越したことは無えんだが、旅行商品にもなりゃしないのに航界機を動かせるもんか」

 お客様を乗せられる程度のモノにはなったとはいえ、航界機こうかいきはまだまだ新しいテクノロジーだ。時空場じくうば一回動かすだけでも莫大ばくだいなエネルギーを使う、ということは莫大なカネがかかるというのと同じことで、だからこそ企画団体旅行でお客様を募らないといけないワケだ。

『でも、いつまでもここで飼っているわけにもいかないのでは?』

「草と水の代金で済むなら、航界機を動かすよりは格段に安いぜ」

『糞尿の始末も要るでしょう。毎朝毎夕、アンドロイドが回収しているんですよ』

「あー、まあ、うん……」

 日が傾いてきた。あの暴走はどこへやら、一頭だけになったバッファローは、落ち着き払って草を食べている。

「そうは言っても、まさか殺処分するわけにも行くめえ。平原バイソンのいる辺りに逃がすんじゃあ、いよいよ真正面から規約違反。当座こうしとくしかねえんだよ」

『それにしたって、別にバッファローだって来たくてこの世界に来たわけでもないでしょう。費用面で元の世界に戻せないのなら、結局殺処分しか――』

 バッファローが夕日を浴びながら、口を大きく開けた。あくびか、げっぷか。ゆっくり膝を折り、眠たげにしゃがんでいる。それは、バッファローに地上を覆われろくに草も無かったあの世界では、滅多に出来なかったことかも知れない。

「来たくて来た、のかも知れねえじゃねえか」

『非合理的です。異世界の同種生物とはいえ、バッファローには異世界移動を解するほどの知能は』

「単体ならそうだろうよ。だが、ならどうだ。新女王を得たミツバチが分蜂ぶんぽうするように、一定の密度に達したレミングが崖に向かって走るように、あの世界のバッファローが群体として『この世界には先がない』『別の世界に行くしかない』と考えて、それで航界機にわざと突進してきたのだとしたら。膨大ぼうだいな数のバッファローで時空場に突進すれば、天文学的な確率では異世界に移動しうると、考えていたのだとすれば」

『それは――』

「そもそもアレだって異世界生物には違いねえ。基軸世界こっちのバッファローならあり得なくても、異世界あっちのバッファローにならあり得る、ってことはあるぜ」

『――そう、かも知れませんね』

 夕日を浴びて微睡まどろむバッファローを見下ろしながら、自分はすっかり冷めたコーヒーを飲みほした。

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