第8話 綺麗だよ


「えへへ。ビックリしてるシルワも可愛い」

「んんんんっ! まったく! 離れろ!」

「ええー」



 とっさにアルクトスを押して突き放した。

 こっちは初めてだっていうのに、余裕そうな顔をしていて何だか腹が立った。



「顔真っ赤っ赤〜! 恥ずかしかった?」



 ニヤケながら聞いてくるからさらに顔が熱くなる。



「えへへ、可愛いなぁ。これだけ可愛いと、誰にも見せたくなくなっちゃう。閉じこめておきたい」

「うわ……こわ……」

「じょーだん、じょーだんだって!」



 どこまで本気なのか分からない。

 いや、多分閉じ込めたいのは本気だと思う。

 アルクトスだったらやりかねない。

 そっとアルクトスとの距離を開けたが、アルクトスは私の腰に手を回して引き寄せた。



「んー! ここでいちゃいちゃしたいんだけどさ、賞金首目掛けて追手が来ちゃうから移動しよっか!」

「何処に? 私にはここ以外居場所なんて――」

「俺の隣がシルワの居場所! それに、ここだと血の匂いがして嫌でしょう? 大丈夫、移動手段ならあるから!」



 忘れていたが近くにひとりの遺体。そこで求婚するのも、応えるのもどうかと今更ながらに思う。

 アルクトスは右手を高く突き上げて、何か呪文を唱えたかと思うと、凄まじい風が巻き起こる。

 腕で風を避け、見てみれば、空から木々をなぎ倒して降りてくる大きな生物――ドラゴンだ。


 空を自由に飛べる羽と同じ白くて大きな身体がゆっくりと降り立った。

 地につく四足には鋭く黒い爪。それで裂かれたら命はないとわかる。



「コチラがそのドラゴンさんだよ」



 アルクトスの紹介は雑だ。

 ドラゴンなのは見てわかる。人と比べてはるかに大きいドラゴンが地下に閉じ込められていたのも驚きだが、全く怯える様子もない彼にも驚きである。



『初めまして。我が名はエルク。かつて、ディアルトにて国を守護していた浄化のドラゴンだ』

「人の言葉を話せるのか」



 ドラゴンのエルクは脳内に直接言葉を送ってきた。



『長く生きていればそのくらい容易いものだ』

「へえ。興味深い。エルクはどうして地下へ? 私の知るところでは――」

「ストップ、ストッープ! 話していられるほど時間ないよ!」



 アルクトスは両手を広げ、私とエルクの話を止めた。ドラゴンと会話するなんて、興味しかわかないというのに。

 だが、彼の言う通り、あまり猶予はないらしい。

 森から他者の気配を感じる。

 ひとりではなく、複数人の動きがある。未だ迷いながら進んでいるようだが、いずれこちらに向かってくるだろうとは思う。



「エルク。何処かいい場所はない? ディアルトから離れて、誰も俺たちのことを知らないような。あと静かなところがいいなぁ〜」

『我儘な男よ。地下に縛られていたため、我の知る世界はとうの昔のこと。今やその片鱗すら無くなっているだろうが、ひとつ、その望みに近い場所に心当たりがある。往くか?』

「行く行く! ほら、シルワも!」



 軽々とアルクトスは大きなエルクの背に飛び乗る。そしてそこから私へ手を差し出す。



「ほら、行こう?」

「ああ」



 私は彼の手を取った。

 別に身体が重い方ではないが、人ひとりの重さをアルクトスは片手でひょいっと引き上げると、自分の前に座らせた。

 私はアルクトスに後ろから抱きつかれるような体勢だ。



「よっしゃ! エルク、レッツゴー!」

『あい、わかった。振り落とされるでないぞ』



 ブワッと翼を羽ばたかせて、上空へと上がる。

 どんどんと地上が小さくなっていき、初めて森を上から見下ろした。


 さようなら、私が生まれ育ち、滅ぼし、森にした場所。

 小さくなっていくにつれ、森と私の距離が開いたからか、魔力が途切れて森が一気に朽ちていく。

 するとそこから武装した騎士たち一行がお目見えする。



「お、あれ。俺の追手だ! じゃーな、弱っちい騎士団!」



 あばよ、とアルクトスは明るく言う。

 彼には未練も何もないらしい。



「シルワはあそこから出るの初めてだよね? ほら、あそこがディアルト。あっちに小さく見えるのが海だよ」



 はるか上空から、立派な塀に囲まれているディアルトを見下ろした。そのさらに奥には、キラキラと揺らめく水面が見える。

 ああ、そうか。あれが海。

 人としても、魔女としても閉じこもっていたから、海なんてものは見たことがなかった。



「綺麗だな、世界は」



 空も海も。

 世界は広い。

 まだまだ見たことがないものがきっとあるのだろうと思うと、胸が高鳴る。



「シルワも綺麗だよ」



 後ろから抱きしめられつつ、耳元でアルクトスが囁いた。

 それに今度は全身が熱くなる。耳まで熱が集まっていくのが自分でも分かる。



「んんっ、どんなシルワでも大好き」



 そう言って今度は頬に触れるほどのキスをしてくる。

 驚いたが、悪くない。私も彼に身を預ける。



「優しいな、アルクトスは。そういうところ、気に入っているぞ」

「んんんんんっ!」



 手を伸ばし、アルクトスの頬を撫でれば、急に彼は呻きながら抱きしめる力を強めた。

 内臓が圧迫されるほどの力だ。やや苦しい。



『お二人、我の背でつつき合うのは勘弁してくれぬか? 振り落とすぞ?』

「ヤダッ! エルクも聞こえてたでしょ! シルワがこんなにデレたんだよ! 俺、嬉しいの! どうしよ、俺っ!」

『聞こえていたさ。嬉しいのは分かるが、その握力で握り潰すなよ? 今のアルクトスの力はドラゴンに匹敵するのだから』

「あ、そうだった! ごめん、シルワ。まだ力の調節が上手くできなくて」



 なるほど……ドラゴンの血を飲んで力の加減がわからなくなったと。確かに私でなければ、背骨あたりの骨が折れていたかもしれないな。



「いい。これから力の調節を出来るように練習していこう」

「うんっ!」



 私が言えば、アルクトスは嬉しそうに返事をした。

 こうして罪を背負った私たちは、迷いの森とディアルトを離れ、広い世界に文字通り飛んでいったのだ。

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