第4話 人は変わらない、人である限りは


 ティータイムの他にもモーニング、ランチ、ディナー……様々な時間帯。アルクトスは私のところにやってきては、料理を作って誘ってきた。

 料理の種類も多岐に渡る。パンやスープ、デザートには冷たいアイスまで。

 いまだかつて食べたことも見たこともない料理をアルクトスは楽しげに披露する。

 この森を生活拠点としてからずっと他の場所へは出ていない私にとって、毎回異なるものが並べられるとさすがに興味が湧く。


 試しにひとつ、赤いアイスを食べてみた。

 頭がキンとするような冷たさ。それから伝わる甘みは、野イチゴを食べたような気分になった。

 もう一口、と口に運ぶと今度は果肉が含まれていたようで、口の中で溶けることなく残る。

 甘みと酸っぱさ、冷えて満ちていく身体。籠もる熱が消えていくと、身体が軽くなっていく。

 食べなくても死なないからと意味のない食事を避けていたが、案外、食事は悪くないかもしれない。

 そう思った日から、次から次に広げられる料理を毎日食べた。



「それ、自信作のシャーベットです。もしかしてシャーベットが好きなんです? シルワ様が気に入ってくれたみたいでよかった〜」



 へなっとした顔でアルクトスは呟く。

 本人は決して手を付けない。ただ、目の前で準備して私に食べさせて、そして片付けて帰るだけ。その間に他愛もない話はする。

 騎士として成り上がった話や、普段の生活、私の元から離れて過ごした時間について。


 アルクトスはずっと私に会うためだけに、騎士団長を目指したらしい。

 騎士団長になれば、欲しいものを貰えるからと。

 それだけの理由で騎士団長になり、この迷いの森を選んだ。そこに私がいると踏んでいたからだそうだ。


 どうして私がこの森にずっといると思っていたのかというのは、書物や多方面への情報収集で確信を得たとか。

 騎士団長になれば、閲覧可能な情報が多いという。その権力を行使して、私、いや、魔女について調べ尽くしたらしい。


 私は魔女にできることとできないことの境目がわからない。他の魔女についても知らない。

 そうともなれば、私より私を知っているのではないか?



「シルワ様はシルワ様なので、まだまだ分からないことだらけですよ。どうして俺と結婚してくれないのかもわかりませんし、好きな食べ物も分からない、とても神秘的です。あ、婚姻届ならここにあるので、いつでもサインしていいですよ」



 とアルクトスは懐から紙を取り出してテーブルに置く。

 それが婚姻届なのだろうが、私はそれをビリビリに裂いて風に乗せて遠くへと飛ばした。

 するともう一枚、新たに同じ紙を取り出す。それを私がまた裂いて飛ばして……と、いたちごっこを続けることもあった。


 そんなやり取りをしていても、私が食事するのをアルクトスは立ってジッと見つめる。

 食べないのかと聞いたが、「ご一緒するなんて滅相もない」と断られた。

 それはそれで寂しいところもある。


 食べたときの私の顔を伺っては手を変えてくるアルクトス。サプライズにもならないほどにあまりにも頻繁に来るものだから、コチラからサプライズとして森に魔法をかけて、迷子になるよう仕向けてみた。だが、アルクトスは必ずやって来ては、一喜一憂して、そしてそのうち去っていく。


 それが日常になった今日この頃。

 そろそろ来るだろうな、と待っている自分がなんとも情けない。



「お……来たか、アルクトス――?」



 ガサリと茂みが動いた。

 騒がしいアルクトスのことだ。今度は大荷物でも持ってきてパーティーでもするんじゃないだろうか。

 毎度大きな荷物を背中に背負っている。トレーニングにもなりそうなほどに。そこからテーブルやら何やらがすべて出てくるんだから、大掛かりにも程がある。

 そろそろ荷物置き場でも作ってみようか。そんな考えを他所に音のする方を見てみたら、そこには知らない人間がいた。



「本当だったんだなッ、あの騎士の言うことは!」



 アルクトスじゃない。

 ぎょろっとした目をした、別の人間に身構える。

 安っぽい鎧から出る手足は貧相。そして手に持つ武器も貧相。刃こぼれしていると思わせるほど、ボロボロな剣を片手に持って不気味に笑っている。


 アルクトスの身につけていたものとは雲泥の差がある装備。

 身なりに加えて態度も悪い。生まれ育った環境がそうしたのか、まるでチンピラだ。

 そこらのチンピラ同士の戦いでは鍛えられない。此奴は強くはないだろう。これなら、私の魔法で消し去ることは簡単だ。

 だけど、発言が気になる。


「あの騎士」とは誰か。アルクトスだったら――いや、アルクトスが私を売るはずがない。

 バカの一つ覚えのように毎日ここへ来る人間だ。かつてこ恩を返すためなのか知らないが、好意でもなければやって来ないはず。

 私だってある程度、人の行動については考える。

 あいつが私を売るはずはない。そう、ないんだ。

 浮かんだ疑念を頭を振って消す。



「……人間が何用か。ここは人が立ち入る領域ではない。即刻去れ」

「ケケッ、魔女だなんだ知らねぇが、こっちは命かけて来てんだ。手ぶらで帰れるかよ! 魔女の首は高くつくからなァ。いいよな、魔女ってのは。死なねえし何でもできるし。騎士サマを手の内におさめて、国を牛耳るのも簡単なんだろう?」

「何を……?」

「知らねぇのか! ザマァネェなぁ。だったら教えてやるよ、俺がよ」



 私の情報源はアルクトスのみ。

 森に立ち入る者が他にいないし、私に知人はいない。魔女のコネクションもない。

 世界情勢を知らぬ、無知な魔女。それが私。

 恥ずかしいとは思わない。今の情勢を知ったところで、すぐに変わるのだ。一瞬一瞬覚えてなどいられない。

 知らなくていいことなのに、知らなければよかったのに。

 私は話を聞いてしまった。



「ディアルトの騎士団長サマが言ってたんだよ。森に住む魔女さえ手に入れれば、風向きは一気に変わる。隣国はひれ伏し、ディアルトが優位になる。しかも魔女は死なない。魔女は永久機関。何も必要とせずとも、力を使える便利な道具――その力で世界を統べるってな!」



 血の気が引いた。シャーベットを食べた時とは違う、身体の冷え。芯から氷になっていくようで、吐いた息さえ冷たいように感じる。

 私の中で生まれていた、期待、そして信頼。それが氷に包まれて、全て砕け散った。


 アルクトスが私のところに来て、「結婚」を求めたのは魔女を手の届くところに置いて戦力としていや、道具として利用するためだったのか。

 かつての関係を利用し、私に近づいてきた。そして絆して道具として使おうとしていたのか。


 私は人ではない。魔女。

 何をしても死なないから、人間ではないから。だから、何をしたっていいということか。



「はっ……そういうことか。やはり人間とは醜い……いつだってそうだ、だってそうだった……」



 鮮明によぎる過去の出来事。

 かつて私が人間だったときのことだ。


 元々私の生まれ育ちは、辺鄙な村。昔ながらの慣習を守り続け、社会に置いていかれた村だった。

 その中でも両親は移民だったので、村に馴染むべく慣習を学び、溶け込もうと努力した。教えを請い、慣習を守る。下手に出て、頭を下げ、どんな無理強いでも応えていた。それで生活が苦しくなっても、みんなが笑顔でいられるのならそれでいいと骨と皮しかない身体で必死に働いていた。いつだって両親の教えは「困っている人を助けなさい」。純粋な私はそれを守っていた。


 そんな生活を送る中、村を襲ったのが戦争だ。

 搾取されることを拒み、自由を掲げて古い武器を持って立ち上がる村人。

 争いを嫌う両親はもちろん反対した。しかし、移民だったためにあれやこれやと言いくるめられめいくうちに、孤立させられた。

 私たちは敵のスパイ、村を売った存在。そう陰口を叩かれる。

 必死に村に尽くしてきたはずなのに、争いを否定しただけで、村の厄介者になっていた。


 次第に両親は心を病んだ。

 負の言葉を吐くようになり、自他を否定する。このままでは人助けなどできやしない。家事も出来ないから、私が代わりに行った。   

 一方で村は戦火で不作になり、人々は傷を負い、命を落とす。するとますます人々の心が荒んでいく。


 それでも変えられない村の意思。

 向けられる誹謗中傷。

 言葉だけでなく、石も投げられて怪我をした。

 両親はそれに耐えきれず、気が狂い、無防備のまま争う戦地に赴きあっさりと死んだ。



 私を残して。



 当時十八に満たぬ歳。

 人の行動も心理も、ある程度は理解していた。

 けれど、いかに人に尽くせど、人は裏切る。努力も無駄。手のひらを返してくる。

 人が人である限り、それは変わらないと悟ったし、人と関わるのをやめた。


 両親を亡くしてから、私は悪魔の子などと言われ迫害され、地獄を見る。

 服もない。水は雨水、田畑はぐちゃぐちゃ。

 無視されるは当たり前。

 私はひとりになった。


 いかに苦しめど、終わらぬ争いは劣勢。もう打つ手なしになった村は、最終手段に出る。

 慣習に則って、戦争を止めるために、私を村の地下にいるとされる神へ供物として捧げることにしたのだ。

 今更神頼みしても、もう遅い。神は見限っているまろうに。

 だけど私に拒否権はない。だって私の両親はもういない。守ってくれる人はいない。

 外者だった両親から生まれた私も外者。それだったら、神が応えてくれなくても、厄介者を処理出来る。いち小娘を見殺しにしようが心痛まないのだろう。


 供物にするという決定がされた直後、小さな子供がこっそり私の元へやって来て、小さい花を一輪渡してきた。

 両親が亡くなる前に、迷子になってきたこの子を助けたことがあり、そこから何度も顔を合わせる程度の仲だった。


 私を憐れんだのか、毎日違う花を持ってきては不安そうな顔を浮かべ、特に話すことなく帰っていく。

 供物になるまでのカウントダウンが始まった中で、唯一の安らぎがその花だった。


 捧げる準備が整うと、飲まず食わずで隔離され、足を伸ばせぬ箱に詰められて地下へと運ばれる。

 内側からは開かない箱。

 外の様子は何も見えない。

 暗闇の中、微かに聞こえる音に怯え、寒さと空腹に苦しみ、人を恨みながら死んだ――はずだった。



 ふと感じなくなった寒さ、空腹。軽い身体。

 目を開けてみると、そこは深い森、そうこの迷いの森だ。

 足元には閉じ込められていた箱の残骸と、瓦礫の数々。

 さらには家屋とみられる残骸が多数。しかもどれも見覚えのある色と形をしている。


 凝り固まった身体を伸ばしてみる。すると体内から溢れ出しそうな力の流れを感じ、それが魔力であり、私が魔女になったのだと理解するまで時間はからなかった。

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