第3話 ワン!
「おはようございます。本日は思考を凝らして、お菓子を用意しました! 紅茶もありますよ、いかがですか?」
はい、目覚めのデジャヴ。
アルクトスが去ってから一眠り。起きてみれば空の青さが戻り始めたが早い時刻帯。
一日ほど経ったのだろうか。もっと経っているかもしれない。
時間の感覚が鈍いのは、魔女だからとしておこう。
聞き覚えのある声に起こされ、繭から足を投げ出して下を見る。そこで今度はアルクトスがティータイムと言わんばかりのセットを準備しているではないか。
どこから持ってきたのかすら分からないテーブルに真っ白なクロスをかけて、同じ真っ白なポットとカップ。目立つ金色のケーキスタンドには、小さな甘味がいくつも載せられている。
……どうしてこうなった?
「どうです? どうです? 気になるでしょう? いくらでも召し上がってください」
案内人のような動作で、籠から降りて準備したテーブルセットに座るように示された。
アルクトスは騎士のはず。鎧や剣を身に着けているし。騎士がティータイム? しかも私に誘いを? どうしてこのようなことをするのかさっぱり分からない。
疑問しか浮かばない光景。ちっとも動かなければ、アルクトスは躊躇することなく、枝葉の階段を軽い足取りで上り、コチラまでやってきた。
「お加減悪いですか? 食べたり飲んだりした跡がないですし」
かがんで顔を覗いてくる。本人は至って真面目なようだ。
「うるさい。私は何も食べずとも死なない。だから食べない」
「ええ!? それじゃあ磨いてきた腕前を披露出来ないじゃないですか! そんな!」
「勝手に磨いてきた腕を披露するな。早く帰れ」
「ううっ……そんなぁ……」
捨てられた子犬のように、あからさまな気落ち。
面倒くさいことこの上ない。何で私につきまとうんだか。
「どうしよ、あとはアレとソレと……あ、でもそれはもっと時間が……」
しょぼくれながら独り言を続けるアルクトス。なんのことを言っているのか知らないが、いちいち声がうるさい。
……待てよ。どうやってこの騎士はここへ来たんだか聞いてない。
人が立ち入る事もできないこの森から出て、また入ってくるなんてこと、人にできっこない。
「あれ、シルワ様? どうかされましたか?」
「どうもこうもない。何故ここに来ることができる? 私は森に魔法をかけているはずだが?」
「えー? なんとなく? こっちかなって方向に行くとたどり着けますよ!」
なんとなくだけで、ここへ来れるわけなかろう。
魔女の私が、この森にかけた魔法だぞ。人が入ってこれぬように複雑化させた魔法をかいくぐるなど、できてたまるか。
何か魔法を無効化、あるいは道しるべになる物を持っているとか?
考えても分かるはずないか。
しばらくこの森から出ていない。外の情勢も知らない。新しい道具が誕生していても分からない。
「大丈夫ですか? シルワ様。頭痛がします? 痛み止めなら持ってますよ」
「気にするな。お前の煩さと存在に頭を抱えているだけだ。だから帰れ」
「シルワ様が俺のことを考えてくれている……! なんて喜ばしいことだ! 今日は記念日だ!」
「は? 頭に蛆虫が湧いてるのか?」
両手を広げて喜びを全身で表している姿に、思わず私の口の悪さが出た。すると。
「シルワ様とお話出来た! 今日はお祭りにしましょう! 花火を上げないと!」
「うわ怖……なにこいつ」
駄目だ、何を言っても意味がない。何をしてもはしゃぐ。発言全てをプラスに解釈してくる。どんなに罵倒してもだ。
アルクトスが喜びのあまり、クルクルとその場で回っていると、鎧がカチャカチャと音を立てていた。
ずいぶんと豪華な鎧だ。森で死にかけていた子どもがこんな大きくなって、立派な鎧を纏うことになるとは。まあ、中身は子どものようだが。
言葉にしたら余計に煩そうだし、黙って鎧の観察をしていたら、赤黒い汚れが鎧の前方付近についていた。目を凝らしてみると、拭いたような痕跡も見受けられる。色といい、掠れ具合といい、これは血だろう。
鎧の外側につくとなると、返り血か。
「シルワ様? 何かついてます?」
喜びのステップを止めて、私の視線の先を見たアルクトスは気づいたようだ。その汚れを隠すように手で覆って、身体を捻る。
これで私の場所から汚れは見えない。そうまでしめも、見せたくないのだろう。
「お前、先日は西から何かが攻め入ったと言っていたな?」
「あれー、俺、そんなこと言いましたっけ? オボエテナイナー」
口笛を吹いてごまかす姿にはあまりにもわざとらしい。
「お前は私に嘘をつくのか?」
「滅相もない! 俺はシルワ様に嘘なんてつきません! 断じて!」
「ほう。では、再度問おう。西の国が攻め入ってきて、お前は何をしてきたんだ? 騎士団の団長ともあろうお前が、戦地の視察だけではなかろう?」
「うっ……ま、まあ? 確かに、そうですけど……あんまり言いたくないというかなんというか……」
どうも言いたくないらしい。嘘をつくことはやめたようだが、歯切れが悪い。
これが本当にいち国の騎士団トップなのか。情けない姿ばかり見ているぞ。
無言でアルクトスを見続けていると、苦い顔をしながらしぶしぶ話し始めた。
「西から敵勢力――アガンスティアンコル国の兵士がやってきていました。武装し、我が国ディアルトの領地に踏み込んだ時点で、即刻退去を求めましたがそれを拒否。目的を聞きましたが、話に応じなかったために、殲滅する運びとなりました」
「それで?」
「それでっ!? えっと、ひとり取り逃がしましたが、他戦力は鎮圧に成功。後処理はほかのものの任せてきた……というわけです」
「ほう。その返り血というわけか、それは」
「うう……シルワ様にこんな血なまぐさい話はしたくないし、見せたくなかったんですってばぁ」
魔女として、自他の死はいくつも出会ってきている。今更人が揉めるような話を耳にしたところで、何も感じない。
また人間が揉めているのか、とあきれる程度だ。
それでも、人間のアルクトスは「イヤだったのに」と文句を垂れ流している。
人はいつだって争う。
いつの時代も。
血で血を洗うような、醜い争いを繰り返す。
その被害者はいつだって無力な人。
搾取され駒にされて捨てられる。
かつての私のように。
「そのようなもの、別に放置していればいいものを。人間とは面倒でならないな」
足を組み、頬杖を突きながらぼやけば、アルクトスは何処か歓喜に満ちた顔をしてこちらを見ていた。
何か変なことを言ったつもりはないが……。
「シルワ様との長文での会話……! 嗚呼、生きててよかった……!」
あ、駄目だ。
こいつ、本当に何を言っても喜ぶんだった。会話してもしなくても、勝手にひとりではしゃぐんだった。
だが、いい加減耳障りだ。
「おい、いちいちうるさい。そろそろ黙れ」
「はい! 黙ります!」
口ではいい返事をしていても、口角がぐっと上がって目尻が下がっている。
顔に感情が現れすぎだ。
騎士というより、犬。
見えない尻尾がはちきれんばかりに、振られている。
私はなんとも面倒な人間に手を貸してしまったんだろう。
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