第2話 だから結婚してください
「はぁ……」
迷いの森の奥。
私しかたどり着けないよう木々で覆い隠したところに私だけの居住スペースがある。
長年育ったのであろう大きく太い木の幹。その上に、半ば強引に魔法で幹や枝を伸ばさせて床を作った。そこへ向かう階段もだ。
ベッドやテーブルも置けそうなぐらいそこそこ広い私だけの場所。
ここは快適だ。雨風も魔法を使えば天井や、壁を作れる。人も来ない、魔物も来ない。誰にも見つかったことのない素敵な場所。だけど、基本は眠るだけなので上から吊るす繭のような籠を作ってその中で眠る。だって木の下だと、足元からの雨水や魔物が騒がしい。枝葉で隠されている木の上で過ごすなら、そんな心配がないというわけだ。
誰かを招くこともないので、自分の好む場所さえあればいい。たまに場所を変えてみるが、今はここが過ごしやすくて気に入っている。
今日は久しぶりに付近を歩いてみた。多分数年ぶりに。
魔女には永遠の時が与えられる。歳も取らない不死の時が。一年なんて瞬きするほどの一瞬。
寝るか歩くかでしか暇を潰せないのだから、魔女とは退屈だ。
たまたま退屈しのぎで歩いたのが失敗だった。
どういうわけか私のテリトリーに入ってきたあの騎士。面倒な気配がしたし、声を出したのも久しぶりですごく疲れた。
昨日のまま残してある枝の繭に身体をねじ込み、膝を抱えるようにして目を閉じた。
☆
「ん?」
何か香ばしい匂いが鼻を突く。
重い瞼を開けて身体を起こし匂いのする方を見てみれば、そこに人影があった。
「あ、おはようございます! 今、朝食を作っていますのでもう少しお待ち下さい」
「……は?」
薪を焚べ、鍋を火にかけながら、隣で何かを切っている男……あれは昨日の騎士ではないか。名をアルクトスといったか。
どうしてこの場所に来ているのか?
昨日追ってこないために、足跡も道も消して帰ってきたというのに。
どうやってここへきたのか?
「おまたせしました。こちら、我が国特産の野菜を使った特製スープです」
あれこれ考えているうちに、騎士が料理を器に盛って運んできた。
手には木の器に盛られた白いスープ。赤やオレンジの具が少しだけ見える。
スープから騎士へ目を移す。昨日と変わらない鎧姿。汚れはないが、傷がついた鎧だ。確実に同じ人物。そう、見知らぬ騎士である。
笑顔をこちらに向けて「どうぞ」と差し出してきた。屈託のないその表情。敵意はない様子。こんな顔を過去に見たことのあるような、ないような……。
「……要らない」
知らない人の手作り料理。何が仕組まれているのかわからないのだから、おいそれと貰うわけない。
仮に毒が入っていても魔女たる私には効果がないけれど。
「味には自信ありますよ? こう見えて俺、団内でも料理はめちゃくちゃ上手いって人気なんで」
だから?
そう浮かんだ言葉は飲み込んだ。
「そっか、食べないかぁ……じゃあ、何が好きとかあります? それを練習して、今度作りますんで」
「……要らない」
「そんなぁ。シルワ様は何だったら召し上がります?」
「何も」
「そんなぁ……」
見て分かるほどに肩を落とす。
作ったスープを料理場へ持って置く。まだ火にかかる鍋を見つめながら、両手人差し指をくっつけて、残念がる。
あからさまな行動、何処かで見たことが――
「聞きたいんだが、お前はどうしてこんなことをする? 過去にどこかで私に会ったか?」
「わぁぁぁぁ! 思い出してくれたんですね! 嬉しいなぁ! 俺、アルクトスですよ。ほら子供の頃、シルワ様が助けてくれたっ! ほら、見てくださいここの傷。シルワ様が俺に治癒魔法を使って塞いでくれた跡です。他にも足にもあるんですよ。シルワ様がいらっしゃったからこそ、俺は生きているんです。シルワ様と別れた日からすっとお姿を忘れられなくて。俺はずっとシルワ様一筋で――」
つらつらとアルクトスの重い話を聞き流していながらも、途中で堂々と見せつけてきたのは、首に残る傷跡。それが古い記憶を呼び起こした。
十年ちょっと前、この森に人の子が迷い込んだ。
正確に言えば、人の子がこの森に捨てられた。
怪我で足が不自由になり、立ち上がることが困難になったために将来働くこともできない。なのに腹は減るから食べるものを与えなければならない。当時は争いが絶えず食糧難だったから、役に立たない子に食を与えられるほど余裕もなかったのだろう。
口減らしにこの森に捨てられて、運悪く魔物に襲われて首に致命傷を負っていた。
魔女の誕生は魔女しか知らないが、魔女は本来普通の人間。死に際の思いや恨み、悔やみが人間としての死を迎えたあとに、魔女としての生を与える。
人の子を見つけた当時の私は、魔女になりたてでまだ人を憎んでいたけれど、人の心に近いものがあった。
血の沼に溺れる子どもを哀れに思った。このまま死んだら、自分のように恨み募った魔女になるかもしれないと思った。
見殺しにすることだってできた。
『しにたく、ない』
掠れた小さな声は生に縋っていた。
こんなに儚い命が消えそうだ。私の中の人の心が助けろと叫んでいた。
そして虫の息だったその子を私の魔法で治療した。
一命をとりとめ、すっかり元気になったのを確認してから子どもを転移魔法で国へと送ったのだが……まさかそのときの子がこの騎士か?
首を振り、現実を見る。
確かにあの子と似ている。いいや、傷からして確実に同一人物と見たほうがいい。
なんと時の流れとは早いものだ。
私はあの頃から何も変わっていないというのに。
「俺、大人になったらシルワ様と結婚するって決めてたんです。やっと大人になって、実行する日が来ました。シルワ様、結婚してください!」
アルクトスはまたしてもひざまずく。
その手には指輪が入った小さな箱が。
キラキラと角度によって輝きを変える宝石がついた指輪が中に入っている。
一般的な女性なら歓喜するだろう。
長年関係を築いてきた二人なら。
私とアルクトスはそんな関係ではない。ついさっき、面識があったことを思い出したような関係。
勝手に舞い上がられても迷惑だ。
「断る」
「駄目です」
「はぁ?」
何故一方的に言われて、断れないのだ。それはあまりにも理不尽だぞ。
文句の一つでも言わなければ、苛立ちで森にかけた魔法が崩れかねない。まだ魔女としてはそこまで長い時を過ごしているわけじゃない。感情で魔法が乱れることもある。
一度深く呼吸をして、文句を言おうとしたら、アルクトスは私ではなく、何処か遠くを鋭い目で見つめていた。
「シルワ様。一度身を隠してお過ごしください。嗚呼、迷いの森たる特殊魔法でさらに警戒を。ここから西の方角に、他国の兵が来ております。俺は一旦それを散らしてきますので。それでは、お気をつけを」
アルクトスは「絶対隠れていてくださいね!」と言うと、勢いよく西へと駆け出した。すぐにその背中は見えなくなる。
「なんだ? 西? 他国……どうでもいいか、私には」
誰が来ようと関係ない。
そもそも森には人が立ち入れない。何が起きようがどうでもいい。
アルクトスの言う通りにするのは癪だ。別に隠れなくても、いつも通りの生活をすればよい。
いつも通りといえば、眠るぐらいしかないが。
「ふぁぁぁぁ……」
匂いで起きてしまったが、眠気がまた来た。
大あくびをしてから、籠の中ですぐに意識を手放した。
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