第5話
「供回りもつけず単身でとは……一体何が目的なんだ?」
「さぁ、それはなんとも。ただどうやら、帝都へ向かっているらしいよ」
『奇天烈令嬢』アリス・ツゥ・ヘカリスヘイム。
その奇妙な二つ名は、もちろん帝国にまで轟いている。
天才的な魔道具作りの才能を持つ、ヘカリスヘイム家の才女。
それ以外の情報は、帝国にはほとんどない。
ヘカリスヘイム家と王家が完全に彼女を囲い込んでしまっているため、まともな情報が取れないからだ。
「彼女が来るとしたら、なぜ事前にファセット側から連絡が来ないのだ?」
「向こうが帝国をナメてるからじゃないかな? ファセットってわりとそういうところあるし」
ファセット王国は歴史こそあるもののこれといった特徴のない、平凡な国だ。
だが大した産業が興った訳でもなく、新たな交易路も開発されていないというのに、ここ最近ファセットの景気は上向いている。
その理由は、アリスを抱えるヘカリスヘイム家にある。
彼女が作り出した魔道具を他国に輸出することで、とてつもない外貨を稼ぎ出しているのだ。
魔道具の修理やメンテナンスなどもヘカリスヘイム家を通す必要があり、その際もあちらの言い値を払っている。というか、払うしかないのだ。
アリスの魔道具は、彼女にしか作ることができない。
どれだけ研究を重ねてもその技術を習得できる人間が出てこない、全てがワンオフの一点物なのだ。
故に彼女の作る魔道具には、とてつもない値段がつく。
アリス謹製の魔道具は下手な小国では払えないほどに高価だが、その効果は目を疑いたくなるほどに高い。
実際時の皇帝であるラケルも、彼女が作った魔道具を持っている。
彼が所持しているのは、『身代わりのマグカップ』。
命に関わるようなダメージを肩代わりしてくれるマグカップである。
きれいな花柄をしていて、陶器のため肩代わりしなくても割れかねないという致命的な欠点がある。
普通こういうのってミサンガとかブレスレットとか、身につけるものにつくんじゃないかとは思いながらも、ラケルは常にこのマグカップを持参するようにしていた。
常にマイカップを持っているため、急な茶会にも安心である。
「だとしたらこれは……チャンスだな。今ならもしかすれば、魔道具の注文ができるかもしれない」
まさかアリスが婚約者であるハイケの身勝手で国を追い出したなどとは、想像もしていなかった。
恐らくは身分を隠しての小旅行か何かだろうとあたりをつけたラケルは、単身で帝城を抜け出し彼女に会うための準備を整え始めるのだった――。
ラケルが城を抜け出すのは、これが初めてではない。
常に民の声に耳を傾けようとしている彼は、空いている時間を見つけては城下町へ下り、民から直接話を聞いたりすることも多いのだ。
いつものように準備を整え、念のためにマグカップをしっかりと持ったラケルは、アリスの泊まっている宿屋へと突撃し――そしてラケルは、彼女と出会った。
「ヘカリスヘイムの名は捨てました。先ほどはああ言いましたが、今の私はただのアリスです」
初めて目にするアリスは、ラケルがあまり接したことのないタイプの女性だった。
オッドアイを見るのは初めてのことだったが、彼は彼女を美しいと思った。
見た目だけではなく、心も。
皇帝であるラケルに対しても物怖じせず物を言える人間は少ない。
久しく聞いていなかった口ぶりに、思わず自分が魔道具製作を依頼しようとしていたのを忘れてしまったほどだ。
「私は第二の人生を、誰かを助け、支えるために生きるつもりです。それが魔道具作りになるのか、それとも魔物を討伐する冒険者になったりするのか、はたまたどこかで勤めるのか……それはわかりませんが、次の人生は自分で選択した未来を進むと、そう決めたのです」
毅然と告げるその表情は、とても絵になっていた……身につけている服のアンバランスささえなければ、呆けてしまっていたかもしれない。
なぜ頭にねじり鉢巻きを巻いているのだろうか……とじっと見つめていたら、思わず笑いがこみ上げてきてしまった。
「ぷっ……」
「ちょ……何がおかしいんですかっ!」
「何がって……全部が」
ねじり鉢巻きの上にナイトキャップというのが、わけがわからなすぎて最高だった。
(こうして笑ったのは……いつぶりだろうか)
皇帝という仮面をつけた彼の笑いとは、そのまま愛想笑いとイコールだ。
だが不思議と彼女を見ていると、自然な笑みが浮かんできた。
最後に心から笑ったのが何時だったか、ラケルは思い出すことができなかった。
「では……またな」
一通り話をして、その場を後にする。
話を聞いたところ、彼女は祖国を追放されて帝都へやってきたとらしい。
少し話せば、アリスが色々と変わっているのはすぐにわかった。
恐らくそのあたりが、ファセットの王族の逆鱗に触れたのだろう。
まったく、もったいないことをするものだ。
(しかし……アリスはどうやら本格的に、帝都に腰を据えるつもりらしいな)
古来より急いてはことをし損じるという。
焦らずとも、いずれまた近いうちに話をする機会でもやってくるだろう。
帝都に彼女がやってきて、何も起こらないはずがない。
一体どんな奇天烈なことをしでかすのか。
ラケルはそれが、楽しみでならなかった。
きっとこれから帝国はもっと面白くなる。
なぜだかそんな確信が胸を支配した。
気付けば今まで感じていたはずの胃のむかつきは消え、ずいぶんと心が軽くなっている。
私室に戻れば、ラインハルトが驚いたような顔をしている。
「憑きものが落ちたみたいな顔をしてるけど……何かあったの?」
ラケルは今あったことを話そうとして……そのままむんずと口を閉じる。
友人であるラインハルトは、自分と同じくらいに好奇心にあふれている男だ。
彼に話をすれば、間違いなくアリスに興味を持つだろう。
なぜだかそれは面白くないような気がした。
だからラケルは少し控えめに、
「面白い女性だったな……腕の良い魔道具職人は変わっていると聞くが……あれは事実のようだ」
と、嘘ではないが本音でもない言葉をつむぎ、お茶を濁すのだった。
――また近いうちに彼女に会いに行こうと、心の内で決意を固めながら。
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