第30話 一つの決意


(違う! ここはクレオン世界の1000年後ではあっても、ゲームの世界じゃない――なんだ!)



 そう。俺が今いるこの世界は、既にゲームから現実へと変わっている。

 生きている人間もNPCではなく、れっきとした感情を持つ存在。

 それは俺の中にあるゼロスの記憶がはっきりと証明している。


(だとするなら魔物も人と同じように、感情を持つ存在になっている? だからこんな風に、こちらの考えを逆手に取るような行動を取れるのか?)


 かなり答えに近づけたような感覚がある。


 だが、まだ足りない。

 本当に魔物が感情と知能を持つのなら、これまでのダンジョンでそれに気付けなかったのは何故だ?

 ここ【冥府めいふ霊廟れいびょう】とそれ以外に、いったい何の違いが――



(――そうか、だ)



 ――その時、俺の中にスッと答えが落ちてきた。

 確信の中で、俺は情報を整理する。


 まず、魔物が人と同じようにAIではない知能を持っているのは間違いない。

 だがダンジョンの仕組み上、新しく生まれた個体の記憶がリセットされることに変わりはないのだ。

 だからこそ、俺はこれまでのダンジョンでその変化に気付くことができなかった。


 しかし、ここは隠しダンジョン。1000年間挑戦者はおらず、誰も魔物を倒すことがなかった。

 さらにダーク・ソーサラーは不死者アンデッドであり、寿命で死ぬこともない。

 つまり誰にも倒されぬまま1000年間、ヤツがここで知恵を絞り続けてきたのであれば――


(ダーク・ソーサラーは元々知力に長けた存在。自力で成長する手段を見つけてもおかしくない!)


 答えに辿り着けたことで、俺は先ほど抱いた違和感の正体も悟る。

 鉛の骸兵アンレッドソルジャーとの戦闘時、窪みに落ちた一体が、他の個体を足場に這い上がろうとしていた。

 軽く見逃してしまっていたが、アレもゲームでは見なかった行動だ。


(そうか。あの行動も恐らく、このダンジョンで長い年月を過ごしていく中で学習したものだったんだろう)


 これでようやく、全ての状況を把握することができた。


(だけど、これが分かったところで、結局は何の意味も……)


 しかし残念ながら、その事実が状況を改善させることはなかった。

 それどころか、今のダーク・ソーサラーは自分の考えで動いているため、システムの脆弱性をつくなどの裏技は通用しないという事実を突き付けられただけだ。

 俺が身動きを取れない以上、このまま成すすべなく殺されるしかない。


 そんな現実を認識した瞬間、止まっていた時間は再び動き出す。

 彼女の声が鳴り響いたのは、その直後のことだった。



「ゼロス! 大丈夫!?」



 叫びながら、シュナが俺のもとに駆け寄ってくる。

 そんな彼女に向け、俺は声を絞り出すようにして言った。


「すまないシュナ、俺のミスだ。ヤツが状態変化を隠し持ってることも、攻撃対象を俺からシュナに移すことも読めなかった」


「そんなこと今はいいよ! それよりも私を庇って、こんな目に遭うなんて……」


 罪悪感に呑み込まれそうになっているシュナ。

 そんな彼女を前に、俺は改めて自分の状態を確かめる。


(拘束が解けるまでは、もう少しかかりそうだな……)


 冥鎖闇球めいさあんきゅうによる拘束効果はまだ解けていない。

 ここから俺に取れる手段など、もうたった一つしか残されていなかった。

 つまり、



(こうなった以上、シュナだけでも逃がすしかない……!)



 ゲームでも、これに似た状況はよくあった。

 新ボスの実装直後、意気込んで挑戦するも初見のスキルを前に呆気なく惨敗。

 そういう時、重要なのは少しでも早く敗北を受け入れ、被害を最小限に抑えることだった。


 そして現在、このままだと俺とシュナの両方が死ぬことになる。

 そうなるくらいなら、まだ自由に動くことでき、そして何より俺の判断で巻き込んでしまったシュナだけでも生き延びることに懸けるのがベストだった。


 不幸中の幸いというべきか、【冥府めいふ霊廟れいびょう】のボス部屋は密室ではないため、戦闘開始後にも逃げ出すことができる。

 彼女のレベルなら、道中の魔物から生き延びることも可能だろう。

 決断するなら少しでも早い方がいい。


『ケラケラケラケラケラ』


 気味の悪い笑い声を零しながら、冥鎖闇球を出現させるダーク・ソーサラー。

 ヤツを視界に収めつつ、俺はシュナに向かって言った。


「とにかく、シュナだけでも逃げてくれ」


「……どういう、こと?」


「言った通りだ。このままだと二人まとめてやられるだけ。それなら、シュナだけでも生き延びた方が――」


「ふざけないで!」


 俺の言葉をかき消すように、シュナは叫んだ。


「……シュナ?」


「私たちはパーティーなんでしょ!? なのにそんな、一人だけ置いて逃げ出すなんてこと絶対できない! ここまで私を引っ張ってきてくれたゼロスがピンチになったのなら、今度は私が助ける! だから――」


 シュナが構えた杖の先に、眩い光球が出現する。

 そして彼女の視線は、真っ直ぐとダーク・ソーサラーが操る冥鎖闇球に向けられていた。


『キキキィ!』


 けたたましい声と共に、ダーク・ソーサラーは冥鎖闇球を解き放つ。

 こちらの対応を警戒してか、ヤツは闇の魔弾を空中で縦横無尽に動かしながら、俺たちに放ってきた。


「私だって、ゼロスみたいに……」


 だが、それでもシュナは真剣な眼差しで魔弾の動きを追い続ける。

 それは俺がパリィを使用する際、タイミングを見計らうべく集中している姿によく似ていた。


(まさか……)


 戸惑う俺の前で、とうとうシュナは叫んた。



「――セイクリッド・ミサイル!!!」


『ッッッ!?』



 放たれるは、眩い巨大な光球。

 それは見事に宙を駆ける魔弾に衝突し、直後、強烈な爆風が吹き荒れた。

 耳をつんざくような爆発音と、迷宮全体に至るほどの激震が走る。

 数秒後、砂塵が消え失せた時――光球と魔弾は消滅し、誰一人としてダメージを負っていなかった。


 その結果を前に、俺は思わず目を見開く。


(……驚いた。まさか、なんて)


 それ自体は、クレオンでもごくありふれた対処方法。

 タイミングはシビアだが、魔法を剣でパリィするよりは難易度も低く、経験を積んだトッププレイヤーの大半なら再現可能な技術だ。


 しかしまだ実戦経験も少なく、そして失敗すれば死という恐怖の中で成功させてみせたシュナの胆力は、まさに驚愕の一言に尽きた。


「はあっ、はあっ」


 緊張から解放されたせいか、シュナは息を切らしながらも、俺に向かって右手を伸ばす。



「だから――だから帰る時は、二人一緒にじゃないとダメなの! 一緒にここから生きて帰ろう、ゼロス!」


「…………」



 転生してから今にいたるまで、俺はどこか夢の中にいるような気分だった。

 だけど違う。今の彼女シュナを見て、俺はようやく分かった。

 それは頭では理解できていても、きっと心の奥底では分かっていなかったもの。


 ここはゲームではなく、現実だ。

 魔物も人も関係なく、確かな意思を持って生きている。

 こちらを嘲笑うような行動を見せたダーク・ソーサラーも。

 俺を見捨てられないと叫び、勇気を振り絞って立ち向かったシュナも。



 そして他でもない――も、この世界げんじつに生きるただの人間だ。



「――――!」


 それを自覚した瞬間だった。


 目に映る景色が、急激に色づいていくような感覚がした。

 視界だけじゃない。嗅覚、聴覚、触覚――全ての感覚が鮮明になっていく。

 ここが『クレオン』の世界ではない現実だと、自分自身に証明するかのように。


(そうか……きっと俺は今まで、心のどこかでここがクレオンの延長線上の世界でしかないと思っていた。だけどそれは違ったんだ)


 自覚した直後、タイミングを合わせたように俺の拘束状態も解除される。

 俺はそのままシュナを見上げた。


「……ありがとう、シュナ」


 シュナが差し出した右手を掴み、俺はゆっくりと立ち上がる。


 彼女の言う通りだ。

 ここは現実。仲間を失って得られるものになど、何の価値も存在しない。


「……っ! うん、ゼロス!」


 そんな俺の変化が分かったのだろうか。

 シュナはホッとした笑みを浮かべたまま、嬉しそうに頷いた。


 しかし、残念ながらこれでハッピーエンドというわけにはいかない。

 まだ戦いは終わっていないのだから。



『キキィィィイイイイイ!』



 俺たちの間に流れる穏やかな空気を断ち切るように、ダーク・ソーサラーが雄叫びを上げる。

 また冥鎖闇球を撃ってくるつもりなのだろうか。

 俺とシュナはそれぞれ剣と杖を構え、ダーク・ソーサラーに視線を向けた。


「ポーションのおかげで、あと一発は魔法が撃てるから。せめて、逃げる時間くらいは稼いでみせ……」


 シュナの言葉が途中で止まる。

 そうなってしまうのも仕方のない、絶望的な光景が俺たちの前に広がっていた。


 ダーク・ソーサラー状態変化前を含め、同時に二つまでしか冥鎖闇球を使ってこなかった。

 しかし今、ヤツの周囲には合計もの魔弾が浮かび上がっていた。

 少量ずつ撃っても通用しないと考え、ああいう手段に出たのだろう。

 限界を超えた行使。まず間違いなく代償が存在するはずだ。


「そんな! これじゃ、セイクリッド・ミサイルで防ぎきれない……」


 絶望の表情を浮かべるシュナ。

 しかしそんな彼女とは異なり、俺に戸惑いはなかった。


「シュナ、敵の魔法はもう撃ち落さなくていい。それよりも、残り一発はヤツの闇纏あんてんを破壊するために温存しておいてくれ」


「えっ? それって、もしかして……」


 俺は剣を構え、最終手段に出たダーク・ソーサラーに相対する。

 今の俺にはある確信があり、そして既に一つの決意を終えていた。


 絶望的な状況だが、これに対抗できる術が一つだけ今の俺にはあった。

 それは『クレオン』において――つまり、元世界ランク1位だったゼロニティでもまず不可能な方法。

 だが、シュナの言葉でこの世界が現実だと理解した今の俺なら、実現可能だという確信がある。


 これまでの俺は深い考えもなく、いつの日か最強だった前世の自分を超えようと思っていた。 

 だが、それでは足りない。

 俺はシュナに軽く微笑み、この状況を覆すための決意を伝える。


「ああ、シュナの想像通りだ」


 そう。つまりこれは―― 




「――ヤツの魔法は、全て俺が斬り落とす」




 ――この瞬間、かつての最強オレを超えるという決意だ。

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