第5話 旅の準備

 

 18年住んだ家の不動産手続きを終えた。

 優しくて暖かかった母親との思い出。厳しくも優しく、生きるすべを叩き込んでくれた父親との思い出。大切な思い出は心に刻み、最低限の荷造りをして我が家を後にした。


 ギルドに行くと既に二人は待っていた。

 えらくエミリーの機嫌がいい。


「あれ、ごめん。待たせたか?」

「いや、さっき来たとこだよ」

「そうか。で、エミリーえらく上機嫌だけどどうした?」


 理由は大体分かっている。が、ずっとニコニコして鼻歌を奏でているエミリーに話を振った。


「ふふふ。今の私は大金持ちだよ! こないだの報酬十倍にしたからね!」

「スレイプニルレースで大勝したらしいよ」

「世界のギャンブルを楽しむ軍資金が出来たよ!」


 ユーゴの率直な思いは、安堵だった。

 当分は食事を奢らなくてもいい、それだけで負担が軽減された気がした。

 そもそも、彼女がギャンブルに負ける度にユーゴが奢ってやる必要は無いのだが、数年の付き合いでそれが当たり前になっている。慣れとは怖いものだが、トーマスはそれを口にはしない。自分に降りかかるのを防ぐためにも。


「よし! じゃあ、ダンさんのとこに行くか!」


 ロックリザードの体皮をダンの店に持って行って、三人分の防具をお願いしていた。

 スキップで移動するエミリーを先頭に、鍛冶屋街に向かう。


 

 三人がパーティーを組んで、もうすぐ三年になる。

 ユーゴは15歳になった頃から、一人でギルドに行くことが増えた。そこで知り合い、一緒に依頼を受けたのがトーマスだった。トーマスとは同い年という事もあり馬が合った。何より盾役として信頼出来た。


 二人で依頼をこなすにつれて、回復サポート役の必要性を感じ始めた頃、道を歩いていると目の前の女が倒れた。放っておく訳にもいかず病院に運んだが、無一文でご飯を食べてないだけだった。

 言うまでもなく、それがエミリーだ。

 ご飯を奢り喋っていると、私は回復術師だと言う。次の依頼に付いてきてもらったところ、依頼の効率が跳ね上がった。

 食事のお礼で偶然今のパーティーが出来上がったと言う訳だ。


「エミリー、旅に出るってのに今日も手ぶらなの?」


 既に皆が数年住んだ自宅を引き払っている。にも関わらず、何も持たず身軽なエミリーに対してのトーマスの問いは当然の事だった。

 エミリーはいつもバッグすら持たない。常に手ぶらだ。旅に出るというのに何も持っていないのは流石に心配になる。

 

「は? いっぱい持ってるけど? てかあんた達なんでそんな一杯背負ってるの?」


 二人の頭にハテナが浮かぶ。何を言っているのかさっぱり分からない。

 するとエミリーが色んな物をさせた。


「ちょっと! どうやってんの!?」

「え? もしかして空間魔法知らないの!?」


 勿論二人は何の事か分からない。

 どうやらエミリーは、異空間を生成してその中に全ての荷物を収納しているらしかった。


「そんな便利な魔法があるなら早く教えてくれよ!」

「だって、聞かれなかったらみんな知ってると思うじゃん!」


 しかし、教えて貰った所で二人とも出来なかった。どうやら、エミリーの特異能力らしい。


「みんな出来なかったんだ……なんでカバンなんて持ってるんだろうと思ってたんだ。ただのオシャレだって聞いてたけど……」

「魔力消費量とかは問題ないのか?」

「うん、ほとんどないよ。私にとっちゃ呼吸と同じ」


 荷物持ちは決まった。

 男二人は自分の体重近い重さのリュックを背負っている。それが無くなるだけで、どれだけ旅が楽になるかは考えるまでもない。

 間違ってもお金は預けられないが。


「なんて便利な能力なんだ……」

「エミリー様々だな」

「これからは何も言わずにご飯奢りなさいよ!」

「それはまた別の話だ! けど今までのはチャラにしよう」


 どうりでお金を銀行に預けない訳だ。

 自分だけの異空間など、セキュリティに関してはこの上ない。気を失おうが酔いつぶれようが、盗まれる心配は全くない。


「いや待て、こないだのロックリザードの体皮を運ぶ時、空間魔法の事言ってくれても良かったよな?」

「だってみんな戦利品は袋に詰めて帰るじゃん? 魔物倒したぜ! っていう凱旋の意味もあるのかと思ってたんだよ」

「なるほど……体液とか臭いとかあるもの入れても大丈夫なのか?」

「問題ないよ。空間分けたら良いだけだし、臭いがこもる事もないよ」

「素晴らしいな……旅の途中の戦利品も持てないからって捨てるって事も無いわけだ。エミリー、オレは君を見誤っていたよ……」

「ふん! 分かればよろしい!」


 エミリーは、無い胸を張って威張った。

 


 そんな話をしているうちに鍛冶屋街に到着した。

 

「ダンさん、おはようございます」

「やぁ、おはよう。良いの出来てるよ」


 ロックリザードの革鎧だ。篭手こて脛当すねあてもある。

 あの風貌の魔物の皮だ、もっとゴツゴツしているのかと思ったが、案外スッキリしている。


 早速身に付けてみる。

 意外にも伸縮性があり、身体にフィットする。とても動きやすく、しかもかっこいい。

 騎士が装備するプレートアーマーよりも、大抵の冒険者は軽い革鎧を好む。

 町を移動するには数日を要する。重い防具では、無駄に体力を消耗するというのが主な理由だ。

 

「トーマス君にはこれもあるよ。鋼鉄の盾よりよっぽど頑丈で軽い」


 縦長六角形のロックリザードの革盾だ。

 ユーゴの魔法剣が全く通じなかった程の硬い鱗で造られた盾は、手の甲で叩いてみると金属とは全く違った音が帰ってくる。ただ圧倒的に軽く上質で、今までの三級品のカイトシールドとは全く比べ物にならない。


「これは軽い。ありがとうございます!」

「エミリーちゃんの杖も出来上がってる。Aランクの魔物だけあっていい魔石だ」


 拳大の新しい魔石を埋め込んだ杖だ。陽の光を反射して、薄紫色に輝いている。


「わぁ! ありがとう!」


 杖を抱きしめて満面の笑みだ。

 ギャンブル狂いでなければ、普通の可愛い女の子なのだが。


「ダンさん、お世話になりました。ありがとうございました!」

「気をつけてね。行ってらっしゃい」


 

 今夜から当分は野営。美味しいお店の食事もお預けだ。今後の旅の進路の確認と、少し早い昼食の為に行きつけの食堂に入る。


 トーマスがテーブルに、ウェザブール王国の地図を広げた。

 ユーゴは自分が暮らしている国の地図を見るのは初めてだった。そんな彼の表情を察してか、トーマスは詳しく説明を始めた。


「まずここがウェザブール王都、その北東に僕達がいるゴルドホークがある。ユーゴの希望通り『リーベン島』を目指そう。ルートは、まずはここから南南西に伸びた街道に沿って『レトルコメルス』の町を目指す。そこから南東に行ったら港町『ルナポート』だ。そこから船でリーベン島に向かう」


 エミリーは興味無さそうに、頬杖をついて地図を眺めている。対照的にユーゴは初めて見る地図に興味津々だ。 

 

「もう一つは、南の森を南南東に一直線に突っ切るルートだ。街道も魔物は出るけど、森は段違いだ。夜もおちおち眠れないと思う。おすすめは、森を避けて街道で行くルートだね」

「トーマスがそう言うならそっちで行こうよ! お姫様がゆっくり眠れるように護衛してよね」

「お前も見張りするんだよ」

「は? 荷物持ってやんないよ?」

「あ……ごめんなさい。護衛はお任せください」


 エミリーの権力が大幅に増している。それほどまでに空間魔法は素晴らしい。

 キャッキャと笑うエミリーに対して、不快に思うユーゴだったが、あの荷物を背負う事を考えると何も言えない。


 少し早い昼食を終え、店を後にした。


 まず目指すは、交易都市レトルコメルス。

 南南西に伸びる街道を進む。

 

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