第四十九話 アメリカの反撃1
アメリカ合衆国太平洋艦隊はお通夜だった。
ウィリアム・ハルゼーを筆頭とした優秀な指揮官となけなしの艦隊を失った事実は、彼らの心を確かに蝕んでいた。
唯一無事だったのは空母コロラドと駆逐艦六隻なのだからオーストラリア救援艦隊は壊滅と言っても過言ではなかった。
開戦から半年で散発的に発生した戦闘や潜水艦による被害も含めると既に戦艦五隻、空母三隻、重巡洋艦四隻、軽巡洋艦三隻、駆逐艦十二隻が失われていた。
さらに損傷して修理中が駆逐艦六隻と重巡洋艦一隻。
まもなく修理が終わり戦線に復帰する戦艦ワシントンとインディアを含めても現在の太平洋艦隊の残存兵力は戦艦ワシントン、インディア、カリフォルニアの三隻。空母に至っては戦闘機専門のコロラド一隻、他に重巡洋艦、軽巡洋艦が一隻づつと駆逐艦が三十二隻。
戦艦八隻、空母四隻を中心としたかつての太平洋艦隊は壊滅状態だった。
それでもオーストラリア救援作戦の後にようやく揃い始めた戦力により九月までには体制を整えられる予定だった。
パナマ運河が使えず南米大陸を大回りしてきた大西洋艦隊からの引き抜きと本来イギリスに輸出するはずだったボーク級護衛空母八隻。
そして、新たに大西洋艦隊に配備されていた戦艦の回航も決まったのだった。
だがニミッツには戦艦が足枷のように思えた。
執務室のデスクで艦隊再編の書類を精査しながら、頭を抱えていた。
彼の脳裏にはワシントン軍縮会議で日本が打った手が今になってアメリカを蝕む毒のようになっているのではないかとさえ思えていた。
元々ワシントン軍縮会議時点でのアメリカの保有戦艦は12インチ砲搭載のデラヴェア級戦艦二隻、フロリダ級戦艦二隻、ワイオミング級戦艦二隻。14インチ砲搭載のニューヨーク級二隻、ネバダ級二隻、ペンシルベニア級二隻、ニューヨークメキシコ級二隻、テネシー級二隻、そして16インチ砲搭載艦のレキシントン級二隻だった。
本来であれば12インチ砲の六隻は日本にならって廃棄したかったが、せっかく日本を六割の枠に収めたにもかかわらずその優位性を自ら破棄するのは安全保障上ふさわしく無いとされ廃艦にできなかった。
このため海軍休日時代には自らの艦の多さとそれらの維持に人員と予算が圧迫され近代化改修がままならなかった。
ワシントン軍縮条約の期限が切れ、ロンドン軍縮条約が事実上の破綻をした事で状況が変わった後も戦艦を取り巻く環境は変わらなかった。むしろ悪化していたと言えるだろう。
海軍は新たにノースカロライナ級二隻と、サウスダコタ級八隻の建造を開始した。
それでも恐慌の影響からか改修予算はつかず、旧式化した戦艦も自らのプライドのために廃棄することができないでいた。
それでも開戦までにサウスダコタ級四隻とノースカロライナ級二隻は就役していた。
このうちノースカロライナ級とサウスダコタ級は二隻づつが太平洋艦隊に配備され、老朽化していたワイオミング級とニューヨーク級を大西洋艦隊に送っていた。
このため開戦時の戦力は太平洋艦隊が戦艦八隻、空母四隻に対し大西洋艦隊は戦艦十六隻、空母三隻だった。
アメリカにとって主戦は欧州であり主役は大西洋艦隊だった。
太平洋には数の面で二戦級ではあるが新鋭艦を集中的に配備する事で均衡を保とうとしていた。
しかしその弊害で本格的な空母となるはずだった一万五千トン級中型空母は建造されず、戦艦は近代化改修もままならず速力は二十ノット程度と遅いままだった。
太平洋で大打撃を受けたことに動揺しながらもやはりアメリカの主戦は欧州であり続け、大西洋を突き進む為の大西洋艦隊が重要であった。太平洋に送った艦も戦艦ネバダ、オクラホマ、ペンシルベニア、アリゾナ、ニューメキシコ、ミシシッピと旧式戦艦ばかりだった。
それに重巡洋艦二隻と駆逐艦十隻、護衛空母八隻、そして空母ラングレー。
数の上では再び太平洋艦隊は復活したが、足の遅い艦ばかりでは不利になる事は今までの海戦から明らかだった。
そのことがニミッツには不満だった。
このままでは悪戯に疲弊し、蹂躙されてしまうのではないのかとさえ思えた。
そして彼自身も無自覚ではあったが航空主兵に舵をとっていた日本に対してアメリカ全体では航空攻撃は行動中の艦隊への攻撃に不利であると言う認識が強まっていった。
これは建造計画にも露骨に現れていた。失った戦艦の補充と拡大で、新たに十隻近くが予定されていた改ヨークタウン級航空母艦は建造数を八隻まで削減。
さらに建造中のサウスダコタ級戦艦四隻と、四万トン超えの高速戦艦六隻の建造に注力するために1941年とその次の年で建造される正規空母は三隻だった。
アメリカという巨人は目覚めたばかりでまだ戦時体制に移っていなかった。現状ではアメリカ国内の工場がフル稼働出来るようになるまで一年半はかかる。建造ラッシュが始まった軍艦は大型艦や主力艦では今から建造を始めるものが多く早くても二年はかかる予定だった。
さらに輸送船や貨物船と言った船はUボートで大損害を被っているイギリス向けの建造もあり年間1000万トンも浮かべなければならなかった。
最終的に日本の戦力を総合的に上回るのは1944年と言われていた。
しかしそれを待ってからの反抗はアメリカ政府には取れない選択だった。
アメリカ政府、もといルーズベルト大統領には時間がなかった。
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