第四十七話 断豪作戦 11


 オーストラリアの三大都市はいずれもオーストラリア大陸の東側に集中していた。その中でも最も北側に位置する都市ブリスベンの沖合に、艦隊が出現した。

朝日を背にして現れたその艦隊の先頭に立つ戦艦には日章旗がはためいていた。



 珊瑚海海戦と呼ばれる一連の戦闘が終わった後に日本海軍は人命救助のために駆逐艦二隻を残して残存艦艇をまとめ上げてオーストラリアへ進路をとった。辛うじて生き延びた米海軍の艦艇は健全なものはすぐさま空母と合流を急ぐべくニューカレドニア方面に退避して行った。

それでもその戦闘の結果は戦艦二隻、重巡洋艦四隻の損失と軽巡洋艦一隻、駆逐艦六隻の中破、または大破で米海軍にとっては大打撃だった。


最も運がなかったのはクインシーだった。彼女は昼間に被雷した時に大破に近い状態になっていたのを応急処置だけで無理に戦闘に参加させていた。

しかしその結果速力は最大でも18ノットが精々だった。それでもテネシーなどと合わせるのなら問題がなかった。だが突撃してきた戦艦山城に対して快速性を封じられた重巡洋艦では太刀打ちができず短時間のうちに41センチ砲を複数発浴びて弾薬庫が誘爆したことで轟沈していた。

その他の巡洋艦も山城に対して数発の8インチ砲を命中させたがその程度で戦艦が大損害を受けるはずもなかった。

 テネシーは海戦早々に二度目の被雷したため砲戦に参加できず、早々に戦線を離脱せざるおえなかった。それでも浸水が激しく珊瑚海を横断する事もできずオーストラリアのレインボー・ビーチ付近で座礁し放棄される事となった。

だが海面が甲板に迫る程度のものでその気になれば浮上させて回収することもできなくはなかった。


最も、そのオーストラリアは断末魔の悲鳴をあげているに等しかった。



戦艦扶桑、山城。その二隻に付き従う重巡洋艦四隻がブリスベンに襲来したのだった。

夜明け前からの水偵による避難勧告の後に扶桑と山城は砲撃を開始した。重巡洋艦も遅れて砲撃を開始し、2時間の砲撃でブリスベンは廃墟と化したのだった。

砲撃が終わった後もブリスベンの街は二日に渡り煙と炎に包まれていた。


「長官、ブリスベンは壊滅したと言っても良い状態です」


「わかった。水偵を収容しすぐに次の目標へ向かう」

山本五十六は艦橋の窓に広がる破壊された沿岸都市を見ながらも一切の手を緩める事は無かった。

新堀にとっては望んだ光景だったが、黒煙に包まれて燃え落ちるオーストラリア第三の都市に良心が痛む気がした。

それでも今は戦争なのであり人と人との殺し合いなのだと気を引き締め直すしかなかった。



 ブリスベン壊滅の報を受けたオーストラリア政府は恐慌状態に陥った。曲がりなりにもオーストラリア第三の都市である。そして米海軍を撃滅してやってきた日本艦隊にオーストラリア政府は恐怖すら覚えていた。

 そこにとどめをさすかのようなタイミングで日本からの攻撃予告が入った。

 次の目標はオーストラリア最大の都市シドニーだった。

順当と言えば順当だった。そしてその情報は先行した水偵からもビラとしてシドニーに撒かれていた。


当然シドニーはパニックになり、ブリスベン壊滅の情報が伝わった事で収拾不能に陥った。



オーストラリア軍はどうにかして各地に配備していた航空機を可能な限りシドニー近郊の飛行場に呼び集めた。

 しかし、飛行場の収容能力と対艦攻撃が可能な機材があまりないせいで集められたのは爆撃機三十機と戦闘機二十四機だった。

それでも国を守るため、彼らは艦隊が発見されると全機が飛び立った。

そして彼らはほとんど帰ってこなかった。

 オーストラリア海軍の艦艇を、航空戦力を失ったシドニーは、その日の深夜にブリスベンと同じ運命をたどった。



 シドニーを廃墟にかえた日本艦隊はその後も南下を続け、このまま行くと二日後にはメルボルン沖に現れると予測された。その時点でオーストラリア政府は完全に根をあげた。上げざるおえなかった。

 戦艦の艦砲射撃によってシドニーとブリスベンという豪州一位と三位の都市が灰燼に帰した。オーストラリアは大陸国家ではあるがそのほとんどは砂漠地帯で人が暮らすのに適しておらず人口は東海岸側の三都市に集中していた。

 事前に攻撃予告を行っていたため一般市民の死傷者は最低限で済んでいたが、そのため僅か一週間も立たずに人口の約三割にあたる人々が難民と化してしまったのだ。



 砲撃直後から無事だった空路と陸路を使い、軍民問わず懸命の救援活動が続けられている。

 連合国陣営から脱落するのを恐れてかイギリスとアメリカも最大限の援助をすぐさま約束してくれた。

 しかし、あまりの難民の多さにそれらは焼け石に水の状態だった。

特に深刻だったのが衛生環境の急速な悪化だった。

 数百万の都市住民が一瞬にしてトイレと下水を失ったのだ。難民キャンプでは食料の不足よりも衛生環境の悪化の方が深刻だった。

 既に最初に砲撃を受けたブリスベン周辺では衛生環境の悪化による疫病が流行り始めていた。

 

一刻の猶予も無く衛生に関わる物資、役所の衛生課の人間、他の都市の医師や看護婦を早急に送り込み、疫病の発生を抑え込まなければならない状況だった。

 そしてそれら物資と人員の最大の供給元が、次に日本艦隊が目標にしている豪州第二の都市メルボルンだった。


オーストラリア政府が取れる選択は一つしか残されていなかった。

連合軍からの離脱と日本との単独講和に応じる。これしか無かったのだ。

日本側はこれを拒否すればメルボルンへの砲撃を敢行するとの声明を出していた。ここでメルボルンまでが壊滅したら、オーストラリア国民の半数近い人が難民と化す。

 それとともに、オーストラリアは万単位で市民に犠牲者を出すことになる。

 そして、メルボルンへ進撃する日本の艦隊を止める力は無い。

 人口の三割が難民と化した時点で、オーストラリアはすでに戦争を続ける事は出来ない状態だった。

国民を犠牲にすれば継戦は可能ではあるがそんなことをすれば最早近代国家とは言わない。

メルボルン沖に日本艦隊が現れた時点でオーストラリアは日本政府に、沖合の艦隊に講和を受け入れる通信をしたのだった。

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