第三十九話 断豪作戦 3

ウィリアム・ハルゼーにとって自身の置かれた状況は不機嫌極まりないものだった。

 彼はニミッツ以上にオーストラリアへの救援に否定的だった。

それ以前に日本に対する嫌悪の方が強かった。

だがそれは人種差別から来るものというよりも敵に対する嫌悪感というべきものだった。

彼にとっては日本軍は倒すべき敵でしかないのだった。

だが彼の手元に集められた戦力は開戦前の太平洋艦隊から比べたら雀の涙も良いところだった。

パナマが使えないことが響いていた。南米大陸を回るルートでは時間のかかる上南極大陸に近い航路のため海が荒れやすく大型の艦でも武装の損傷や船体への負荷が大きい。回航してすぐに実戦配備とは戦時でも難しく、戦時だからこそ戦場で万全を期す為にもドッグで点検を受けなければならなかった。

そのため戦艦は性能が噛み合わない旧式のテネシーと最新鋭のノースカロライナ二隻。空母は使いづらい空母コロラドだけであった。

ハワイ沖で大破した空母エンタープライズは辛うじて西海岸まで辿り着いていたが、機関部と推進機の修理が長引くためこの作戦には間に合わなかった。

そのほかの戦艦などの損傷艦も修理が間に合っていないのだった。

結局ハワイ沖海戦に参加しなかった残りの艦艇でオーストラリアを防衛するしかないのだった。だが西海岸からオーストラリアは遠かった。

「くそ、ハワイがまともに使えればもっとマシだったんだがな」


ハワイの軍基地能力も燃料の備蓄もまだ足りなかった。

結局太平洋艦隊は補給艦を引き連れて進撃するしかなかった。

ハワイの中継基地化は潜水艦の妨害もあり遅々として進んでいなかった。


「駆逐艦ニブラック、遅れます!」


「ええい!何やっているんだ!」


見張りの報告にハルゼーは怒号を飛ばした。

合衆国としては戦艦や空母を失ったことよりも大勢の訓練された将兵を失ったことが痛かった。

ハワイ沖海戦の被害は艦艇以上に乗員の方が深刻だったのだ。

波高い外洋のど真ん中で艦隊が半壊したのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが、合衆国の想定外の参戦はアナポリスにも負担をかけていた。


 新造戦艦や空母が続々と就役するのにもかかわらず、訓練された将兵が全然足りていないのだ。

ニブラックも習熟訓練を終わらせたばかりのタイミングであるにも関わらず人員の半分は引き抜かれ、新兵が代わりに補充されていた。


米海軍は急拡大と損失に対して人員の育成が追いついていない状態だった。

特に軍艦は大小関係なく乗員は全員専門職である。最も徴兵で人員が確保できない組織でもあるのだ。

そのため人材育成のために新造駆逐艦の乗組員すら教官や他の艦へ回されていたのだった。

「くそ、こんなんじゃ戦う以前の問題だ!オーストラリアなんか放っておいて人員の育成にあたるべきだ!」


それでもアメリカはオーストラリアを、同盟国を見捨てないというパフォーマンスもこめて艦をかき集めていた。

送り込めるだけの戦力も大西洋側から引き抜いていた。

その成果が戦艦テネシー、ノースカロライナ、空母コロラド、重巡洋艦アストリア、ミネアポリス、サンフランシスコ、クインシーを中核とした艦隊だった。

これを護衛する二個水雷戦隊、軽巡洋艦サバンナ、フェニックスを中心とした駆逐艦三十六隻だった。これだけでも大半の国には驚異的な存在である。



しかし大規模な艦隊は同時に発見されやすくもあった。


この時艦隊から遅れていた駆逐艦ニブラックは、何も練度不足というだけで遅れていたわけではなかった。

水中聴音員が一瞬ではあるが潜水艦のような音を拾っていたのだ。

だがそれは艦長の叱責と水中聴音員が新兵であると言うことから報告が上がることはなく、気のせいだったと言うことで片付けられていた。



「やはり出てきたか、太平洋艦隊」


複数の船の音を拾ったその潜水艦は伊400だった。

パナマ運河破壊の立役者は、その任務が終わってからというものその特殊任務に特化した性能故に持て余していた。

そして通常の潜水艦より運動性能がよくないことと大柄なことから単独での運用ではなく伊400型は五隻がまとめて水中艦隊として運用されていた。

ドイツUボートに行うウルフパックと呼ばれる戦術を参考にした潜水艦の集中運用であった。

そして伊400が太平洋艦隊を見つけたのは偶然だった。

艦隊出航の情報は沿岸部で偵察を行っている潜水艦からの通信で把握していたが、それがどこを通るのかは不明であった。

晴嵐を使った偵察も上手くいかず最終的に来るか来ないかの狩りの様相を呈していた。

最終的に伊400はその賭けに勝ったのだった。

伊400の艦長である笹塚少佐は艦隊司令の桜庭に報告を行いつつすでに魚雷の装填を始めさせていた。


「進路としては艦少し南に寄った航路を取っているようだな。このままだと攻撃を行う際南側に配置した我々と伊402が敵艦と距離が近くなってしまうな」

薄暗い白色電球の下で海図をのぞいていた桜庭はあらかじめ展開していた陣形と敵艦隊の予想進路を比べてそう呟いた。

艦隊は大きく分けて北と南に別れて展開しており艦隊を左右から挟撃する位置にいた。だがこの位置では北側から攻撃する艦は攻撃距離が伸び、反対に南側は距離が近い為に攻撃されるリスクが跳ね上がるのだった。


「今から通信をするのは不可能です。このまま行くしかありません」



「わかっている。もう一度潜望鏡深度、直ちに攻撃を開始する」


艦長に押される形で、桜庭は危険を承知の攻撃に打って出た。

笹塚少佐の命令で伊400がゆっくりと浮上し、潜望鏡深度に上がった。

潜望鏡を覗き込んだ笹塚は、いまだにこちらに気付いた様子がない艦隊を捉えつつ素早く艦の向きを修正していく。

伊400型は航空機運用に特化している為魚雷発射管が四本と他の潜水艦より少なめである。保有する魚雷も十本と第二射を行うと二本しか残らない。

しかし一度魚雷を撃てばあとは逃げの一手であるから問題はなかった。

そして日本軍はアメリカ近海で行動している潜水艦をアメリカ艦隊邀撃に向かわせていたからここで撃滅に失敗しても他の潜水艦がやってくれると言う安心感が彼らにはあった。

「魚雷……発射!」


魚雷が発射される音は僚艦も聴いたはずだった。

そして北側の艦も艦隊の異変を察知して攻撃に移るはずだった。

合衆国太平洋艦隊はオーストラリア救援の初手から先制攻撃を仕掛けられていた。

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