第三十六話 アメリカの現状

アメリカが枢軸に対して開戦から二ヶ月経った1941年8月。

定例になった戦時の幕僚会議の場でルーズベルト大統領は何度目になるかわからない溜息をついた。

「パナマ運河の状況についてはだいたいわかった。すぐに工事を始めてくれ。今は戦時だ。三交代制にかかる予算増加も何とか対処しよう」


パナマ運河の詳細が被害報告が纏まったのは8月にはいってからだった。爆撃だけの損害だけでなくダムと水門が破壊されたことによる鉄砲水、そしてガトゥン湖自体の被害などそれらをまとめて大統領でも分かりやすくするためにはそれだけの時間が必要だった。


パナマ運河は二つある水路の両方が完全に破壊されていた。コンクリートで固められた左右の堤防は爆弾で抉り取られ、魚雷が命中した鋼鉄の水門は大西洋側まで押し流されていた。


特にこの水門は厄介極まりなく、鉄砲水と共に流れ出る最中に周囲の建造物を破壊し、運河への進入待ちをしていた駆逐艦一隻と貨物船一隻に直撃していた。二隻は鉄砲水によって横転していたがこの二隻が丁度破壊された運河近くで障害物になっていた。


ガトゥン湖も水が完全に抜けてしまっており湖にいた貨物船三隻が身動きが取れない状態になっていた。

被害が甚大であるため修復には一年はかかるという試算だった。当然その予算も膨大である。


しかしそれよりも大統領を悩ませるのは海軍と商務省からの報告だった。


「大統領、パナマ運河への攻撃直後から太平洋沿岸での日本軍の潜水艦による艦艇被害が相次いでいます」


「既に損失船舶は1週間で50万トンを超えています。このままですと西海岸の船舶物流は一ヶ月と保ちません」

開戦から一ヶ月ほどで日本とドイツは、通商破壊のために潜水艦を用意していた。それらを導入する最適なタイミングがパナマ運河攻撃の直後だったのだ。送り込んだのは日本海軍が30隻ドイツ海軍が10隻の大型潜水艦だった。


さらに日本海軍は北太平洋上に潜水母艦、補給専門の潜水補給艦が展開しつつあった。

これらの潜水艦群が、参戦したばかりのアメリカに冷や水を浴びせかけるような攻撃を実施した。


 特に致命的だったのが開戦当初からパナマ運河攻撃までの合間アメリカ合衆国の沿岸部で潜水艦による損害が無かったことが、アメリカに多少の慢心をもたらし、そして悲劇を大きくした。


開戦から半月と経過してもほとんど被害を受けないため、民間でも数が最も多く国内の産業輸送に大きく関わる沿岸貨物船の多くが日常へと戻っていたのだ。

このため、突如損害を受け始めると、それは大きな悲劇となった。

 特にアメリカの太平洋岸は恐慌状態に陥り、アラスカからパナマ運河に至るほぼ全ての航路は、一時断絶状態に陥ったほどだった。



「西海岸だけではありません。東海岸でもUボートと思われる被害が相次いでいます。ただでさえパナマが打撃を受けている状態でこれでは生産業が干上がるのも時間の問題です」

僅か一ヶ月足らずで大型貨物船が約350隻、約200万トンという信じられないほどの商船が太平洋と大西洋で沈められた。

その多くがアラスカ方面やハワイへ物資を運ぶ船だった。そのため見た目によらず多くの兵器と物資、そして兵士も犠牲となった。


そしてパナマ運河が破壊されたことで五大湖周辺の工業地帯からの軍事物資が太平洋へ送られてくるのは平時よりも二ヶ月も遅くその量も少なかった。

また船舶の建造や損傷艦の補修、弾薬などの消耗品も西海岸では攻勢に出られるほどの量が足りていなかった。特に船舶用の鋼材は深刻で大破した戦艦や空母の修理の遅延が始まっていた。


貨物船だけではなく軍艦にも損害が出ていた。

最も大きなものでは空母ホーネットが轟沈したものだった。


空母ホーネットは整備中でありハワイ沖海戦へ参加することが叶わなかったが、そのために難を逃れハワイへの航空機の輸送任務についていた。飛行甲板にまで陸軍のP40などを載せたホーネットは護衛の駆逐艦四隻と共にハワイに向かっていた。通商破壊任務中だった伊19がホーネットを含んだ艦隊と遭遇したのはそのタイミングだった。

結局彼女から発射された6発の魚雷は3本がホーネットに命中。1本が駆逐艦を轟沈させた。

片舷に大きく傾斜したホーネットは、甲板の陸軍機を海に落下させながらもなんとか耐えていた。

しかし被弾箇所が航空機用燃料タンクに近い位置だったため、被弾時に発生した火災に漏洩した燃料が結びつき引火。大爆発を起こしてしまい艦は味方駆逐艦の魚雷で処分されたのだった。

そのほかにも駆逐艦四隻、重巡洋艦一隻が沈没し、ほぼ同数の艦が大破していた。


「これほどまで……海軍はなにをしていたのだ?」


「無論反撃に出ています。しかし潜水艦は神出鬼没、我々も哨戒を厳にしていますが限界があります」

しかし日本海軍の損失は、僅か潜水艦4隻に過ぎなかった。


これはアメリカの対潜能力の稚拙さもあったが、開戦初期アメリカ船舶は、沿岸航路もハワイ航路も単独行動が基本だった。これが被害を大きくしていた。無論第一大戦で痛い目を見て現状痛い目を見続けているイギリスは注意を呼びかけていた。

しかしアメリカは平時だった。そのため経済効率の低下を嫌い船団護衛を行っていなかった。しかし単独行動する商船は、潜水艦にとっては格好の餌食とされた。あろうことか開戦当初は軍艦すらが単独行動していた。

そのために日本とドイツは多くの戦果を初戦で挙げることができたのだ。

 結果的にあっと言う間にハワイ近辺とアメリカ本土から伸びる航路を押さえ、ほとんど封鎖状態に置いてしまったのだ。


「なんとしてでも航路確保を行うのだ。そもそも日本の潜水艦はどこから来ているのだ?いちいち太平洋を横断して補給を行うなど考えられん」


「調査していますが、今のところはどこかに基地を作っているのではと言われています」

実際には基地があるのではないかと言うのは誤解でしかなかった。日本は敵地への深層攻撃を潜水艦に求めた段階から同じく長距離に進出して作戦補助を行うための潜水補給艦を多数建造していた。海上船舶に比べたらその性能は大きく劣るが、潜水艦であるからこその隠密性によりより敵地に近い場所での補給活動が可能だった。

「日本軍だけではありません。ドイツ軍も宣戦布告と同時に本格的に大西洋航路を遮断しにきています」

今まではアメリカが中立であった分手出しができなかった航路はすでにUボートによる狩場になっていた。


「わかった。なんとしてでもこれらの対策を急がねばならん」


ルーズベルト大統領は開戦してからというもの憂鬱だった。

だが彼の辞書に諦めるという言葉はなかった。その点で言えば彼は恐ろしいまでのアメリカンスピリッツを持っていたのだった。


しかし現実は非情で、太平洋艦隊は半壊と言っていい損害を受け、フィリピンは初戦で壊滅状態。アジア艦隊はオーストラリアから動けず現状ではハワイの占領継続すらままならない状態だった。


そしてさらに厄介だったのが西海岸、東海岸の各州からの防衛要請だった。

沿岸部で暴れる潜水艦に加えてパナマ攻撃があった事で西海岸も東海岸も枢軸が上陸してくるのではないか。上陸しなくとも大規模な攻撃が行われるのではないかと疑心暗鬼になっていた。なまじ今まで本土が攻撃された事がなかっただけあってパナマの奇襲は想像以上の衝撃を国民に与えていた。

そのため各州も住民に押される形で防衛力強化を連邦政府にあげていた。

各州には州軍という独自の軍事力もあるにはあるがだからと言って要請を無下にすれば合衆国政府への不信に繋がりかねない。

そのため合衆国政府は陸軍兵力と航空戦力を沿岸部の州に配備しなければならずイギリスへ送る戦力に少なくない影響が出ていたのだった。


そしてそれは巡り巡って北アフリカ戦線やオーストラリア、ハワイの陸軍戦力増強にも影響を与えていた。

特に戦時量産体制がまだ整っていないアメリカ軍にとっては致命的でもあった。

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