第三十四話 パナマ運河破壊作戦 2

高度5000mでは飛行服を着ていても足元が冷える。


魚塚 泰平大尉は特殊攻撃機晴嵐の操縦席で寒さを紛らわさせるために身震いした。

寒さ以外の意識の高鳴り、緊張からくる生理現象も兼ねていた。

「伊志井兵曹長、現在の位置は?」


後席に乗る航法員の伊志井から景気の良い声が帰ってきた。

「今の所予定通り、あと5分でパナマ運河が視認できます」


すでにアメリカ軍の防空圏の真っ只中だ。いつどこから攻撃されてもおかしくはない。


 今の所偵察機に見つかったという報告は受けていないが、今は電探とか言う電波で物をとらえる装置があると聞く。最悪の場合こちらが一方的に奇襲を受ける可能性もある。

注意しなければなと魚塚が思った瞬間、雲の切れ目から緑色の細い大地が見えた。

パナマ運河だった。


母艦を飛び立ったのは黎明時でありまだ周囲は暗かったが、今は朝日がのぼりその姿をはっきり捉えることができた。


十五機のうち六機が800kg航空魚雷、残りの九機が250kg爆弾四発を搭載していた。


晴嵐は燃料と武装を最大にして積むとフロートを取り付けることができない。この十五機はフロートをつけずパナマ運河破壊後は母艦の近くで投棄する予定の使い捨て機だった。


その使い捨ての、この作戦のみの使用の機体が翼を翻し南米方面に降下していった。

特殊作戦機故に日の丸は小さく、機体の濃緑色の中では目立たないようにされていた。コロンビアの熱帯雨林に隠れるように濃緑色の機体が疾走していく。

運河破壊は閘門が大きく破壊規模が大きくなるガトゥーン閘門を六機の晴嵐が狙い、残りの九機のうち三機は運河に水を貯める目的もあるマデンダムを破壊する作戦であった。


木々がコクピットからでも一本一本見えるほどの低空飛行を行っていると不意に視界が開けた。

「パナマ運河の大西洋側だ!攻撃始め!」


上空に敵機の姿は見当たらなかった。

「しめた!敵機はいないぞ!」



日本と開戦を決断する前から、アメリカは何度か本土攻撃の危険を予測しようとしていた。

特に陸軍は本土攻撃の危険性を利用することで自らが獲得できる予算を増やそうという魂胆があった。

最もその魂胆が露呈したためか一時期陸軍は国民からの批判にさらされる事となり、本土攻撃という事態に対してもどこか懐疑的な雰囲気が形成されていった。

しかしホワイトハウスやペンタゴンでは何度か、そして開戦直前にも本土攻撃についての議論は行われていた。

結果としてどちらもあり得ないとして片付けられることとなった。

日本へ向けての攻撃ならば東南アジア方面、中部太平洋の島を占領すれば可能ではあるが

逆にアメリカ大陸側は近くてもオーストラリアかハワイを軍事用の中継点として使用しなければ不可能であると決定づけられた。


それは日本側も同じであったが、日本は斜め上を行く発想によりそれを可能としたのだった。常識はずれの攻撃。もちろん巨大潜水艦に関する情報はアメリカも得ていた。しかしその性能までは推し量ることができなかった。

その結果がパナマ運河に響いた爆撃音だった。


パナマ運河はアメリカのアキレス腱でもある。アメリカ有数の工業地帯である五大湖周辺から産出された工業資材は東海岸から船にのでられて太平洋側に送られる。そのため防空上の重要度が低いにしても周囲には飛行場が設けられていた。

しかしそこに配備されているのはアメリカ陸軍の練習航空隊と予備飛行隊のみであり、戦争に突入したばかりのアメリカにとっては予備飛行隊はこれから人員を再招集して稼働状態にすると言った段階だった。


さらにイギリスから技術供与がないためレーダーそのものもまだ大量配備とはいかずパナマ周辺のレーダーはまだ構築されていなかった。


これらが重なり晴嵐隊は完全に見逃されることになる。

上空監視員もここまで日本軍が来るはずがないという慢心から晴嵐を見つけても友軍機の練習と考えており警報すら鳴らさなかった。

むしろ最初の爆撃の際には運河設備の事故でもあったのではないかと考える者が殆どだった。


「爆撃が始まりました!」


晴嵐の爆弾が船を牽引する蒸気機関車を吹き飛ばし、動力小屋を叩き潰しているタイミングで、すでに魚塚の操る晴嵐は大西洋側からガトゥン閘門に向かって雷撃態勢を整えていた。

運河にはちょうど太平洋側へ向かおうとしている貨物船が一隻入っていた。

「貨物船のいる方を叩く!」

最後の調整を行い、射爆照準器に門が溢れ出す。

すでに艦船なら雷撃しているタイミングだったが、命中確実を期待するために彼はギリギリまで近づけることにした。

対空砲火はいまだに上がっていないようで、機体が揺さぶられることもなかった。


合図と共に機体から魚雷が切り離された。

同時に機体が上に跳ね上がるのを利用して急上昇に転じた。

切り離された魚雷は海面で一度跳ね返り、海中に落下してすぐにスクリューを回し始めた。

本来なら少し沈降するのだが、今回の作戦のために用意された特殊な魚雷は水面の浅いところを疾走し水門に命中した。


魚雷を抱いた晴嵐隊は三機が湖側から、六機が大西洋側からそれぞれ門に向かって雷撃を敢行した。

普段相手にしているはずの艦船よりも小さいが、不動目標である門へは合計で七発が命中した。

その中には魚塚の機体も含まれていた。


いくつもの水柱が門を隠すように立ち上がり、破壊のエネルギーによって鋼鉄の門が歪み固定具が引きちぎれた。


一瞬遅れて門周辺には金属の音が響いていた。そして魚雷命中から1分後には、水の水圧に耐えきれなくなった門は完全に破壊されて太平洋側に向かって大量の海水と共に溢れ出したのだった。

貨物船が波に押し流され、コンクリートの岸壁を破壊しながら横倒しになった。それでも水は止まらずに爆撃で破壊された建物や負傷した作業員など周囲の発電施設や車両を飲み込み、鉄砲水となってパナマ運河の大西洋側を破壊し尽くした。瓦礫混じりの土砂で大西洋側で運河に入ろうとしていた駆逐艦までもが被害を受けた。


付近の迎撃機が駆けつけた頃には晴嵐は離脱していた。ただ、眼下に破壊されたパナマ運河を見下ろすばかりだった。


既に攻撃から1時間でガトゥン湖の水位は急速に減っていた。破壊された運河全体も水が引くことはなく被害は甚大であった。どう見たとしてもこの状態のパナマ運河は使用不可能だった。


「パナマ運河破壊セリ」

暗号電文は確かに魚塚の機体から発信された。それはアメリカが始まって以来初めての本土攻撃でもあった。

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