第三十三話 パナマ運河破壊作戦 1

新宿駅の路地裏に小さな食堂ができたのは新堀が扶桑艦長に就任したのと同じ日だった。

偶然同期の者と再開した彼が穴場の食堂があると連れて行ってもらったのがその店との関わり合いの始まりであった。


「随分と控えた発表だな」


軍は国民に対しての戦果発表を過大に発表する癖がある。それはどこの国の軍隊でも変わらない。言ってしまえば戦意高揚が目的のプロパガンダである。しかし戦意高揚が過ぎれば和平交渉に支障が出る。

特に日本人、というかアジア圏の人は熱せられやすい。

イギリスに対して勝利を収めた時だって国中お祭り騒ぎだった。

海戦一つで国をあげて一喜一憂している様子を見たからなのかそれ以降兵部省は発表を控えめにしている節があった。

一つの勝利に浮かれて大局を見れないようではそのうち国を滅ぼしかねない。そういう危うさがあった。

今回の報道もアメリカに与えた損害よりも自軍が受けた損害を強調していた。

食堂に備え付けられていた新聞にはそう書かれていた。

だが一介の大佐でしかない私がどうこう言えることでもない。


そうしているうちに注文していた料理が運ばれてきた。

戦時統制になっているとはいえ食料と言った物資はまだなんとかなっている。

この店も苦しいながらなんとかしてやりくりしているのだろう。

味の質は全く落ちていなかった。俺は、あとどれだけこれを食べられるだろうか。


全体的に量が減った鯖の味噌煮定食を口に入れつつ新堀は成田から聞かされていた次の作戦のことを考えていた。




 今回の海戦で主力艦艇そのものに損失はなかった。

しかし最も損害がひどい大和は大破に近い中破を受け特に左舷側の高角砲群や機銃群は壊滅状態だった。

主砲を破壊された陸奥や長門も修理には時間がかかる。

それらの修理がどれほどかかるのかは分からないが半年は少なくとも動けないのではないか。そうなれば矢面に立つのは扶桑達旧式戦艦だ。


事実日本軍はアメリカに対して休息を与えるつもりはないようだった。

イギリス対策でインド洋では相変わらずインド洋派遣隊が大暴れしていた。

 その上ドイツとイタリアもイギリスの弱体化に呼応して動きを活発化させていたからイギリスはますます苦しめられていた。


 アメリカはハワイからの攻勢が艦隊と輸送船団の壊滅により実質頓挫したことからオーストラリアを経由した経路に切り替えようとしているらしい。

元々日本側も対英戦略の一つとして豪州遮断を計画していた。オーストラリアが陥落すればアメリカもイギリスも東南アジアへの足がかりを失うからだ。

そしてオーストラリアにはアメリカ海軍アジア艦隊が退避していた。

本来ならこの時期には豪州遮断が行われていたのだが、アメリカの急な参戦とハワイ奇襲による一連の戦闘で全てが狂っていた。



しかしここにきて日本側は無理を通すことにしたのだ。戦争では時に無理を通さなければならない時がある。この戦争でいえばこの局面がそうなのだと成田は新堀に話した。

 

 死ぬかもしれない戦場に兵を送り出すのは何度体験しても慣れることはない。だからこそ実情を知って欲しいのだ。


しかし私は軍人です。いけと言われれば行くまでです。



 新堀を見つけた店主が話しかけに来るまで、新堀の思考と食事を並行で行う癖は続いた。



新堀が次の戦いに備えている合間にも、太平洋での戦いは熾烈さを増していた。

しかしそれは目に見える海上での戦争ではなく、海中深く、無音の中での戦いだった。


そしてその中には一際巨大な鉄の鯨の姿もあった。

伊400型潜水艦の五隻は、南米と北米それぞれの大陸の中間点、そして東西の大洋を結ぶ人工の運河まで800kmの距離まで接近していた。


潜望鏡深度まで浮上した伊400型が静かに艦橋から潜望鏡を伸ばしては、周囲の情景を探っていた。周囲は曇り空で月明かりすらない完全な暗闇だった。艦隊司令の桜庭 真二少将が艦長から潜望鏡を変わり周囲を見渡す。やはりそこには何もなかった。

「周辺海域に艦影無し」

続いて潜望鏡の後方から一回り太いパイプが伸び上がってくる。濁った空気を交換し、機関を動かすための空気を取り込むシュノーケルだ。

ここまでの航海ですでにバッテリーが尽き掛けていた。浮上前にまずは発電を行不測の事態に備えるつもりだった。

「流石にまだアメリカも哨戒は緩いか」

アメリカ大陸から遠くはないはずの位置だったが哨戒機も飛んでいる様子はなかった。ここにくるまでに海中艦隊は一度も航空機や駆逐艦などの接触を受けていない。アメリカ側も潜水艦が寄ってくるというのを想定していないのではないかと桜庭は考えていた。

「我々の攻撃を待ってから本格的な通商破壊を行うためまだ本格的に被害を受けていないのでしょう」


一度こういうのは受けてみなければ本腰を入れない。それはどこの国も変わらないものだった。特に民主主義のアメリカでは国民に対して目に見える戦力を見せるのが優先なのだ。

そして国民は思った以上にその知能に期待してはいけないのだ。


「攻撃機発進時刻だ。全艦浮上」

周囲に僚艦が揃っているのは推進音で把握していた。

このために水中聴音員には味方艦のスクリュー音を聞き分けできるほどのベテランを選りすぐりで配属していた。

伊400の浮上に合わせて残る四隻が暗闇に浮上した。

「直ちに航空機発艦初め!」

浮上直後から待機していた乗員が水密ハッチを開けて甲板に駆け出た。素早く艦橋構造物前方に設けられた艦載機格納筒の水密扉が開けられていく。


すでに格納筒の内部では温められたエンジンオイルを充填された特殊攻撃機達が搭乗員を乗せて待機していた。すぐさま整備員達が機体を引き出すとカタパルトレールに乗せて行った。


カタパルトに固定されたところで折りたたまれていた翼がねじるようにして展開し、プロペラがエンジンの始動と同時に回り出した。エンストすることのない素早い始動だった。


「伊400、晴嵐一番機発艦します!」


「早いな、五分もたっていないぞ」



伊400が風上に向かい全力で航行する中、機体の動揺を読んだ射出指揮官の合図で機体が飛び出した。

甲板ではすぐに二番機の発艦用意が進められていた。


上空ではすでに集合が始まっていた。

五隻合計十五機。全機が上がるまで15分だった。それでも潜水艦にとっては無防備な状態を続けなければならないのだから危険なものである。

桜庭の真上で集合を終えた機体が東の空に向かって飛び立った。

「急速潜航、潜望鏡深度で回収地点まで向かう」


機体が見えなくなる前に桜庭は行動を開始した。今は一刻でも早く数時間後に帰投する彼らを迎えに行かなければならないのだ。

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