第二十四話 中部大西洋海戦


 1941年5月の時点で

 連合国の主要国家であるイギリスは既に息切れしていた。反対にドイツはイギリスへの攻勢を強めつつ、何故かソ連へその矛先を向けようとしていた。

 イギリスからの反攻がしばらく無く、短期講和が不可能となった時点でドイツは連合国でありながら共産国、更には戦争に加担していない上に陸続きで側にある脅威のソ連を叩くことを決めていた。

そんなこと知らない日本は、インド洋の制海権を抑えつつ戦力再配置の最中だった。

 

そのため各戦線は変動が少なくバトルオブブリテンもドイツが空軍戦力の再編のために前半よりも落ち着いていた。

 その中で例外があるのは大西洋航路だった。

 イギリスにレンドリースなどの援助物資を大量に送る事が出来るルートは、大西洋を突っ切るルートしかなかった。それが最短だったが同時に広大な海ゆえに航空機の支援には制約がつく。そして航空機自体は自ら飛行して行く場合そのルートは北大西洋北端の島嶼を利用していた。



 開戦以来敗北を続けるイギリスに何としても戦い続けてもらうためには、心理的な慰めでもよいから援助を続ける必要があった。

 レンドリース法が決まった3月末には早くも第一次船団が派遣され、船団は4週間に一度イギリス本島に入港していた。

最も必要な物資の量からすれば全く足りていない。


すでにイギリスに入る物資の量は平時の4割にまで激減し食糧事情も逼迫しイギリスの庭は至る所がジャガイモ畑になっていた。

 航空機や輸送船など工業品の生産すら滞り始めていた。

 焼け石に水のようであるが、あるとないでは大きな違いがあった。

 一方、ドイツにとっては、援助船団は非常に厄介であり、心理的にも鬱陶しい相手だった。

 

 

 そしてドイツは勢力を盛り返した水上艦隊とUボート、そして新たに建造された航空母艦を使い航行する連合軍船団を攻撃しようとした。


 戦闘は意外に早く訪れる。

 1941年5月21日、戦艦ビスマルク、テルピッツ、シャルンホルスト、グナイゼナウ、装甲艦リュッツォウ、空母グラーフ・ツェッペリン、重巡洋艦プリンツ・オイゲンを中心とするドイツ大海艦隊は、太平洋に進出、多数の潜水艦の偵察の元、連合軍の船団に対しての攻撃行動に入った。

 

イギリス海軍は護衛に16インチ砲搭載戦艦のネルソンを旗艦とした巡洋戦艦レナウン、軽巡洋艦三隻、駆逐艦二十隻備をつけていたが、ドイツ水上艦隊にとっては格好の獲物と捉えられた。

当然イギリスも応援部隊を急ぎ派遣したが船団への到達が早かったのはドイツ艦隊だった。


 接近を察知した輸送船団司令官は一網打尽を避けるべく船団の解体と護衛艦隊によるドイツ艦隊の迎撃を決断。


しかしその足元にUボート四隻が迫っていた。

これらは水上艦が接敵するタイミングを狙い先回りして潜んでいた潜水艦部隊であった。丁度船団が解散した直後に水中から迫る刺客に襲われたのだからひとたまりもなかった。

慌ただしく動いているところに殺到した魚雷で輸送船一隻と駆逐艦一隻が沈没。さらに複数の駆逐艦が対潜行動を強要され大海艦隊に対してますます艦の数が不利になった。


当然16インチ砲を搭載したネルソンは脅威でしかなかったが、二隻の15インチ砲搭載戦艦が相手では押し切られるのも無理は無かった。巡洋戦艦レナウンも28センチ砲搭載の小型戦艦と装甲艦の数の暴力には耐えきれなかった。


ビスマルクが二、三発の16インチ砲を被弾するもネルソンは短時間で大西洋に消えていった。

 

レナウンは28センチ砲の鶴瓶撃ちで短時間の合間に艦橋や煙突などの非装甲部分を破壊され、シャルンホルストに二発の15インチ砲を命中させただけで沈黙するしかなかった。


そして重巡洋艦プリンツ・オイゲンに率いられた駆逐艦六隻の突入で船団は壊滅した。

生き残った輸送船も空母グラーフ・ツェッペリンの艦載機と潜水艦によって暗い海の底に沈んでいった。

 この船団は輸送船が三十二隻、船にはイギリスだけでなくアメリカ船籍の船も多数加わっていた。


戦果を全てを合わせると27隻もの輸送船が沈められた事になる。

一度に大型の輸送船や貨物船が失われたのだから大損害と言っていい。特に船舶の数が不足してしまったため以降三ヶ月にわたって大規模輸送船団は組めなくなってしまった。

 そしてイギリスは、船団のみならず艦艇も大損害を受けたため、戦術的にも戦略的にもドイツの圧倒的勝利に終わる。久々のドイツ艦艇による敵戦艦撃沈に、ヒトラーも笑いが止まらなかった。

しかしすぐに彼には冷や水が浴びせられることになった。


 ドイツ軍が沈めた船うち八隻がアメリカ船籍の船で、しかも乗組員はアメリカ人だった。



 それが結果的にアメリカ人の戦闘意欲に火をともしてしまう。

 八隻の商船に乗っていた329名の船員の犠牲を一度に出すことになった。

 流石にアメリカ市民達も怒りを露わにした。

 

 ドイツとその一党に対する戦争を叫ぶ声は、一気に非常に大きなものとなった。

アメリカ議会の積極参戦派議員達はルーズベルトに即時開戦を迫ったしイエロージャーナリズムに煽られた市民も多くが今こそアメリカが立つべきだという意見になってしまい連邦議会も、一斉に参戦へと動き、議案を提出した。

あっさりと天秤は参戦の方へ倒れ込んでしまい、修正は不可能となった。もはや誰も止められなかった。

 かくして議会と世論に押されたルーズベルトは、参戦を繰り上げてしまった。

 

 


 しかしこの時、軍と政府は少し焦っていた。確かに参戦の準備は進めていたがそれは来年度の予定だった。

軍自体は多くが準戦時とはいえ基本的には平時状態で、即時参戦できる状態ではなかった。


しかし参戦自体は政治的に見てもチャンスだった。工業力を稼働させ経済を強制的に回す起爆剤にできるからだ。


 

 しかし参戦相手に問題があった。

 ルーズベルト大統領やアメリカ中枢部は、日本を挑発して1942年秋頃の参戦を目標としていた。

一応の主戦場は太平洋ではなくヨーロッパ戦線だったから裏口参戦を狙っていた事になる。



しかし戦争は、彼らの予想に反してヨーロッパから始まってしまった。ドイツに対する宣戦布告を国民が選んだのだ。反対に日本に対する国民感情は希薄だった。そもそも日本のことをよく知らないと言うのが実情だった。

 ヨーロッパを支配しようとしているナチスドイツこそが、アメリカの敵だというのが主な論調だった。

 それでもドイツと同盟を組んでいるからと言う理由で防共協定に参加している国全てに宣戦布告が行われた。

それ以外の国、日本などが解放して勝手に独立宣言した国はあえて無視された。

そもそもデリケートなところであるが故にアメリカは出来るだけ関わりたくなかったのだ。

 これで世界を完全に二色に分けた戦争が完全な形に整う事になる。

 アメリカ人が望んだ、「世界を二分した正義と悪の戦争」の図式が出来上がったのだった。

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