アメリカ参戦

第二十二話 アメリカ参戦

インド洋での作戦を終えた扶桑は、横須賀の工廠で受けた傷を癒していた。

しばらくの合間は新堀にも暇が出来ていて、軍からの恩赦も兼ねて彼は少しばかりの休息に浸っていた。


1941年もすでに半年が経過し6月になろうとしていた。

神奈川の藤沢に借りた小さな長屋の一室で紫煙を吹かせながらどこからか仕入れた古書を読み漁るのが彼のひとときの平和であった。

まだ世帯を持たない彼だったが、実家の両親が本家への体裁があるからと彼にお見合い話をいくつか持ちかけていた。しかし戦時中を理由に彼は全て断っていた。

そんな彼にとって長屋の一室は最後の領地だった。

料理というものを普段からしない彼にとっては台所など不要だったし最低限の部屋があればそれでよかったのだ。

静かに読んでいた古本を読み終えて無造作に畳の上に置いては、次の本でも読もうかと彼は畳の上の本の山をひっくり返し始めた。



大家が電報を持って新堀の部屋に入ってきたのはそのタイミングだった。

急報だったその電報は国家方針に何やらよからぬことが起こったと知らせるものだった。



身支度を素早く済ませて大船で電車を乗り継ぎ横須賀に向かうと、既に何名か自分と同じように慌てて当庁したであろう人達が困惑しながら彷徨っていた。


彼らを尻目に新堀は呼び出し元の成田の下に向かった。


「おう来たか」

成田大佐はいつもの席で饅頭の包み紙をいくつか放り出しながら部下にあれこれ指示を出していた。

そのままいともあっさりと結論だけを最初に言った。

「アメリカが宣戦布告したよ」

それを聞いて新堀は頭を抱えた。ついにこの時が来てしまったか。

「イギリスとの和平交渉はまだ始まったばかりだと言うのに」


イギリスとの和平交渉はインド洋の制海権を奪い日本が通商破壊を開始した直後から行っていた。

最初こそ講和の椅子を蹴る態度を示していたイギリスだったが、通商破壊の効果がで始めると次第に顔色を変えて行った。

ウィストン・チャーチル自身は抗戦の構えを崩さなかったが、議会などではインド洋と英本土の二正面作戦になっている状態を解消してドイツとの戦争に絞った方が良いと言う意見やファシズムと違い日本は曲がりなりにもイギリスと同じ立憲君主の議会政治を持つ国でイデオロギーの違いはさほど無い。互いに王室を持つ帝国なのだからまだファシズムより心理的抵抗も少ない…であれば多少の譲歩をしてでも講和するべきだと言う意見が相次いでいた。


しかしイギリス、特にチャーチル卿はアメリカの参戦を期待していた。ここで先駆けして日本と講和すれば東南アジアの英利権は失わされてしまう。であれば多少我慢してでもアメリカをこの戦争に味方として引き込めば挽回のチャンスがある。そう考えていた。

同時にアメリカもこの戦争への参戦を、少なくともルーズベルト大統領は望んでいた。



しかしドイツも日本もアメリカを必要以上に刺激することはなく無視を続けた。

技術も工業力も、そして生産力さえも世界一の大国を相手にするには日独だけでは足りないのだ。

それはあのヒトラーでさえ自覚していた。少なくとも対英戦争中にソ連に侵攻しようと画策していた彼にしてはまともな判断だった。

最もソ連侵攻もイギリスがインド洋を失い途端に元気がなくなりだすと戦力をイギリスに再び向けるようになり自然と消えていった。


 ではアメリカはどうだったのかといえば大統領やその側近は確かに戦争介入を望んでいた。正確には勝てる戦争を望んでいた。だが国外には基本的に干渉しないと言うモンロー主義が国民に蔓延していたし、ひいてはルーズベルト大統領が掲げていた海外への戦争へアメリカ自身からは参戦しないと言う公約が足を引っ張っていた。

これによりいくら挑発しても参戦のきっかけが掴めないでいた。

本音としては太平洋などどうでもよくドイツなどのヨーロッパの戦場に介入さえできれば終戦後に復興と称して特需景気を生み出すことができる。しかしこちらから戦争を仕掛けるのは国民が許さなかった。そのためアメリカでは心理的に黄色人種の国である日本を挑発しての裏口参戦が考えられていたが、インド洋や東南アジアに比べて太平洋中部から西部は静かだった。

その上アメリカにとっても二正面作戦になるのだから荷が重いことこの上ない。


そのアメリカがついに宣戦布告をしたのだった。

しかしその原因はいささかズレたものだった。



「まあまずは腹ごしらえでもしたらどうだ?その様子だと食べていないのだろう」


「昼はまだ食べていませんね」


「実家から饅頭が届いていてな、まだ数があるから何個か持っていくといい」


「いただきます」

そう言って机の片隅に積まれていた饅頭を一つ取ってはそれを一口で平らげた新堀は、現状どこまで日本が、海軍が情報を得ているのかを問いただした。

「開戦の経緯は1週間前の出来事らしい」


一週間前と言うが実際にはそのもっと前から事態は進んでいた。

インド洋で日本海軍がイギリス海軍と激突したのとほぼ同じ頃、アメリカでは一つの法案が通っていた。

それがレンドリース法、武器貸与を認める法案だった。

実質的な宣戦布告とも呼べる行為ではあるがアメリカはこれを元に苦境に喘ぐイギリスに船舶と航空機の貸与を開始していた。

しかし戦時でもないアメリカの生産力ではイギリスが必要とする物量、特にインド洋や大西洋で大量に失った大型船舶は全く足りなかった。


そこでアメリカはイギリスに対し基本軍備も含めた大量の輸送船団を一度に出航させることにした。この船団の貨物船の約半分はそのままイギリス船籍となり足りないイギリスの船舶を補う目的で導入されているのだからどれだけイギリスが困窮していたかがわかる。


しかしこの船団が悲劇を産んだのだった。

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