第二十一話 衝1号作戦 5
戦艦同士の砲戦が幕を閉じる一方で水雷戦隊による戦いもまたその幕を下ろしていた。
重巡洋艦の数から倍以上の違いがある日本艦隊にイギリス側はどうしようもなく蹂躙され消耗していった。
一方で一矢報いるかのように日本側も従順羽黒が8インチ砲弾を複数発受け中破、駆逐艦二隻が被弾したが、大勢に影響はなかった。
そして彼らの矛先が次に向いたのは退避中の空母部隊だった。
退避している空母イラストリアスは最大戦速30ノット、軽空母ユニコーンに関しては24ノットしかし出ないのだ。
ユニコーン呑みを置いていくわけにもいかず艦隊は24ノットで遁走していた。そこに水雷戦隊を片付けた重巡洋艦妙高、那智、足柄が駆逐艦四隻を伴い追いついてきたのだ。
日が登れば艦載機による攻撃も可能であったが、それが可能なのはあと三時間は後の話であり、目下の脅威に対処できるのは駆逐艦が四隻のみだった。
当然ソマヴィルは戦艦クイーン・エリザベスと共にインド洋に没していたから次の指揮官は空母イラストリアスの艦長と言うことになる。
そして艦長は逃げきれないと悟った時点で全艦一斉回頭の後に日本の追撃艦隊に突撃を開始した。
戦闘の結果は悲惨なもので、重巡の砲撃で四隻しかいない駆逐艦は30分と保たずに戦闘力を損失し波間に没した。
空母イラストリアスも船体の至る所に8インチ砲を被弾しボロボロになっていたが、装甲化された格納庫はよく耐えていた。
しかし駆逐艦の魚雷を右舷に2発くらった事でイラストリアスの抵抗は終わった。
唯一残されたユニコーンは脚の遅さから他の艦艇についていくことが出来なかったため1人戦場で取り残されていた。
当然イラストリアスが右舷に魚雷を浴びたところで白旗を出して降伏を選択した。
結果としてインド洋沖海戦と呼ばれる一連の航空戦、夜戦を通した結果はイギリス海軍の惨敗だった。
戦艦二隻と空母四隻、主力だけでもこれだけの数が失われていた。その上一隻は鹵獲されてしまったのだ。
対する日本側の損失艦は駆逐艦白雲呑みであった。
他に駆逐艦東雲が大破、戦艦扶桑、羽黒が中破判定を受けていたが、何も本土まで回航が可能でありセイロン島攻撃に影響はなかった。扶桑は砲戦に支障がないことからこのまま作戦を継続するくらいだった。
そして一夜明けて日本海軍はイギリス海軍の生き残りを無視するかのようにセイロン島に殺到した。
トリンコマリー軍港に殺到した艦載機の攻撃でセイロン島攻撃は開始された。
「戦死者の遺体の収容、終わりました」
「ご苦労だった。作業にあたった者はゆっくり休んでくれ」
扶桑に落下した砲弾はいくつかの装備と人命を奪った。だが対空戦闘が発令されていたわけではなく戦艦同士の砲戦だったことから対空兵装に人はおらずその点で言えば幸運だったのかもしれない。
しかし煙突脇に取り付けられた探照灯の操作要員などはそうはいかなかった。
結果的に扶桑では12名が戦死、13名が負傷した。
負傷の中には腕や足を無くしたものもいるから負傷で済んで良かったなどとは決して言えない。
しかしそれが戦争だ。
砲弾の炸裂に巻き込まれて体が残っていない人だっている。あたりに飛び散った血や肉片を収容する作業は当たり前だが長引いた。
それらがひと段落ついて、新堀は死んだ者たちの顔を思い出していた。
しかし死者に囚われたままなのは軍人として、艦の最高責任者として部下の命を預けられた者として最も恥ずべき事だ。
数字と捉えてしまえば簡単なのだろう。しかし命を数と数えた時私は何か大切なものを失ってしまう気がする。
覚悟はできていたはずだったがこうして惨状を目の当たりにすると辛いものがあるな。
「トリンコマリーを攻撃中の爆撃隊からの電信、拾いました」
戦艦扶桑は他の四隻と共にセイロン島に向かって前進していた。
目標は第二の港であるコロンボ港である。ここは商用港とされてはいるが、オランダの駆逐艦やイギリスの軍艦も何隻かが立ち寄る軍港としての機能も備えている場所だった。
その途中、空襲を行う航空隊の電信を捉えたのだ。
「ご苦労、なんと言っていた?」
報告を行った船務長は引き続き内容を読み上げていった。
「港の船舶はあらかた攻撃を終えて倉庫群や司令部と思われる建物も破壊したようです」
「山口中将は第二次攻撃隊を出すつもりかな」
「燃料タンクなどを破壊した報告がないですからそれを攻撃するためにも第二次攻撃隊を出すのではないでしょうか?」
その言葉に正しさを裏付けるように、空母からは第二次攻撃隊が発艦準備にかかっていた。
戦艦がコロンボを砲撃したのはそれから時間が経った18時30分だった。
夜の闇に紛れて接近しての砲撃は40分続けられ、コロンボ港は壊滅した。
イギリスはセイロン島への軍備をある程度犠牲にしていた節がある。航空機の配備が全く足りていないように思えた。
おそらくドイツとの本土航空戦にパイロットと機体を引き抜いているのだろう。新堀はそう考えていたが航空機の総数でいえば実はそう変わらなかった。
変わっていたのは機種だった。新型のスピットファイアやハリケーンは軒並み連れていかれ、代わりに旧式の複葉機ばかりがセイロン島には配備されていた。当然性能も低く日本相手に戦える代物では決してなかった。その影響ゆえか空母部隊も戦艦部隊も攻撃を終えて安全圏に離脱するまで基地からの空襲を受けることはなかった。
本土から遠い島の基地を完全復旧するためには大量の輸送船と資材が必要だったがそれを送る余裕はイギリスにはなかった。
この戦いで東洋艦隊は壊滅的打撃を受け、制海権はそっくりそのまま日本のものとなった。
それと同時に日本海軍は現有戦力のうち船団護衛や対潜に使う予定だった海上護衛艦隊のうち第三護衛艦隊と潜水艦を中心とした通商破壊用の第一潜水艦隊をインド洋に送り込んだ。
目的は当然イギリスの生命線と言えるインド洋の海路を遮断することだった。
ついでにセイロン島を海上封鎖し復興も遅らせることにした。
この効果は如実に現れ、潜水艦と護衛艦隊に配属された空母鳳翔を中心に多数の商船を拿捕、あるいは撃沈しイギリスは国家としての能力を急速に失いつつあった。
開戦前の最盛時には900隻、580万トン近い船舶のいたインド洋で稼働する船舶量は、セイロン島が壊滅したことで三ヶ月の合間に約半分にまで激減していた。全てが沈められたわけではないにしても日本参戦からアジアでの船舶損害の総量は200万トンに迫っていた。
イギリスは、本国の防衛やドイツに対する爆撃を大きく減らしてまでインドに増援を送り込むようになったが、イギリス本土などを起った輸送船のうち三分の一は海に沈み、当然送り届けられる航空機やその他の増援も三分の一は届けられなかった。
その上定期的に空母が現れてはセイロン島に爆撃を加えるものだから復旧は進まなかった。
1941年の7月にはインドでイギリスからの独立運動が激化し、はやい話がイギリスの生命線は危機に瀕していた。
さらにドイツのUボートやイギリスへの空爆もそれに合わせて激化していたため見た目以上にイギリスは瀕死だった。
それを知ってか知らずか、アメリカと日本はイギリスに対してアプローチをかけていた。
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