第十六話 イギリスの憂鬱

「わが国の戦艦二隻がこうも簡単に沈められるだと?」


ダウニング街10番地にイギリス王国の首相の悲痛な声が響いた。

執務室に報告にあがった第一海軍卿のアレクサンダーはマレー沖での出来事をまとめた報告書を片手に元海軍卿で現イギリス首相ウィンストン・チャーチルに伝えていた。

当初こそ二隻の戦艦がやられたということで衝撃を受けていたチャーチルは日本軍に与えたダメージが予想以上に小さいことに更なる衝撃を受けていた。

「生き残った駆逐艦の乗員の報告ではフソウクラスに被弾の炎などが発生したのを見ていません。また日本軍の暗号を解読した結果も被害は与えられていません」



「……なんたることだ。彼らは東南アジアを完全に確保するつもりか」


「それどころか東南アジアを制圧すればそのままインド洋を押さえにかかるのは明白です」


「なんとしてもそれは阻止せねばならない。かき集められるだけの戦力を送り込む。詳細は君の判断に任せよう。なに、議会が何か言ってきても気にするな。私がなんとかする」

そこまで捲し立てるように喋って、チャーチルは葉巻を吸った。

「しかしレパルスが航空機で沈められるとはな」

たとえ航空機でも損害が積み上がれば戦艦ですら撃沈できる。レパルス喪失のショックは最新鋭戦艦のプリンス・オブ・ウェールズが沈んだものよりも海軍関係者の合間で騒がれていた。

それゆえにプリンス・オブ・ウェールズはを襲っていた悲劇は見過ごされていた。

報告の中には水柱が異様に大きいこと、装甲が最も簡単に食い破られていたことも含まれていたが被弾をした戦艦達の乗組員の生存者が少ないため信憑性に欠けるものとして情報の優先度は低いままだった。


チャーチル卿の下を後にしたアレクサンダーはすぐさま海軍本部に戻りインド洋防衛のための戦力をかき集める作業に取り掛かった。


しかし彼が艦艇をかき集めようとしてもイギリス海軍に余裕があるわけではなかった。


地中海のイタリア海軍は今だに複数の戦艦を保有する有力な艦隊だったしドイツもビスマルク級二隻を含む有力な艦隊が残っていた。

これらは両軍ともに替えが効かないためほとんど出撃しては来ないがだからと言って対抗戦力を等閑にするわけにはいかなかった。


最終的にイギリスが増援としてかき集められたのは戦艦クイーン・エリザベス、ウォースパイト、バーラム、空母イラストリアス、重巡洋艦ロンドン、デヴォンジャー。軽巡洋艦リアンダー、アキリーズ、ネプチューン、そして駆逐艦が24隻六個水雷戦隊。そしてS級潜水艦が4隻。

大艦隊ではあるが日本海軍が総力をかけて待ち構えていると考えれば心も元ない。特に空母の数は倍以上の差がついていた。


先に派遣されたインドミダブルとハーミーズ、ユニコーンを加えても正規空母二隻と軽空母二隻では効果的に日本艦隊に攻撃を加えることはできないと考えられていた。

そのため航空攻撃による艦隊攻撃は当初から諦められ、増援として送られるイラストリアスには甲板に露天駐機まで行い艦上戦闘機を搭載する事にし防空空母とすることになった。


こうして集められた戦力はセイロン島トリンコマリー海軍基地に退避していた東洋艦隊の残存艦艇と合流することになった。


 しかしその事はインド洋で哨戒任務に当たっていた潜水艦伊58に補足されることになる。

 シンガポールやジャワ島を落とす頃から、日本海軍はインド洋での積極的な通商破壊戦を実施していた。当初派遣されたのは8隻の潜水艦であったが、これらのうち実際に通商破壊を行っていたのは2隻のみであった。東南アジア攻略で流石の日本海軍も、補給艦や潜水母艦などの支援艦艇が不足していたし何より8隻だけではインド洋は広すぎた。8隻の潜水艦では効果的な通商破壊は不可能で早々に各艦艇の艦長らはセイロン島付近に展開してイギリス海軍の動向を探ることにしていた。それは東南アジアが陥落し多数の潜水艦が通商作戦のためにインド洋にやってきてからも変わらなかった。




「推進音多数、包囲1-7-0より接近してきます」

聴音員の声が小さく発令所に響いた。独り言のような声ではあるが、静まり返った発令所にはそれでも十分に聞き取れる。聞こえるはずがないとは言え潜水艦の中は臨戦態勢になると自然と静まり返る。

「深度このまま、無音潜航でやり過ごす」

艦を指揮する艦長の声すらも小さくなっていた。

伊58潜はセイロン島の東側40kmの海域で大規模な船団に遭遇していた。

時刻は16時を回ったくらいでありこの時期ではすでに周囲は闇に包まれ始める時間であった。


「船団進路変わらず、本艦頭上を通過します」

そんな中で船団の真下に入り込んでしまう形になった伊58潜は運が悪いと言えた。多少距離があれば潜望鏡で確認する事が出来たが現状ではそのようなことをすれば爆雷の餌食になるのは確定だった。そして艦長は死に急ぐような性格ではなかった。

「識別は可能か?」


「先頭の一隻は二軸推進、小柄な波切音からして駆逐艦です。後続は数が多く個別で識別することは困難です」

聴音員が言わずとも発令所にはスクリューが海水を掻き回す音が響いていた。一定のリズムとボイラータービンの連続した音が響いていく。今のところはそのリズムが乱れることはない。伊58潜はかろうじて深度80mの海中で息を潜めることに成功していた。

「セイロン島への増援と見て間違いないな。問題はそれが輸送船団なのか軍艦の増援かだ」

輸送船団であれば船団の真ん中は非武装で水中の様子を探ることができない貨物船ばかりだから雷撃を行う事も賭けに入れることが出来るようになる。

「後方の艦の判別できました。四軸推進、確実に大型艦です」

しかし艦長は雷撃を賭けに入れるのは即座に中止した。

「四軸、間違いない。軍艦の増援だ」

流石に艦種までは判別できないが四軸の推進軸を持つ艦など一般的には軍艦しか存在しない。

それも巡洋艦以上の大型のものに限られる。


「数はわかるか?」


「少なくとも四隻以上、大艦隊です」

大型艦四隻以上、護衛の駆逐艦を含めれば軽く二十隻を超えるのではないか。素早く頭で艦隊の規模を割り出した艦長は、現状の維持に勤めることにした。

「潜望鏡が使えれば詳細がわかるのだがな」


しかし東洋艦隊が増援されたとなればイギリス海軍はインド洋で決戦を行うつもりと言うことだ。

やがて遠ざかっていくスクリュー音と入れ替わるように、重厚で重苦しいスクリュー音が響いてきた。先ほどよりも音の感覚が長く、そしてリズムは複雑だった。明らかに音を出すスクリューの数が多い証拠だった。

聴音員の中にはこの僅かな音の差を聴き分けて艦種まで聞き分けることができる猛者もいるが、イギリス海軍の艦艇の音を聞く回数は限られておりこの時は艦種判別までは出来なかった。

それでも頭上を通過する艦隊の総数だけは識別ができた。

「艦隊が離れたら打電だ。1時間後に浮上する」

情報を送るために艦長は生き延びる方法を選んだ。

 無音で海中に留まる潜水艦を見つけ出すのは非常に困難であり、ドイツ海軍のUボートに対抗するために世界最高峰の潜水艦探知能力を持つイギリス海軍でさえも、伊58潜を捉えることはできなかった。


「司令部宛伊58潜発、セイロン島ニ大型艦六隻ヲ含ム大規模艦隊向カウ……」


電波発信を捉えて緊急発進した哨戒機が夜の闇を掻き分けて現場に到着した頃には、一分とかからない電文を打ち終えた伊58潜は姿を消していた。


当然その一報はインド洋に展開する僚艦と東南アジアに仮説で設置されたいくつもの無線傍受アンテナを通じて本土の通信所に送られたのだった。


こうして日本海軍はイギリス海軍を撃滅するために総力をあげることになる。

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