1941年の航空戦力

九九式艦上爆撃機


愛知航空機が開発した急降下爆撃機である。


ワシントン軍縮会議と前後する次期、日本海軍は航空母艦の飛行甲板を破壊して撃沈できずともその運用を不可能とする攻撃手段としての急降下爆撃に着目していた。

最終的にこの急降下爆撃機は目標の精密爆撃が可能ということから兵部省の音頭の下開発が勧められ昭和8年に日本初の急降下爆撃機として九四式急降下爆撃機が誕生した。この爆撃機は九五式軽爆撃機として陸軍でも運用がされるが流石に陳腐化と母艦運用に特化しているため陸軍での運用に手間取るという問題が目立っていた。そこで後継として陸海軍共に運用する共通機種として開発されたのが九九式急降下爆撃機である。


 昭和11年(1936年)に海軍から中島飛行機・三菱航空機・愛知航空機それぞれに次期急降下爆撃機の開発が依頼された。しかし三菱は当時最新鋭艦上戦闘機の開発中であり余力がないため早期に開発を断念し、中島と愛知が開発競争を行った。


九四式急降下爆撃機を開発した愛知航空機は、当初ドイツのハインケル He 70を参考にした機体を開発しようとしていたが、不整地の多い野戦飛行場で運用する陸軍と狭い空母格納庫での取り回しを重視する海軍の異なる要求を満たす必要があり完全新規設計にすることになった。

最終的に出来上がった機体は全金属製、半引き込み脚、主翼両側下面に急降下制動ブレーキ板を配置し、主翼は低翼式を採用、主翼・尾翼の端を楕円形とした。

発動機に関しては初飛行を行った段階では「金星」発動機を使用する予定であったが、陸海軍の要求する性能に満たないことから、同時期に完成した三菱の「火星一〇型」発動機を採用することになった。

海軍採用の九九式艦上爆撃機では翼端を折り畳む事が出来るようになっている。

陸軍採用は九九式軽爆撃機とされ翼端折り畳み機能と着艦フックの有無、航法機器の一部が艦爆型とは異なる。


武装として主翼に7.7mm機銃を二丁備え、後方警戒に航法士用の7.7mm旋回機関銃を備えている。

爆装として胴体に250kgから60kgまでの各種爆弾一発用の懸架装置と主翼下左右一箇所づつに最大120kgまで吊るせる懸架装置を備えている。 開戦時には「火星二一型」に換装された出力向上型の22型が配備されていた。22型では主翼下に増槽を装備することも可能とされている。



九七式艦上攻撃機


昭和10年(1935年)に海軍が中島、三菱に設計を命じ製作された十試艦上攻撃機のうち中島案が採用されたもの。

日本海軍機としては初の全金属製の低翼単葉機であり、その設計思想は九九式艦爆にも影響を与えた。

それまでの海軍主力機であった九六式艦上攻撃機に対して最高速度は約100km/h向上した。

乗員は操縦員、電信員、銃手の3名。

またこの手の機体では初の引き込み式の脚をもち空力特性をよくするため発動機と胴体の合間の隙間を無くして機体の凹凸を極力少なくしている。

また格納庫に収容する関係から翼は脚の外側から大きく折りたたむ事ができるようになっておりこれによって搭載機数を増やすことに成功している。


一一型および改良型の一二型では発動機は中島の「栄」発動機であったが、のちに採用される九九艦爆と零式艦上戦闘機が共に「火星」を搭載する事と空母という限られた空間での整備性、生産数が少ないことから発動機の種類を一元化し調達コストを下げるべく考慮した結果「火星二一型」発動機を搭載する二一型がすぐに登場。主力機となる。「栄」よりも大型化したために機体の美しさは大きく損なわれることになったが大出力化により最高速度が25km/h向上し搭載重量も800kgから1tに向上した。


零式艦上戦闘機


昭和15年(1940年)に海軍が九六式艦上戦闘機の後継機として採用した艦上戦闘機。兵部省主導の陸海軍機種統合計画の九九艦爆/九九軽爆に続く機体であり陸軍採用機は一式軽戦闘機。

開発計画は「昭和十一年度 航空機種及性能標準」に基づき上昇力優秀にして敵高速機の撃攘に適し、且つ戦闘機との空戦に優越することと極力陸軍との仕様の共通化を計り調達費と運用費を下げる事を求められた。



開発は1937年(昭和12年)海軍と陸軍から提示された「十二試艦上戦闘機計画要求書」「軽戦闘機キ43計画要求書」に端を発する。

最大速力:高度3000mで270ノット以上

上昇力:高度3000mまで3分30秒以内

航続力:正規状態、公称馬力で1.5時間(高度3000m)/過荷重状態、落下増槽をつけて高度3000mを公称馬力で1.5時間乃至2.0時間、巡航速力で6時間以上が機体に求められた。


また陸軍から出された仕様書には防弾性能への記載もあり最終的に必要な能力を得るために戦闘機としては珍しく大型で大馬力の「火星」発動機が採用されるに至った。



主翼については、多格子型応力外皮構造、金属製片持式低翼単葉で左右の翼は一体形成となっている。このため胴体構造は九九式艦爆と同様で胴体と左右一体の主翼の二つの骨格で構成されている。これにより既存機体に改良を施す事が比較的簡単になった。

この構造は翼組みの構造の簡略化と構造材の重量を節約できる上、高い強度を得ることができた。

主翼は中央を貫く主桁とその前後に左右翼それぞれを支持する補助桁が入る三桁式となってる。

これにより機械工作が容易である事。疲労強度に強い特性を持つことになる。翼内機銃はスペース確保の問題から当初諦められていたが海軍が大口径機関砲搭載を望んだため主桁に吊り下げる方式とする事で対処した。


 試作段階から陸軍の指示により、被弾時の燃料漏れに対処するため燃料タンクの外装を薄い積層ゴム、絹フェルト、絹布で包んだ12.7mm弾に対応する、防弾タンクを搭載している他、操縦者の頭部と上半身を保護するため、試作一号機では操縦席後部に39mm圧合計重量48kgの防弾鋼板を装備したが後方視界が悪くなることから量産機では防弾板の頭部付近を防弾アクリルガラスの板に交換している。


発動機として当初1000馬力級の「栄」が予定されていたが陸軍の防弾性能の要求を満たす場合当初の要求が達成できないことからより大型で急降下爆撃機に使用実績のあった「火星」の出力向上型である二一型(水メタノール噴射装置を搭載して回転数、ブースト圧を引き上げ出力1750馬力まで向上)が採用される流れとなった。

そのためその大出力を受け止めるために当初3翅プロペラだったものが量産機では4翅プロペラになっている。


武装は陸軍と海軍で要求が異なり対戦闘機戦に重点をおいた軽戦闘機として採用する陸軍側は取り回しのしやすさと弾道特性の兼ね合いで12.7mm 2丁ないしは7.7mm 4丁。海軍は敵爆撃機や雷撃機を迎撃する要撃機として陸軍で言う重戦闘機並の武装である20mm機関砲の搭載を求めた。

最終的に一式軽戦闘機では榴弾を有するホ103 一式十二・七粍固定機関砲を主翼に二丁、機首に左寄りで一丁。


零式戦闘機では主翼側機銃を九九式二〇粍機銃に載せ替え火力増大を計っている。


これら重量増加と重武装化により最終的には航続距離を犠牲にするほかなく海軍要求の航続距離3000kmは諦められ航続距離は増槽込みで2400kmになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る