第十三話 マレーの咆哮

アメリカ合衆国海軍情報部のカーチス・ウェルダー中佐に言わせるなら、この国で高まっている対枢軸国戦への参戦は馬鹿げたものとしか思えなかった。

合衆国が世界の覇権を握りたいのであればそれは貿易で行うべきであり武力戦を行うべきではない。それが彼の持論だった。

もちろん合衆国軍がドイツや日本と正面切って戦っても負けるつもりはない。


しかし戦争による疲弊と得られる経済的利益を比べるとあまりプラスにはなりそうになかった。


ノックの音と共にオフィスのドアが開け放たれた。新米の大尉が新たな書類を持ってきていた。

表紙には機密区分を示すスタンプと、状況分析オレンジ2号と書かれていた。


オレンジは日本を示す合衆国の識別色だ。そしてその後の2号は海軍を示す識別番号だった。つまりこの書類は日本海軍についての報告書と言うことになる。


機密とは言うものの、それは毎月必ず制作される定的な報告書であり大半の情報は民間の本や新聞、または軍部の発表を元にしたものだった。元々日本という国は合衆国やイギリスの諜報員が活動しづらい国だった。

彼の国における白人の割合は極端に低く、白人の諜報員では目立って仕方がない。アジア人の諜報員は長年アメリカが対日工作員を必要としていなかったことから育成が出来ていなかった。

しかし対英戦の宣戦布告を日本が行った今となっては対日工作は重大なものとなっていた。


日本海軍はワシントン軍縮会議でアメリカにとって脅威であった金剛型戦艦を全艦退役させることに成功していた。だがその後金剛型の代艦として二隻がロンドン軍縮条約の特例で認められる事態になった時、アメリカは自らの失敗を悟った。

日本海軍は定められた戦艦の排水量枠が大きく空いていた。その枠を埋める目的も兼ねていたその建造は誠に意外なことだがアメリカ以外の全ての国から受け入れられてしまった。


最終的に浅間、筑波と名付けられたこの戦艦は、その諸元が一切公表されていないながらも推定上16インチ砲を搭載した高速戦艦として金剛型より厄介な相手になって登場していた。

その二隻が連合艦隊旗艦から外されていたこと以外で日本海軍に代わった様子はなかった。改装を受けた扶桑型も空母の護衛になっている。

そして就役したばかりの最新鋭戦艦。大和と称される戦艦にアメリカ海軍は最も警戒していた。

浅間らと違い大和はある程度の諸元が割れており、その主砲口径は18インチと推定されていた。

アメリカに誤算があるとすれば最も警戒を置くその大和は対英戦が始まってなお、その姿を呉に留めていた。

 大和は就役直後と言うこともあり乗員の練度が伴っていないのだが、兵部省はあえて見える位置に大和を起き、最もみられたくない戦艦扶桑ら四隻と大和を含む海軍拡張計画第三号全体から目を逸させていたのだった。


その情報は欠陥を抱えたままイギリスにも伝えられていた。







実態がどうであれそれは戦術的な些細な点にしか過ぎない。

戦艦扶桑を含む護衛艦隊が東洋艦隊の前に立たされていることに、大砲の話や装甲板の話などと言うのは全くもって関係のない話だった。


マレー半島南方方面で警戒をしていた遊撃艦隊を大きく迂回する形で北東より進撃してきた極東艦隊を捉えたのは偶然にも潜水艦だった。

伊58潜水艦は当初蓄電池充電のために浮上待機をしていた。そこに飛び込む形になってしまった東洋艦隊を緊急潜航でやり過ごし緊急電を送ったのが通過から1時間後のことだった。

すでに日は落ち、空母艦載機による航空攻撃は不可能であった。

「やはりきましたね」


「輸送船団が出航するタイミングは此方にとっても混乱が生まれやすいからな」



イギリス海軍は戦艦二隻と駆逐艦四隻と言う小規模艦隊だったがこちらも船団の出航が重なっており出せる戦力は戦艦扶桑と山城、そして軽巡洋艦長良と第六駆逐戦隊の暁、雷、電、響の四隻だった。重巡洋艦は丁度離れた位置での警戒にあたっており急行中であったがすぐに来れるかはわからない状態だった。

ここにこの戦争初の戦艦同士の戦闘が始まろうとしていた。

旗艦の艦長と言うのは少し特殊で艦隊司令長官である小野寺中将が艦隊指揮を取る。その指揮の元に艦を動かしていくわけであるから正直私自身の意思と言うものは存在しない。艦全体の統制と指揮にある。


「艦長、取り舵いっぱい。右舷同航戦」


「宜候、取り舵いっぱい。進路2-4-0、右舷砲戦用意!主砲発射は距離30000」

それでも多少の自主裁量の余地は与えられる。敵戦艦二隻と同航戦を取ると言っても完全に平行に進むわけではなくやや斜めに構えて進撃を行う。敵艦隊の速力と進路は変わらず。

艦橋から見える景色はあたりが一面の海原であるから全くわからない。ただし甲板では前部に備わった主砲二基が右に向かって旋回していた。


 目標との距離31000と上空にあげた観測機が報告してくる。先頭は最新鋭のキングジョージ5世級戦艦だ。向こうも主砲を高く持ち上げてこちらに狙いを定めているのだろう。距離が遠すぎて相手の詳細を見ることは叶わない。

だが互いに射撃距離まで詰めるまでの奇妙な静けさは何とも心臓に悪いものであった。

「主砲発射!」

 発射命令を下せば艦橋トップにある射撃指揮所の指揮で主砲が発射される。

強い閃光と轟音で足場が震える。主砲発射の衝撃は濡れ雑巾を叩きつけられると言う表現が当てはまると言うが実際には濡れ雑巾が全身に打ち付けてくると言った方が近いのかもしれない。

 しかしこれでもまだ小さい方だ。発射されたのは各砲塔一発づつだ。ここから着弾を見て修正射撃を行い砲弾の散布界に敵艦を捉えてからが本当の射撃の始まりだ。

 以降は進路変更や砲撃中止など大きく変更する時以外は艦長がする事はない。艦に被害が出ても応急処置は副長が指揮をとることになる。

 しばしの合間は戦闘を第三者として傍観することになりそうだった。



 先手を打たれたことに東洋艦隊は若干の動揺をしつつも、プリンス・オブ・ウェールズはマストトップに備え付けられたRDFに映る艦影に向かって砲撃を始めた。14インチ砲で射撃をするにはやや遠い距離であり例えRDFを使っていてもそう簡単に命中は得られない。あくまでRDFは目標の進路、速度の測定を容易にするだけで放たれた砲弾は風の影響や空気密度などの人が関与できないイレギュラー要素によって着弾範囲が広がってしまう。砲弾を遠くに正確に飛ばすためには砲弾自身が大きく重ければそれだけ風邪の影響を排除出来たりするのだが咆口径が決まっているためそう簡単にはいかない。だがそれは同じ14インチ砲艦である敵の戦艦も同じである。そう考えていた。

少なくともRDFと観測機の併用で互角以上に戦えると踏んでいた。

特に一隻は15インチ砲であった。

だが飛んできた砲弾はフィリップ中将が想定していたのよりも近い位置に着弾していた。

「連中、相当腕が良いらしい。さすがは東郷の子孫だ」


それと同時に違和感も感じていた。どうにも14インチ砲弾があげる水柱にしては大きい気がするのだ。

近くに着弾しているからだろうと思われていたが三射目を日本側に遅れて放った直後に違和感は確信に変わった。

フィリップ中将は軽い衝撃の後に艦橋の床がズレ動くような振動と轟音を味わった。

同時に何かが壊れる音が連続して響く。イギリス海軍は、少なくとも戦艦はこの戦争で初めて被弾をしたのだった。

「被害報告!」


艦長の声が飛び、少しして伝声管から損害の報告が上がった。

「左舷第二煙突付近に被弾!中甲板まで貫通されました!爆風でボイラー二基が破損!」


「装甲が食い破られただと?!」

最新鋭戦艦であり十分な防御を施しているはずだった。

だがその事を考える前に、敵が斉射を始めたと言う報告が見張より上がった。互いの距離は27000を切っていた。


1分ほどでプリンス・オブ・ウェールズは激しい衝撃に見舞われた。



扶桑が斉射に移ってからプリンス・オブ・ウェールズが、三発の砲弾を浴びたところで扶桑の左右に水柱が高く上がった。夾叉された証であったが、それ以降扶桑の近くに水柱が上がることも直撃弾が出ることもなかった。

この時プリンス・オブ・ウェールズに着弾した三発の砲弾のうち二発までは装甲を貫通することはせず第二煙突を破壊し、周囲の高角砲や機銃を吹き飛ばすに終わらせた。しかし一発が後部の非装甲区画を突き破り艦尾に抜けたところで起爆。4本ある推進軸のうち右舷外側の推進軸が破損し速度の低下と進路がずれ始めていた。


これにより諸元が狂ってしまい、特に旗艦に連なるように右側に僅かに艦首を降ったレパルスも諸元が狂ってしまった。

当然艦の進路が変わったことで扶桑側の砲弾も空振りを繰り返すが、混乱から立ち直る方が早いのは余裕がある方と決まっていた。法術長の小栗正義少佐は素早く諸元を修正して二射目で命中弾を再度与え始めた。

再び命中した砲弾はプリンス・オブ・ウェールズの二番砲塔に命中しこれを破壊。さらに一発がマストの付け根に被弾。前部マストが倒壊し光学射撃指揮装置を薙ぎ倒して艦橋に倒れかかった。

すぐに後部射撃指揮所が対応を行うが、RDFを失い予備指揮所が指揮を変わるまでの時間的空白はフィリップにとって致命的だった。




 新堀は双眼鏡を覗きながら炎上する敵艦をみて思った。

 意外と早く決着が付きそうだ。やはり41センチ砲は違うな。主砲こそ沈黙はしていないが射撃精度は出ていないな。

ここまでの合間扶桑は被弾を許さなかった。数で劣る日本海軍が長年研究していた長距離砲戦によるアウトレンジ。その戦法を体現した形になった。しかしこれで良いのだろうか?




すでに十発以上を被弾し至る所から火を噴き上げている戦艦からは戦意は感じられなかった。それでも最後まで諦める意思がないその敵艦に、無情にも扶桑の砲弾が飛び込んだ。八発中四発が命中し、うち二発が箱型の近代的な艦橋を吹き飛ばした。艦橋の左舷側が大きく抉り取られたかのように吹き飛び、黒煙が煙突のように噴き出ていた。

さらに二発がプリンス・オブ・ウェールズを揺さぶり、少しづつ左舷側に傾斜が始まっていった。

そこからさらに十発の被弾に耐えたプリンス・オブ・ウェールズだったが、ついに耐えきれなくなった彼女は、左舷側への傾斜が許容値を超えて、夜の海にその赤い船底を見せるようにして転覆。弾薬庫内で誘爆が発生したのか巨大な爆発と共に轟沈していった。


 しかし扶桑が有意に砲撃を進めたのに対して山城は上手くいかなかった。こちらも被弾自体はしていないがレパルスへの砲撃は三発が命中しただけで、レパルスは反転し生き残っていた駆逐艦と共に離脱を計っていた。いくら高速戦艦と言っても相手は巡洋戦艦であり速度差はほとんど無い。そして小野寺中将は船団と橋頭堡の護衛に徹するために追撃を命じなかった。


この戦闘で日本側は駆逐艦暁、電が駆逐艦同士の戦闘で被弾し中破した以外では、至近弾により山城の水上機カタパルトが故障した以外では損害はなかった。

対するイギリス海軍は旗艦プリンス・オブ・ウェールズが轟沈。フリップ中将を含む東洋艦隊幕僚は全滅してしまう。特に艦橋への被弾が当初司令部が脱出を行おうとしている最中に発生し砲弾の炸裂に巻き込まれる形で彼らは殆どが戦死か瀕死の重傷を負っていた。

そのほかに駆逐艦ヴァンパイアが長良の攻撃に耐えきれず沈没していた。残ったのは中破したレパルスと駆逐艦三隻だけだった。

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