第十二話 マレー半島
戦闘の号令は空で行われた。
戦争の始まりがどのようなものであるのか。現実の戦争ではしばしば指揮官が号令をかけた時から開戦が始まることが習わしのようなものになっていた。しかし今日の近代戦争では指揮官が号令をかけるとしてもそれは華々しいものでもなければ分かりやすいものでもなかった。
第一航空艦隊の空母赤城、天城より発艦した攻撃隊は上陸地点となるコタバル、シンゴラ、ナコン、バンドン、プラチャップの5つの上陸地点のうちコタバルとプラチャップに向けて攻撃隊を送り込んでいた。
このうち戦闘機が出現したのはコタバルとナコバンの二箇所だった。
それぞれが役十機程度の小規模な編隊であり、爆撃隊を護衛する戦闘機による空戦が始まったことが無線解除をした爆撃隊長より伝えられた。その情報は艦隊で最も高い前楼を持つ扶桑と山城がしっかりと捉えていた。
「敵の強襲ですかね?」
戦艦扶桑副長である板倉慶介中佐は、逐一送られてきては環境に響く航空戦の経過を聞きながら新堀に尋ねた。
「いや、待ち伏せていたのならもっと大勢で来るはずだ。戦いは数だよ」
新堀の言うとおり戦闘は出撃した迎撃機と同数の護衛の戦闘機が抑えた結果爆撃機隊が攻撃を開始するまでに撃墜された機体は全くなかった。
「ならこれらは緊急出撃した機体と言うわけですか」
「そうだろうな。おそらく各方面に同時進撃しているから英国がこの地に展開していた航空戦力単体では飽和してしまっているのだろうな」
宣戦布告から堂々の48時間が経過してなお上がってきた機体がそれしかないことを理由に彼は思ったよりも英空軍が弱体化しているのだろうと算段をしていた。実際にイギリスはバトル・オブ・ブリテンでどうしても航空戦力を自国領土防衛に割り振らなければならなかった。それがイギリスの限界でもあった。
日本とイギリスが本気で戦争をするのであればこの地に航空機や人員を送り込んでいるはずだ。だが実際には航空機も人員も本土防衛に引き抜かれてしまっていた。
その代わりにイギリスはドイツとの戦争で必要性が薄い海軍戦力をどうにかして11月中には東南アジアに送り込んでいた。
それまでは精々が仮装巡洋艦と駆逐艦の編成だった東洋艦隊には、新鋭の戦艦と巡洋戦艦、そして航空母艦が三隻隻追加、護衛を伴って配備されていた。
決してイギリスは東南アジアを見捨てたわけではなかった。
扶桑は未だ一発の砲弾も放っていない。そもそもこのマレー上陸において主体となるのは重巡洋艦と駆逐艦であった。上陸地点まで最も近づくことができることと一発あたりの火力を考えてなのか艦隊司令部は扶桑と山城を空母のお守りに徹させるつもりのようだった。
その空母と扶桑の前方には上陸のために前進した輸送艦が護衛の駆逐艦とともに前進していた。
「我々は空母のお守りですか」
「仕方がないさ。いくら第二航空艦隊が遊撃のために出ていると言っても東洋艦隊の動きを掴めていないのでは我々はここから迂闊に動けん。最悪の場合輸送船団や空母が奇襲を受けるかもしれないんだ。
皮肉なことに宣戦布告の通達は東洋艦隊を出撃させる結果をもたらしていた。一度洋上に出てしまった艦隊はいくら基地周辺に諜報員を送り込んでいても見つけられるものではない。海の上にスパイは送り込めないからだ。
連合艦隊は見えない影に怯えているのではないか?その考えが新堀の頭を過った。
東洋艦隊は開戦直前に司令部があるシンガポールに二隻の戦艦を含んだZ艦隊を駐留させていた。
トーマス・フィリップ大将が新たに東洋艦隊司令部に着任したのも、この二隻の戦艦と同時だった。
彼はこの極東派遣も最終的に相手が折れて戦争を回避するための策だと聞かされていた。だが彼自身はその考えに否定できだった。
「悪戯に日本を刺激すれば彼らは必ず武力で行動する。すでに国家として致命傷を負っているのだ」
それは彼が本国を離れる際に漏らした言葉だった。そしてそれは現実のものとなった。
条約明けに建造された新造戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスがマレー半島南端に位置するシンガポール海軍基地に到着したのは1月3日だった。日本が宣戦布告を行う5日前のことだった。
シンガポールはイギリスの植民地であり、同時にイギリス軍の重大拠点でもあった。
そんな基地であったが、プリンス・オブ・ウェールズのような新鋭戦艦が配備されるのは初めてのことであり決してイギリスが日本を軽視していたわけではなかった。その他にも最新鋭空母として装甲空母インドミタブルが合流する予定であったが同艦は竣工したばかりで基礎訓練を必要としており同時に随伴することになった軽空母ハーミーズ 共々この時はまだセイロン島を出航したばかりであり開戦時にはインド洋の中央あたりを航行していた。
残る一隻のユニコーンは整備期間だったためドッグで機関部の整備を行っており開戦までに整備を切り上げて随伴させることは不可能だった。
そもそも空母ユニコーンはその航空機運用能力を搭載機数ではなく整備能力に振っている航空機整備母艦であったから艦載機数は相当に少ない。今回の出撃に間に合ったとして大した戦力にはならないとフィリップはみていた。
フィリップ大将は厳しい顔で海図を睨んでいた。
すでに開戦の通達は本国から大至急で到着しており、それに伴い東洋艦隊は出撃可能な全艦艇を持ってシンガポールを出撃していた。
彼の考えでは一度洋上に退避をし侵攻部隊がきたところを海上から逆襲する作戦を考えていた。だがそれは実際に日本軍の攻撃が始まって不可能になりつつあった。日本軍は各方面に同時進行しておりそれら全てに対処するには戦力不足であった。
そこでマレーに侵攻してきた部隊を攻撃することに決めたのだが、潜水艦などを利用した偵察の結果戦艦と空母を複数隻含んだ艦隊が張り付いており、また周囲には別働の艦隊もいると言うことから戦力不足として突入は見送られていた。
そこでフィリップは現在急行中の二隻の空母と合流してそこからマレー半島を侵攻している輸送船団を奇襲する計画を立ち上げていた。
これは一度きりの辻斬りに似たようなもので、戦局に最も寄与しない戦闘であるこちは間違いなかった。
しかし何もせずに東南アジアを明け渡すのは東洋艦隊としてはできない事だった。
「さて諸君、我々の手元にある手札を確認しようじゃないか」
フィリップの芝居じみた声に参謀の1人が真面目に答えた。
「戦艦2隻、うち一隻は新鋭のプリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルス。護衛として駆逐艦4隻エレクトラ、エクスプレス、テネドス、ヴァンパイアがいます。急行中のインドミダブルとハーミーズはそれぞれ駆逐艦4隻を伴ってこちらに向かってきています。明日の0930頃には我が艦隊と合流できるでしょう」
「足らないな。彼らは常に輸送船団に戦艦二隻と空母四隻を護衛に当てているんだ。それに含めて贅沢にも遊撃で同数の戦艦と空母がいるんだ」
海軍が必要とする石油は潤沢とは言えないが日本も生産している。そのためイギリスが禁油政策をとったところで連合艦隊を止めるには至らないのだ。
「夜間攻撃と行きましょう。我が航空隊なら夜間攻撃も可能です。航空機による夜間攻撃ののちに戦艦を突入させます。幸いにもまだ船団は出航していません」
しかしフィリップ達には時間がなかった。上陸を果たした日本軍は破竹の勢いで進撃している。その予想外の電撃戦にイギリス陸軍は悲鳴をあげていた。
「だが、明日には船団が出ていってしまうかもしれない。ここは橋頭堡を戦艦部隊呑みで強襲するべきだ。夜が開けてからは空母と合流してエアカバーを展開して退避する」
港湾設備があるわけでもない地域への揚陸は大発などを使っているため時間がかかる。それでも日が登る頃には輸送船団は出てしまう。
それまでに日本軍を効率的に叩くには陸揚げしたばかりの物資で溢れているであろう橋頭堡を叩く。それしか方法は無く、最も陸軍を支援できる方法でもあった。
「遊撃に出ている艦隊はどう対処しますか?」
「奴らとて無限の航海ができるわけがない。それに夜間に接近すれば航空機による偵察は不可能だ」
敵が空母を使えなければその戦力は戦艦二隻、巡洋艦八隻。そのうち戦艦は14インチ砲搭載の扶桑型だと言うことがわかっている。レパルスは15インチ、そしてプリンス・オブ・ウェールズは14インチ砲を10門搭載している。巡洋艦の戦闘力を除けば火力上は日本軍よりも有利なはずだった。
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