第十一話 運命の開戦

 航海艦橋は低い位置に設けられているため窓ガラスには波飛沫が絶え間なく降りかかり落ちていく。

この時期の太平洋としては珍しく海は大荒れだった。横須賀を出航して数時間ほどして降り出した雨は風をともなって艦隊を飲み込んでいた。まるでこの国の行く末を見ているみたいだと新堀は悲観していた。しかし悲観したままで止まるような思考は持っておらず、ともかく祖国にとって絶対に負けられない戦いになるとどうにか己を奮い立たせようとしていた。

そして自らはやれることをするしかない。どんな状況であっても国に身を尽くす。それが軍人の定めであると彼は叩き込まれていた。そして彼の父もまた軍人だった。

すでに退役して長野の実家に帰っていたが、その父の顔がふと思い立った。

元気にしているだろうか?

死と隣り合わせになって肉親の身を案じるのは臆病風に吹かれたからだとそのことを頭から振り払いながら彼は艦を指揮し続ける。

大荒れの海では直進を維持するのも意外と難しい。航海長がジャイロコンパスと海図と格闘し、艦の進路と艦隊の予想進路がズレていればその都度舵をとって修正する。当然戦艦といえど波に大きく左右に揺れている。慣れていないものは船酔い必須であるが、扶桑の乗組員にそのようなものはいなかった。



1941年1月、扶桑を旗艦とした第一航空艦隊は一同インド洋に向けて舵をとっていた。




開戦の経緯は複雑であった。支那事変と呼ばれる一連の戦争が終わり講和が締結されたその一週間後、なんと今度は地球に反対側に当たるドイツで独ソ不可侵条約が締結。不倶戴天の敵同士、決して握手することはない独裁者同士と考えられていた、ドイツとソ連、ヒトラーとスターリンが握手するという歴史的大事件が発生したのだ。


そもそもこの件に着いては日本どころか防共協定を結ぶ国には何も知らされておらず、日本側からすれば完全なる裏切り行為であった。

そもそも共産主義と相容れないとして日独が接近していたにも関わらず勝手に手を結んでいるのは国際的にみても背信好意であった。



 そしてドイツは誰の断りもなくポーランドに攻め込んで、条件反射的に英仏がドイツとの戦争に突入した。第二次世界大戦の幕開けであった。



 

日本は一番の貧乏くじを引いたのだった。懸命になって自分たちの戦争を終わらせたと思ったら、事実上の同盟国であるドイツは第一の仮想敵ソ連と不可侵条約を結んだ上に、英仏と勝手に戦争を始めてしまったからだ。 しかもドイツのポーランド侵攻は日本の支那事変のように偶発的ではなく、極めて計画的な戦争だった。何しろ、当時のドイツ全軍が一斉にポーランドに攻め込んでいるのだ。これが偶発的戦闘なわけがなかった。

 

しかし起こってしまった事はもうやり直すことはできない。歴史にもしもは存在せず、日本はなし崩し的にイギリスとフランスとの関係が大きくこじれる。

 それでも即座に戦争ということにもならず、また協定には参戦義務もないことからなんとか日本は中立を宣言した。

しかし、徐々に外交が難しくなっていた。

 特にイギリスは当初日本を味方に引き込もうとしていた。

この時アメリカはモンロー主義によってヨーロッパには不干渉を決め込んでいた。ルーズベルトなど政界はともかく国民は大陸の外の事へは興味がなかった。

 イギリスが取れる選択は日本との同盟だけだった。

だが外交常識や国家間の関係を考えると、三国防共協定を日本の側から簡単に反故にすることは、外交上得策とは考えられなかった。

これに業を煮やしたイギリスは強硬策に出たが、これが日本を、日本の民意を完全にドイツ側にしてしまった。


 モンロー主義によって身動きが取れないアメリカだが何もしていないわけではなかった。特に支那事変で完全にアメリカは日本を敵だと認識していた。このためルーズベルトは密かに、そして確実に日本との戦争への参加準備を行なっていた。それを察知していたであろうイギリスは日本を出汁にしてアメリカを裏口から戦争に引き込むことを画策していた。外交に長けたイギリスならではの考えであった。仮に日米での戦争が不発に終わっても、強硬策によりイギリス側に日本を引き込めると言う算段だったのだ。まずイギリスは、あえて日本を挑発するように東アジアへの軍備増強を開始する。しかしイギリスはバトルオブブリテン真っ最中であり焦りがあった。その焦りが判断を間違ってしまう。


 イギリスは、日本が必要としていてかつ日本が持つ領土や属国からは出ない資源を用いて対日交渉を行っていたが両者の交渉は平行線を辿る。

 この結果ついに日英は破局を迎えた。

イギリスならびに連合軍所属の国々は相次いで日本との貿易を止めるか縮小し、日本の海外貿易体制は短期間で破綻へと向かった。特に錫、鉛、亜鉛、水銀、マンガンなど一定量の採掘ができても、多くを輸入に頼っているものも多い。特にボーキサイト、ニッケル、綿花は全てか殆どを輸入に頼っており、クロムやタングステン、モリブデンなど希少金属の不足も多い。

 日本が勢力圏を含めて自給できた天然資源は、石油、石炭、鉄鉱石、銅、生ゴムぐらいとなる。

これらの資源を輸入できなくなったことは重工業国家に成長していた日本にとって致命傷だった。


 そして追いつめられた日本は、軍部に押される形でついに実力行使を開始。

 1940年9月27日に遂に日独伊三国軍事同盟が締結され、事態は決定的局面へと足早に進んでいった。

 

 これを受けたイギリスは、なんとか日本を連合国側に強引に引き込もうと日本との貿易を完全に停止し、日本資産の凍結と金融封鎖も実施した。

 だがこの結果、日本は戦争へと踏み出す事を完全に決意し、以後急速に戦争準備を急ぐ事になる。


 しかし新堀は日本もまだ多少の理性は残していることを知っていた。

正々堂々と48時間後の開戦通達を行い、アメリカ除いた連合国のみに宣戦布告を行っていた。

 そして現在第一航空艦隊は第一護衛艦隊と共にマレー半島への上陸部隊を乗せた輸送船団を護衛していた。

 マレー半島上陸を支援するためでもあるが新堀には、それでも第一航空艦隊の全艦艇が護衛に入るのは些か過剰な気もしていた。艦隊の多くは艦隊ごとに分かれて南方各方面への侵攻と攻撃のために出ていた。

マレー半島上陸のこの部隊だけが二艦隊も合わさった規模の大艦隊だったのだ。

第一航空艦隊は戦艦二隻と空母四隻を基幹としている。これに高雄型重巡洋艦が四隻。軽巡洋艦長良、由良を中心とした8個駆逐戦隊。そして護衛艦隊に所属する軽巡洋艦四隻と8個駆逐戦隊。それがマレー侵攻部隊の海上戦力だった。


艦橋の窓から見える荒れた海には、灰色の軍艦が小さく見えた。ほぼ同色の暗い雲の色に隠れそうになりながら駆逐艦が波に攫われていた。


巡洋艦もまた大きく揺れていた。

(こんな状態で戦えるのだろうか?)

口には出さないがこのような大荒れの中を突き進んだ艦艇が戦えるかどうかは未知数だった。

武装が波で破壊されるかもしれない、乗組員が波でやられて戦えないかもしれない。

しかしやるしかなかった。だが第一航空艦隊はマレー半島への攻撃を第一に目標としていた。だから新堀もなんとかなるのではないかと考えていた。

 いずれ出てくるイギリス東洋艦隊には第二航空艦隊と第一水上打撃艦隊が当たるはずだった。

二つの艦隊はマレー方面へ向かう侵攻部隊の南方を進んでいるはずだった。その部隊はマレー半島への攻撃は行わない。東洋艦隊が出てこない場合東洋艦隊を独立して追撃する部隊だった。


だがそれらのことを考えるのは彼ではなく、扶桑の艦橋下、装甲の備わった中甲板に設けられた艦隊司令部用の作戦室にいる第一航空艦隊の面々であった。

同時に第一護衛艦隊の指揮官のうち連絡要員が詰めている。扶桑の中で艦隊の中枢と言っていい区画だった。


現在そこでは作戦会議が行われているはずだったが、戦艦扶桑からは副長が出席しているだけであった。繊細な操舵と統制された指揮系統が必要となる大しけの海では艦長が直接艦の指揮を取るのが日本海軍の慣わしだったからだ。

だから眠い目を擦りながら、交代もせずずっと艦橋に新堀はいるのだった。

「左舷前方異常なーし」

「右舷前方異常なーし」

艦橋の左右に張り出しで設けられた見張り所からの報告に、波と風の轟音に負けないほど大きく宜候と答えた彼は少なくとも今見張りでずぶ濡れになっている者よりもマシではあるなと気持ちを切り替えた。



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