第八話 上海事変 2


上海への上陸は意外にもなんの抵抗も受けずに終わった。しかし鷹山少佐にとっては抵抗があろうとなかろうと既に散々に打ちのめされていた。ここまで乗ってきた船は元々瀬戸内海で内航貨物船として使用されていたものだった。貨物船であるため人が乗る設計ではなく、ただ詰め込まれて大して荒れているわけでもないのに大きく揺れる船に揺られていれば誰だって気分が悪くなる。

(畜生、お偉いさんはどうかしてやがる)

そんな悪態を付きながらも彼は部下と共に桟橋で別の船の荷下ろしを待っていた。


国内で機械化が完了した機械化歩兵部隊には部隊転属で一部の戦車部隊が機械化歩兵の直掩隊として合流していた。その戦車大隊の指揮を任されていたのが鷹山だった。しかし彼の愛車である九七式中戦車は船から荷下ろしをされている真っ最中であった。

九七式中戦車は1936年より八九式中戦車の後継車両となるべく開発されたものであり現在配備されている戦車の中では最新鋭のものであった。

ただ、鷹山自身はこの戦車より中華民国相手であれば九五式軽戦車の方が本来の用途に会っているはずだと考えていた。

本来八九式中戦車の後継となるはずだったのは九五式軽戦車および九四式重戦車だった。それぞれ軽戦車が歩兵直協。重戦車が対戦車戦闘用に分けられていた。しかしどちらも実質上は八九式中戦車の代替となり得ないことが明らかとなっていた。

特に九四式重戦車の三十七粍対戦車砲は初速はともかく砲弾自体の小ささにおける火力不足が顕著であった。

 そこで、八九式中戦車の真当な後継で一般師団の戦車隊などに配属する量産可能な戦車となる中戦車が計画された。


見た目には九五式重戦車を軽量化した軽歩兵戦車のように見える九七式中戦車だがその中身は全く違う戦車であった。

エンジンは量産性維持のため航空機用空冷星型ガソリンエンジンを搭載していた。そのためエンジンルームがやや背の高い構造になっている。

砲塔も新たに二人乗りの砲塔に改められていた。

主砲は四十七粍対戦車砲になっていたが、これは装甲車両を破壊するのには適しているが、歩兵支援として装甲を持たない相手を狙う場合は勝手が悪かった。

だから鷹山は今回の戦闘には使えないのではないかと考えていたのだ。特に上海には敵になる戦車は存在していないと聞かされていたからだ。

 

 

最後に荷下ろしが済んだ愛車の九七式戦車に乗り込んだ鷹山はその場で弾薬運搬をしていた船から下ろされた砲弾と機銃弾を積み込んで上海に向かっていった。

すでに先行して上陸していた部隊からの報告と師団長の作戦により到着後、鷹山達は迂回攻撃を行う旨が伝えられていたのだ。


しかし鷹山自身にはそう簡単に行くとは思っていなかった。

中国人達は上海の租借地の前に大規模な塹壕を作って立て籠っていた。これは先の大戦でよく見られたものであると航空偵察で判明していた。


 そこを突破するためにまず機械化部隊の保有する装甲輸送車と九五式軽戦車が塹壕正面の一箇所に集中攻撃を行いつつ前進する。

頃合いを見計らって塹壕の右翼側の塹壕の手薄部分を突破して司令部を直接叩くのが鷹山の指揮する大隊の仕事であった。

しかし鷹山には迷いがあった。

「難しい顔してますね。作戦が心配ですか?」

声をかけたのは主砲の砲手である新崎曹長だった。士官コース出身の鷹山と違い一兵卒からの叩き上げである新崎は年齢的にも彼より一回り上で、鷹山にとっては頼れるオヤジさんのような関係だった。鷹山が部隊配属されてから彼だけはずっと鷹山の戦車の砲手であり続けたのがその証拠だった。

「ん、だが塹壕突破戦術として何度も検証がされてきてはいるんだ」

元々この戦術は先の大戦の経験から何度も検証され続けているものだ。それだけに陸軍としてはここで実戦で使えることを証明したいのだ。勿論、この戦術を元にして訓練を積んできた鷹山も戦術自体に不満はなかった。

「なら何が問題なんですか?」


「正面に突入する歩兵さんだよ。いくら陣地突入のために装甲車を持っているって言っても支援が九五だけじゃなぁ」

あれが搭載しているのは12.7ミリと7.7ミリ。しかも2小隊分しかいない。浸透戦術には少し足りない。装甲車はトラックの台枠を流用して装甲車体を乗せただけだ。武装すらしていない。

あの凝った作りの塹壕に突入させるには火力が足りない。

本来なら火力不足を補うために大口径榴弾砲を搭載した九五式軽戦車甲型がいるのだが、機材遅れでこの場に届いていなかった。

急を要する出動だったために準備が追いつかなかったのだ。


「こっちから二個小隊出すか?」

小隊の数で言えば鷹山の手元には十二個小隊。四個小隊と中隊指揮車一両で一個中隊。それが三個中隊と大隊指揮車が一両。このうち二個小隊を正面での浸透戦術を行う本隊に回せば多少はマシなはずだ。少なくとも九五式より重装甲だから撃ち負けることはないだろう。うん、これを撃破するなら少なくともこいつの主砲を持ってくるかしないと無理だろう。ロシア野郎が対戦車火器も供与していると言うが今ところ上海には持ち込まれていないらしいからな。


「大隊長殿の判断に任せます」

新崎がそういう時は同意したという合図だった。問題があれば彼が必ず口を挟む。

よし決まりだ。なら隊列の1番後方にいる中隊から差し出すことにしよう。向こうの指揮は確か歩兵大隊長だったな。

一度戦車を降りた鷹山は連絡を取るため後方に待機している長いアンテナをいくつか取り付けた九七式中戦車に歩み寄って行った。

大隊指揮車と言っても通常の車両と変わらない。通信機は搭載されているがあくまでも中隊規模での通信用で出力は低い。大隊間での通信には使えない。だが大体指揮車とは別にもう一両、通信指揮車がいる。これは敵からの集中攻撃を避けるために九七式中戦車を元にして砲塔内部に大型の無線機を載せた通信車両だ。

主砲は木製のダミーであり攻撃力は持たない。だが大隊になくてはならない大切な装備だった。

やがて土煙をあげて大隊の後方から二個小隊の戦車が離れて行った。



 しばらくして砲撃が始まった。主戦場からは少し離れているためか、こちら側はまだ攻撃は行われていない。建物の陰に隠れているため見えていないだけなのかもしれないが、それにしても攻撃がないのが不気味だった。普通は二列の塹壕がそこだけ一列になっていたら守る側も攻める側もそこが最も防御が薄くなる場所だと考えて防御人員を増やしたりするはずだが、そういったこともしているようには見えない。


 突入の合図は上空に赤色の発煙弾が打ち上げられるのを合図に行われる。

上空に赤い発煙弾が上がるのが見えた。


エンジンはすでにアイドル状態になっていた。

「攻撃開始!」

大隊指揮官としての任務は大雑把に言ってしまえばそれだけだ。後は中隊規模で中隊指揮官が配下の戦車を使って戦術的戦闘を行う。大隊長は中隊の後ろから戦車で追従しつつ全体を俯瞰して隊の行動を決定するだけだ。


陣頭指揮で真っ先に突撃していくのはもう過去のものだった。


敵は突如として建物の影から現れた戦車の軍団に驚愕していたようだ。混乱したまま機銃掃射が行われるが、7.7ミリは明後日の方向に飛んでいくばかりで車体を叩きすらしない。仮に叩いたところで貫通できるわけでもないが、それでも弾が装甲板を叩く音は聞いていて不快になる。

先陣切って突出していた小隊が停車し、機銃陣地に向けて砲撃を行った。少し離れていてもお腹に響いてくる戦車砲の砲撃音と共に先程まで鉛玉を排出していた機銃陣地が粉砕された。吹き飛ぶ土と爆煙と共に人だったものと機銃の重心が空高く舞い上がる。


その次に別の小隊が前進を行い前に突出して停車。塹壕に向けて砲撃と銃撃を叩き込む。

やっていることは歩兵の動きと変わらない。変わらないのだ。

二、三回それが繰り返され、一両が運悪く履帯が切断されて動けなくなったものの、塹壕をあっさりと突破した。一個小隊が車体の向きを変えて塹壕に向けて砲撃を叩き込み他の部隊が背後から攻撃されるのを防ぐ。機銃弾が塹壕の中にいた兵を薙ぎ倒し、血飛沫をあたりに飛び散らせていく。砲撃をくらった者は姿を残さず消失していた。それを尻目にその間に他の部隊はどんどんと先に向かっていった。塹壕が突破された時点でかなりの兵士が逃げ出していたのか、前進する戦車の前には何人もの人間が走って逃げていた。

何両かがそれに向けて砲撃と銃撃を加えていた。さらに大胆な者はハッチから身を乗り出して拳銃すら使っていた。

だが大半の戦車は速度をあげて司令部を目指して行った。


司令部は塹壕の後方、全体の中央に当たる位置を掘り広げて作られていた。1メートルほど掘ったところに天幕を被せ、偽装をしているが近づいてけばすぐにわかった。

途中でさらに一両がエンジントラブルで立ち往生したが多勢に無勢だった。対戦車火器を持たない部隊では戦車の突破を阻止できない。それが今明白になったのだった。


同時に、九五式軽戦車の火力不足も明白になったのだった。

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