第七話 上海事変 1

1937年が過ぎる頃にはアメリカ合衆国との対立関係はより深刻な状況になっていた。


元々満州帝国によるアメリカ資本の締め出しによりラストフロンティアとアメリカが呼んでいた中国大陸への足がかりを完全に失う形になったアメリカは日本に対して良い感情を持っていなかった。だが当時のアメリカは大恐慌の尾を引いていた上に中国大陸への投資より国内投資による自国救済を必要としていた。


しばらく中国におけるアメリカの利権はアメリカ自身が放置していたと言ってもいい状態が続いていた。それが反転するのがフランクリン・ルーズベルトが大統領となってからだった。

彼は自身の政策であるニューディール政策の効果が出るのが遅く、また自身の失策により持ち直し始めた経済が再び崩れかける失態を犯していた。

ニューディール政策の効果が出るよりも先に即効性のある投資がアメリカには必要だった。その槍玉に上がったのがラストフロンティアである中国であった。

 しかしアメリカが再び中国に手を伸ばし始めたところで大きく変化が訪れてしまう。

ドイツと日本、そして満州帝国が日独満防共協定を結んだのだ。時に1937年の事であった。

 この時点でアメリカ以外の国々は、日本の防共行動には一定の理解を示していたが一方でアメリカそして中華民国はこの協定に反発。特にアメリカは中華民国の中枢である国民党とのつながりを深め、援助や支援を増やすと同時に貿易額も増やしていった。日本は、アメリカの行動に反発を強めた。負の連鎖が続いていることは間違いなかった。

 そしてワシントン軍縮会議の条約が失効し日本、アメリカ、イギリス揃って海軍の無条約時代が到来する。

この無条約時代で対立することになるのがアメリカと日本なのは明白であった。




 アメリカは緊縮財政を積極的に推すルーズベルトに対して、日本の軍備増強を強い脅威とする海軍とその後ろにいる政治家達が反発。ルーズベルトも、日本との均衡を保つための海軍拡張を支持しようとした。

 だが、アメリカは民主国家であり、議会の方針により国の予算は決まる。この時はルーズベルトが望んでいた通りに縮小財政を推す動きがまだ強く1937年度計画では戦艦2隻、空母2隻を計画したに止まった。

特にロンドン軍縮会議で最もアメリカが不満を持ち第二次ロンドン軍種会議を蹴った原因でもある巡洋艦に至っては計画なしであり造船所に発注されたのは四隻の大型艦だけであった。

しかし翌年の38年そして40年それぞれに大規模な増備を行う通称ヴィンソン・プランを米海軍は発表した。世界一の経済大国であるアメリカの軍拡計画は雄大であり、この計画ではほぼ全ての既存艦艇を新型に置き換える事を目的として、戦艦14隻、空母7隻、重巡洋艦、軽巡洋艦8隻の建造が予算通過した。

無条約時代に突入して僅かな期間での大規模な海軍拡張計画はまさしくアメリカの強さを表している。



アメリカの海軍拡張計画の内容は一介の海軍大佐である新堀のところにも届いていた。

成田大佐が使用するオフィスに人事異動になった扶桑乗組員の人事書類を届けにきた新堀に、成田大佐が海軍拡張計画のことを話したのはそれが海軍の中で専らの噂になっていたからだった。最も新堀自身はこれから改装が終わりドッグから引き出された扶桑の公試を行う予定であった。

「アメリカの軍拡をどう思う?」

変わらず顎髭を撫でながら話す成田大佐に、仏頂面を隠そうともせず新堀は答えた。


「別に日本を相手取って軍拡をしているわけではないのではないでしょうか」


「それはまたどうしてだね?」


「私も気になって調べたのですが、建造される戦艦と空母、そして巡洋艦ですが、37年、38年発注分はどうやら全艦が民間造船所に発注されています。海軍工廠の方のドッグは駆逐艦や潜水艦の建造が行われているようですが、それでもドッグの使用状況は一杯ではありません」

日本で軍艦を建造する場合は先に海軍工廠の造船設備を使用する。軍機に関わる軍艦を警備が比較的ゆるい民間で行うのは極力避ける傾向があった。これは何処の海軍でも同じであり、事実アメリカも条約前の建造スケジュールを見ると先に海軍工廠の造船設備から埋まっている。

新堀の指摘は的を得ていた。

 アメリカでは、ニューディール政策そのものが失敗しそうであるという風潮が広まり、それにより持ち直し始めていた経済が再び恐慌に入ったため、再び大規模な公共投資を行う必要があるとルーズベルト大統領は考えていた。その一環として、海軍の大幅な拡張が実施されたたのだった。アメリカは日本との本当の戦争など考えてもいなかった。

この世界一の経済大国には日本海軍よりも国内の不景気の方が余程脅威だったのだ。

「しかし現実にアメリカと日本との関係は悪化を辿っているこのままでは日本という国自体がたち行かなくなる」


現状の日本はドイツとの防共で手を結んでいる。その事でイギリスとアメリカとの関係が悪化しているのだ。流石にすぐに貿易停止措置などの強硬に出てはこないが以前のような関係とは程遠い。


「満州帝国がある分多少はマシです。アメリカからの輸入に頼る品目はほとんど満州で採掘可能です。それに樺太の油田もあるので石油も輸出を止められたからと言ってすぐに困ることはないでしょう。焦りは逆に向こうの思う壺です」

むしろ我々が必要とする南方資源はイギリスやフランスの東南アジア植民地からの輸入です。むしろこちらの方が輸出禁止措置をされると日本がたち行かなくなるアキレス腱です。



「現状の協定では参戦義務はありません。軍事同盟と呼べるものでもありませんから例え英独が開戦したとしても日本は中立の道を選べます。そうすれば禁輸措置による致命傷は回避できるはずです」

「政治家たちがわかっているのを祈りたいのだがな」

 特に現在、上海事変が発生している状態で中国大陸の動向が新堀達の心配事の種だった。


 1937年2月、中華共産党勢力を完全に打ち破った国民党。蒋介石は共産党の撃滅を宣言し中華民国の混乱は一通りの終着を見せる。

 しかし中華民国は日本の予想とは裏腹に国内安定へとその力を向けずに、すぐにも国外に力を向けるようになる。今度は排外主義が、政治の大きなウェイトを占めるようになったのだ。


 そして中華の伝統的戦略は、他国を用いて敵を排除することにある。この場合敵とは満州を牛耳る日本であり、利用すべきは満州から押し出されてしまったアメリカだった。アメリカと中華民国の急接近は1937年の1月よりすでに始まっていた。

 一方で中国で共産党が駆逐された事は、共産党の盟主であるソ連を大いに焦らせていた。


実際にはソ連が警戒していたのは、中国から共産党が駆逐されることにより共産主義の脅威が遠のいた日本が、満州帝国とソ連が接する国境の軍備を増強して圧力をかけてくる事であった。

ここにアメリカ、中華民国、ソビエト連邦の三国の思想が一致。日本並びに満州帝国を叩くという方向のみでの合意に至る。


 最初に動いたのは中華民国だった。満州と中華民国との合間に設けられた中立地帯。その万里の長城以北からの満州帝国軍及び日本軍の撤退を一方的に要求。万里の長城付近の北京郊外北方に自らの軍隊を大規模に派遣して、満州帝国を強く威圧する事件が起きる。


これに合わせてアメリカでは中華民国の主張である日本が中華の正当な領土である満州を好き勝手にしているとの対日批判がイエロージャーナリズムと呼ばれる大衆新聞各紙を賑わせた。

 さらに国民党は、ソ連に対して日本に対向するための支援を表だって要請。ザバイカル方面の軍隊を、いっそう積み上げるように求めた。


当初中華民国に全く取り合う気がなかった日本だったが中華民国内での在華日本邦人に対するテロ、暗殺事件が立て続けに発生した事で事態は一変する。

 華民国政府は、他国の人間がそもそも中華民国にいる事が問題なのだとして半ば居直り、日本の世論は「支那撃つべし」と激高した。


 しかしこれらは当事国以外の列強は本国から余りにも遠いため、強い関心を示さなかった。特にヨーロッパ諸国にとっては、中華民国の近代国家としてあり得ない野蛮な行動よりナチス・ドイツの膨張とヒトラーの動きの方が遙かに高い関心事だった。

アメリカであっても大衆と違い政府は中華民国の主張などはどうでも良く、いかに日本の足をひっぱり中国利権に食い込めるかを画策していた。

ソ連はそもそも中華民国への軍事物資の支援こそ行えど軍事要請に答えるつもりは全くなかった。

そもそもこの時のソ連軍はスターリンによる粛清の真っ最中であり軍を派遣するどころか体制維持すら困難な状態にあった。




 そうした情勢を読んでか知らずか、1937年10月に事件が起きる。

当時上海には日本海軍海兵隊約2000名が駐留していた。そこに対して、10万人以上の国民党精鋭部隊が雪崩れ込んでくる軍事衝突が発生した。

後に「上海事変」と呼称される軍事衝突であった。

、上海での軍事行動で日本に一定の軍事的勝利を得るのが政治的な目的だった。

 当初は兵力差が圧倒的であったことから紛争は短期間で終わり、中華内での日本の影響力が低下することで事変は終息するのではないかと予測された。

 しかし「上海事変」は、誰も望まないまま拡大の一途と辿った。

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