第三話 戦艦扶桑 2

 岸壁に接舷された戦艦扶桑をさらに近くから見る位置にある工廠事務所は、事務所単体で見れば4部屋もない比較的小さい建物だった。

けれど実際の建物面積は先ほどの人事部の建物よりも一回り以上大きいものだった。

その大半は、二階建てに相当する高さを持った巨大な工場設備に当てられていた。

新堀には理解できないか見たことすらない旋盤などの工作機械が轟音を立てて何かを削り出している光景。その光景をたった一枚の壁を挟んだだけで分け隔てている事務室の工廠長室で新堀は極秘と書かれた書類を渡されていた。

 偏屈親父という呼び名がぴったりであろう見た目ながら、言葉遣いは丁寧で部下である人々からも一目置かれているというのを僅か30分の合間にたんまりと見せてきた工廠長が持ってきたそれは今のところは艦長にのみ閲覧が許されるものであった。

それは今回の改装項目だけではない。戦艦扶桑と言う艦がどのような理由から機密であり続けたのか。それが書かれているものだった。

 「なるほど、だが随分と卑怯にも思える手段をとっているのだな」

窓の外から見上げた扶桑の艦橋は、すでに何度も改良が加えられ三脚の前楼には航海艦橋、昼戦艦橋、副砲射撃指揮所、探照灯指揮所などが追加で取り付けられていた。

 それらは既に扶桑には無用の産物となっていたのだった。



 戦艦扶桑は就役時14インチ砲8門と金剛型と同等の火力を持った戦艦として誕生した。

全長は金剛型より9m短い205m。全幅はほぼ同じ。それでいて金剛型より4000tほど重い排水量と二割り増しの機関出力であった。

まさしく金剛型を戦艦に仕立て上げた艦であり自身の砲弾に耐えうる装甲を持ち金剛型よりやや遅い程度の高速性能を発揮する扶桑は当初巡洋戦艦並の速度で戦闘が可能な戦艦。高速戦艦と呼ばれていた。

通達速力は公称24ノット。実際よりも2.8ノット遅い数値となる。

金剛型との見た目がよく似ているものの三番砲が金剛型よりも後退し四番砲に近い位置にあるのが見分ける箇所であった。

そして副砲として金剛型で採用された15.2cm砲ではなく、日本独自の設計の14cm砲を金剛型と同じように片舷8門、左右16門搭載としていた。

 

 

竣工自体は第一次世界大戦中の1915年。その年の春に戦艦金剛と二隻の河内型戦艦が欧州に派兵され、就役一ヶ月しか経っていない比叡もまた陸軍第二師団の一部人員を乗せた輸送船と共に欧州へ向かう事になっているそんな時期の事だった。

戦時中に就役した扶桑は、第一次世界大戦への参加は行われなかったものの、翌年の1916年に発生し金剛、比叡が大破する事となったユトランド沖海戦。欧州へ向けての軍事物資を積載した輸送船とその護衛として同行していた戦艦薩摩の二隻が潜水艦による雷撃でイギリス付近の海域で轟沈したイギリス沖事件により既に船体に手を加えられていた。同時に建造中であった他3隻の同型も建造途中から工期を遅らせてでも設計の変更が行われていた。

 ユトランド沖海戦では遠距離砲撃能力の向上により砲撃は殆どが臼砲のように曲射になっていた。真上から降り注ぐ形になった砲弾により薄い水平装甲を貫かれ被害が拡大した経緯がイギリス、日本双方に見られた。

しかし細部を見てみると状況はそう簡単なものではない。

 新堀も江田島を出たばかりの頃に戦訓と艦の構造強化に関する論文をいくつか読んでた。


イギリスの戦艦と巡洋戦艦に轟沈が相次いだ背景には弾薬の不適切な管理と隔壁扉を開けたままにしていたことが挙げられる。特に砲塔内部には即応弾として複数の砲弾と装薬が置かれておりそれはすぐ近くの通路にまで及んでいた。

そして移動の効率化のために開けたままにされていた隔壁と砲塔上部、水平装甲の薄さ。

特に甲板に飛び込んだ砲弾は容易に薄い装甲を貫通し中甲板で主に被害を広げた。

中にはスプリンター装甲として張られた二枚目の装甲もまた貫通され機関部に砲弾が飛び込んで炸裂したケースもあった。

特に砲塔周辺では被弾の際に即応弾として砲塔内や周辺に置かれていた砲弾と装薬が誘爆し、それが轟沈に繋がっていた。

そのためそう言ったことをしていなかった金剛、比叡や一部戦艦らは言われているほど早々に戦闘力を喪失したわけではなかった。


 しかし金剛、比叡共に廃艦にするしかないレベルの損害を受けていた。


金剛は高角度で飛び込んだ砲弾が艦橋基部に命中したのが原因で火災が発生。初期消火に失敗し火災は艦橋から三番砲塔まで燃え広がっていた。

燃え広がるまでの合間にも小口径の砲弾を複数発浴びており、戦闘の中での消火活動の難しさを教訓として残していた。

さらに使用されていた塗料が可燃性であったことも短時間で広範囲に火災が広がる原因になっていた。

さらに機関部を破壊され動力と電源を一挙に喪失した比叡はその後四番砲塔に被弾し弾薬庫誘爆こそしなかったものの、砲塔内部と揚弾塔内部の砲弾が誘爆したことで船尾付近に壊滅的な被害をもたらしていた。

 大破した二隻は轟沈こそしなかったもののイギリスでの修復にかかる費用と時間の問題。特に金剛では大破の後大火災で構造材の殆どが熱による強度低下を起こしており廃艦にするしかない損害を受けていた。

事実金剛はその場で廃艦処分となり比叡に関しても修復に相応の時間と予算がかかることから復旧を断念し使用可能で残された二基の主砲のみを日本に輸送し解体処分となっていた。

貴重な戦力であった金剛型巡洋戦艦二隻を失った教訓は日本の建造思想に大きく変化をもたらした。


特に他の列強各国と違い日本はまだ貧乏国家であった。確かに戦艦二隻を建造可能な巨大な船台とドライドッグ、中小のドライドッグと船台が合わせて6つの大規模工廠を持つ大神鎮守府が新たに作られてはいた。しかし作ったところで日本の造船では大型艦は6隻の同時建造で手一杯だ。今回のように一度数を失うと立て直しが容易ではないのは想像に難くない。


 そこで日本海軍は戦闘での被害の低減対策を取り入れ損失を回避する方向で艦の設計を行うようになった。




 

その変化を1番に受けた扶桑型だったが、建造中だった二番艦よりも問題だったのが完成していた扶桑だった。幸いにも戦艦扶桑は建造時より高速戦艦かつ将来の拡張性を考慮して予備浮力を多く取るように設計されていた。特に重防御と高速性という相反する性能の追求が必要であった。

そこで採用されたものが集中防御と呼ばれる一連の手法であり、皮肉にも真っ先にユトランド沖海戦の戦訓を最も最初に取り入れることになった箇所でもあった。

 

 ある計画のために扶桑型の装甲圧は14インチ砲を防ぐにしては過剰なほどの厚みを持っていた。

それゆえに金剛型の装甲配置をほぼそのまま手本としてしまうと相当な排水量増加が懸念されていた。

重量増加を抑制しつつ高速性を発揮させるには全長を伸ばしLB比を下げる事と機関の増大で対処が可能ではあった。

だが当時の日本の造船所では自ずと3万トン台の建造が限界でもあった。それは大きさの問題と造船所、特にドッグや船台の許容重量の問題があった。

そこで装甲圧を増やしつつ船体をコンパクトに収めるため扶桑ではアメリカで当時予算通過を果たし、ほぼ同時期に建造されることになるネバダ級戦艦と同じく集中防御方式をとっていた。

特に扶桑型は極端になっており艦首側の主砲弾薬庫周辺より前側は完全に非装甲区画となっており垂直装甲、水平装甲共に1番砲塔部分で途切れている。

バイタルパートと呼ばれる弾薬庫、機関部を集中的に守る設計だ。

ただし水平装甲は上甲板に高張力鋼を2枚重にして40mm、中甲板に25mmの破片防御のスプリンター装甲しかない。

それでも金剛型よりかは装甲圧はあるものの、これは当時の装甲に使う鋼鉄の精製能力に不安が残り材質の面で同程度の防御力を求めた結果厚くなったものだった。

それでも垂直装甲はヴィッカース浸炭鋼305mmとその内側一区画開けたところに25mm高張力鋼のスプリンター装甲を持っている。

水平装甲は薄いが紛れもない集中防御艦だった。

 

それら装甲は扶桑の場合1917年に行われた緊急改装で応急的に上甲板に20mmのヴィッカース浸炭鋼の装甲を追加して装甲厚を向上させていた。ただしこれらは機関部と弾薬庫上部に限られ、より被害が深刻である主砲の天蓋装甲などにおいては主砲塔の再設計もあり未着手になっていた。

これら抜本的な問題解決は新堀が担当することになる改装において装甲の改修工事も行われる予定であった。

 

特に船体の見た目を大きく変えるバルジまで装備する計画だった。

これは潜水艦の魚雷で戦艦が沈んだイギリス沖事件に端を発する水雷防御向上対策の一環だった。

特に魚雷の高性能化も著しい今日では必要な対策だった。

 

さらに最も新堀の目を引いたのが主砲の換装についてだった。

極秘と書かれた紙に目を通すと、そこに書かれていた言葉に彼は一瞬目を疑った。

「14インチを16インチに?元から計画出されていた?なるほど機密保持を強化していたのはこれか」

 

扶桑型戦艦の主砲は建造計画当時から大口径砲への換装を見込んでいたのだった。

 

 

 

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