第二話 戦艦扶桑 1
戦艦扶桑、そしてその姉妹達の誕生は一筋縄では行かない紆余曲折があった。
計画自体は1911年に成立した海軍の新充実計画によって英独の進歩著しい戦艦に追いつくため超弩級戦艦の国内建造が決定しており、当時英国より輸入した金剛型戦艦を手本とし金剛型戦艦建造途中にも関わらず1912年に建造が開始された。
しかし実際の設計案そのものは当初計画の二年前に当たる1908年より始まっていた。
きっかけとなったのは日露戦争である。
日本の二度目となる対外戦争。そして列強であるロシアとの大戦争が続く1905年。
大陸での一大会戦であった奉天会戦でロシア軍は日本軍に大敗を喫することになる。
日本陸軍の活躍による勝利とも言えるものにロシア中央は、慌てることとなる。奉天会戦ではロシア軍は最終的に一万八千名以上が戦死しその十倍に当たる十万を超える兵が捕虜となっており極東方面の陸軍兵力は大打撃を受けていた。
無論当時の日本陸軍も相応の損耗をしておりすでに後詰の部隊すらも無い状態であった。
国内では2個師団が残されてはいたが、これらは徴兵組の錬成をかねており編成完結も充足状態のとてもではないが前線に出せる部隊ではない。
当然とばかりにロシアはヨーロッパから大規模な増援を送り込もうとする。
だが、ロシアの国庫は既に戦費で酷く圧迫され、国民は重税と物不足に苦しんでいた。日本側も積み上がった負債が限界にきておりこれ以上の継戦は不可能に近かった。
どちらもかかっている戦費自体は差がないのだ。
奉天会戦の結果、日露戦争の決着が実質的に付けられたと考えた各国は、日露の講和を本格的に開始する。
しかし当時の常識として弱小な有色人種国家である日本に対し、賠償金支払いと領土割譲を一切行う気のないロシアの強硬な姿勢のため戦争は継続。既にどちらも負債が限界に近いため比較的損耗が少なく手札として残っていた海軍にその鉢が回ってくるのは当然の帰結だった。
そして1905年5月27日の「日本海海戦」を迎える。
これは日本軍の海上輸送ルートを封鎖し大陸での日本の行動を完全に阻止する効果を狙ってのものだった。
だが結果は歴史が証明している通り地球の反対側まで長距離航海をしてやってきたロシアのバルチック艦隊は、壊滅という結果で幕を閉じることとなる。
これによりついに日露戦争は終結を迎えロシアの敗北が決定した。
最終的に日露戦争は北樺太の日本への割譲から始まりカムチャッカ半島、オホーツク海全域での日本の漁業権獲得までといくつもの結果を得られた。しかしその代償として日本に重くのしかかった負債がその後の軍事費に影を落としていた。
戦費そのものは、当時のGDPを上回る20億円以上にのぼり、国民に対する過酷な増税で賄ってもなお17億円の借金が残っていた。しかもこれは、税収が1億円や2億円の時代であった。1936年時では経済発展によるインフレで貨幣価値が下落しているため負担は少なくなるが当時はそうはいかなかった。
そのため少しでも負債を軽くしようと満州へのアメリカの資本を招き入れ、国家の安全保障のためにイギリスを必要とすることになった。日英同盟が日露戦争後も継続した理由でもあった。何せ日本単独では遼東半島とハルピンまでの鉄道を経営するだけの金もなかった。
しかし軍備の更新はそんな日本を待ってはくれなかった。
特に海軍に追い討ちをかけたのが日露戦争集結直後と言っていい1906年に登場したドレッドノート級戦艦だった。
新基軸だった蒸気タービンによる圧倒的高速性と艦橋からの一元化された射撃指揮能力に加えて中間砲や副砲を持たずに主砲を片舷に4基8門と当時の戦艦の二倍の数を持った全く新しいコンセプトの戦艦。それがドレッドノート級だった。
イギリスで生まれたこの戦艦は同時期に建造されていた薩摩型戦艦、その改良型で建造が開始されていた河内型戦艦、鞍馬型装甲巡洋艦などをまとめて旧式としてしまった。
軍縮に舵をとっていた海軍ではドレッドノート級の誕生を重く見ることになり新たな戦艦の計画を立ち上げるも、第一の問題として予算の問題があった。
当時日本海軍は六六艦隊計画により戦艦6隻、装甲艦6隻、そしてロシアの鹵獲戦艦を3隻に香取型戦艦、薩摩型戦艦が筑波型装甲巡洋艦が就役中という状態だった。すでに軍縮による予算では現状の主力艦すら維持困難であり補助艦艇など海軍全体で見れば予算不足で訓練を行うことすら出来ない状態に陥っていた。
この状態であるために日本海軍は軍縮による軍備削減と艦の更新を同時に行う大胆な策にでた。
結果として六六艦隊にて建造された12隻は日露戦争後三年を待たずして退役か中古として売却されることになり鹵獲艦もまたロシアに売却という形で返還されることとなった。
香取型戦艦にしても早期予備役に指定されその運用は士官、乗組員育成のための練習艦として毎年交互づつで予備役と練習艦を繰り返す状態とすることになった。
また改良型であった河内に関しても当初ドレッドノート急に準ずる形に設計変更が予定されていたが追加の予算や発展性を加味して薩摩型の準同型として1907年までに就役を果たしている。
当時の日本海軍は戦艦四隻、装甲巡洋艦四隻と四個水雷戦隊を基本とした小型海軍に一時的に戻っていたのだった。
しかし1906年のドレッドノートショックに続き1908年に従来の装甲巡洋艦を過去のものとする巡洋戦艦インヴィンシヴルがイギリスで就役した事により状況は一変する。
最早、日本独自の技術だけでは超弩級戦艦・巡洋戦艦時代の建艦競争に勝てないことが明らかとなった。そのため海軍、もとい兵部省はイギリスより新型巡洋戦艦を購入しそれを元に戦艦と巡洋戦艦を揃えていく方式を取ることにした。これは欧州の進んだ技術力を吸収し国内の技術力を向上させる狙いがあった。
この時にすでに戦艦扶桑の概要は決まっていたとされる。
当初計画では建造費などの観点からイギリス製巡洋戦艦を一隻購入しこれを量産。同時にその巡洋戦艦を手本に装甲を適切にした戦艦を建造する方針が取られていた。
メリットとして設計の共通化をする事で部品流用や工員の熟練度向上をはかり予算を抑え必要数を建造する狙いがあったとされる。しかしその計画は各地の海軍工廠の建造能力拡大のための工事予算が優先され、さらに国内需要の起爆剤とするべく新たに九州の大神に鎮守府と海軍工廠を立てる公共事業が立ち上がった事で1910年にずれ込むこととなった。
当初海軍が注目したのは1909年に起工した巡洋戦艦ライオンだった。早速この新型巡洋戦艦の輸出をイギリスに打診し、当時軍艦輸出国でもあったイギリスも新基軸を試す機会でもあったためこの艦の設計をベースとして14インチ砲搭載の金剛がヴィッカーズ社で誕生することになった。
その設計図を元に日本の造船所でも金剛型の同型が建造される運びとなった。
こうして国産戦艦として金剛型戦艦の比叡、榛名に続く三隻目、第三号戦艦として起工が始まった扶桑は日本が一から設計した世界初の排水量30,000トン越えの戦艦であった。
戦艦金剛の図面がイギリスから到着しそれを元に第三号戦艦を計画するにあたり艦政本部ではいくつもの案が出された。しかし関係者の合間で議論が定まらず新型戦艦計画は最初から暗礁に乗り上げそうになっていた。
本来第三号戦艦はドレッドノートを超える超弩級戦艦であるがゆえに検討が繰り返され、50を超える案の中から最終的に3つの案に絞り込まれた。しかしその三つが関係者を終わりのない議論に持ち込む原因を作っていた。
提示された案は甲案として14インチ連装砲を6基搭載。並びに機関出力4万馬力22ノット。
乙案として同連装砲5基搭載。機関出力6万2千馬力24ノット。
丙案として同連装砲4基搭載。機関出力7万8千馬力26ノット。
排水量は各案で前後するが概ね30,000トンをやや上回る程度となっていた。
甲案に関しては砲塔の数が増えるため装甲部分の増大、機関室圧迫や兵員室の縮小に繋がる上に技術進歩著しい今においては発展性に乏しいという欠点があった。そして金剛型の図面を参考にするのであれば船体形状や機関配置が最も近くなる丙案が建造の効率的にも最も良い。しかし当時のアメリカでは三連装砲を搭載した12門から10門の砲を持ち画期的な防御装甲配置をとった新型の超弩級戦艦の建造が行われるという情報が入ってきていた上にイギリスでは14インチよりさらに大型の15インチ砲搭載の戦艦が計画されていた。
このため丙案では火力不足感が諌めない。消去法で中間案の乙案とならざるおえないが、予算の都合上今までの軍艦よりも長く使う事が扶桑には求められていた。このため長く運用する事を考えた場合最も拡張性が高い丙案が魅力的となる。
それぞれがそれぞれを支持する理由があったのだ。
丙案としつつの三連装砲と言う手段もあったが三連装砲では火力向上にはなるが、イギリスから輸入した14インチ砲に倣っているため尾栓が左右開きとなっている。このため三連装化が難しく、重量増加を招きかねない。逆に四連装砲の方が作りやすいのだがそこまでいくと砲塔自体が大きくなりすぎる。
尾栓を上下に作動する閉鎖機構で再設計して新造すると言う手もあったが、動作出力の増大化と構造の複雑化を招き、また製造に係る費用は連装砲6基よりも高くつく。
特に水圧ポンプの性能上全砲を同時に制御するのは能力的に不可能であった。
装填に時間がかかるようでは連装砲の方が時間あたりの砲弾投射量で上回るという結論に至っていた。
八方塞がりとなり妥協をしなければならないとなり始めた当時の造船技官らの思考は段々と合理的という名の元に暴走を始める事となった。
そんな中ついにある1人が言い出した言葉が、扶桑という戦艦、そしてその姉妹達の運命を大きく左右することになった。
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