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「は」

 だらしなく開けたまま塞がらない秋成の口を涼哉は漫画みたいだと思った。

「おいおいちょっと待てよ嘘だろおい」

「明日バイトか……忘れてたな」

「聞けよ!てかおいほんとかよ、運命の再会をお前がしたのか!?マジで!?!?」

 喫茶店の中、秋成の声がやあ響く。涼哉が静かにしろ、と注意を促すと秋成は慌てて我に返り、すいませんと周りの人に言いながら座った。

 二人で大学の図書館で卒論を進めた帰り、秋成と近くの喫茶店で涼むことにした涼哉は話の流れで芦屋と会ったことを溢した。昼下がりの喫茶店はランチのピークを過ぎていて人の姿は比較的少ないが、同じ大学の学生やパソコンを開く会社員などがちらほらといた。

「羨ましい……」

「何がだよ」

「だって!!かつての想い人と再会だぞ!?運命的じゃないか、地元に帰ってたまたま立ち寄った公園で彼女と再会……!小説かドラマの世界じゃねえか!何だよ俺は何にも始まらなかったのに!!」

「俺だって何にも始まってねえよ」

 芦屋はただの元同級生だ。そしてこれからも何か始まる予定はない。

「第一、俺は彼女持ちだし」

「いいや。わかってないよ涼哉クン。君は何にもわかっちゃいない」

 秋成はわざとらしく人差し指を左右に振る。

「付き合って四年が経つ彼女、その間にはわずかだが倦怠感が生まれていた。その時、突然現れたかつて好きだったあの人……。かつての想いは徐々に熱を帯び始め、猛暑と共に盛り上がる……!」

「盛り上がらねえよ。つーか、倦怠期なんかじゃないし」

「確かに」

 秋成はアイスコーヒーをずる、と音を立てて飲んだ。そしてうーん、と声だけで悩む素振りを見せる。

「つーかあれだよな。涼哉と明日香ちゃんってずっと変わんないよな」

 涼哉は秋成の言葉の意味を読み取れず、間抜けな声を出した。

「どういう意味」

「いや、なんていうんだろ。なんか温度感?みたいなのが変わんないよな。特に涼哉」

 秋成は丸い目で涼哉を見た。

「明日香ちゃんから告ってきたんだっけ」

「ああ」

 大学一年の時、明日香から告白された。講義で何度か同じになっていて涼哉に好意を持ったらしい。涼哉は明日香のことを特別認識してはいなかったのだが、好意を無駄にするのはもったいないと思ったし、明日香のことを可愛いと思ったから告白を受け入れた。付き合っているうちに好きにもなったから今まで交際が続いている。

「明日香ちゃんはずっと涼哉涼哉、って感じだよな。ずっと好き好きって感じが滲み出てる。俺としちゃあ羨ましい限り」

 そんな彼女が欲しいと秋成はおちゃらけた顔で言った。

「でも涼哉はずっとクールだよな。あんまり恋愛にうつつを抜かすって感じがない。達観してるよなあ」

 秋成から見た涼哉は何でもそつなくこなす優等生なのだという。学業も器用にこなし、バイトも苦労しながらも順調、可愛い恋人もいてその関係も良好。性格は同世代よりは達観していて、クールに見えた。

「あんまり執着とかしないよな、涼哉は」

「まあ……物へのこだわりとかは特に」

 好きなブランドもなければ長らく使った愛用の物でも使えなくなればすぐに捨てる。それが一番合理的だと思っているからだ。

「小さい頃からそんな感じ?」

「どうだろうな。お気に入りのおもちゃとかはあっただろうけど」

 幼い頃肌身離さず持っていたおもちゃは確か、ロボットのおもちゃだ。けれどそれは歳を重ねることで手放した。いや、おそらく夕斗にあげたのだろう。涼哉が使っていたおもちゃは大抵弟に譲ったはずだ。

「話を戻すけど、俺は涼哉と明日香ちゃんが付き合い始めた時、疑ったもんだよ」

「は?」

「だって明日香ちゃんの方は涼哉が好き好きって感じが出てたけど、涼哉は全然そんな風には見えなかったからさ。ま、今まで続いてるんだから顔に出ないだけでちゃんと好きなんだと思うけど」

「ああ」

「なあ、明日香ちゃんのどこが好きなん?」

「何だよ」

「良いじゃん。そういえばちゃんと聞いたことなかったなって。最初は大して好きじゃなかったんだろ?でも今日まで付き合ってんだから照れずに言えるだろ」

「嫌だよ絶対面白がるだろ」

「まあな。で?」

「話聞けよ」

「おっと、強く出るなよ。あとで明日香ちゃんに報告してやろう。涼哉は明日香ちゃんの好きなところ言えなかったよってな」

「お前……」

 明日香はそういうことはとことん詰めてくるタイプだ。何で言わなかったのか、言えなかった理由があるのではないか、それで物凄く機嫌を悪くする。こちらが手土産を持って謝罪に来ない限りは許さない。

 はあ、とため息をついて、

「可愛いところ」

と適当に答えた。

 秋成は爆笑しながら、

「確かに」

と言った。

「明日香ちゃん可愛いもんな。俺もああいう顔の彼女欲しいわ」

「人の彼女のことよくそう褒められるよな」

「あらあら、涼哉クン嫉妬?」

「違う」

「ははは。まあ安心しろって。俺明日香ちゃんには微塵も興味ねえから」

 秋成は至って普通に言った。

「俺、ああいう願望多い子は普通に無理」

 涼哉は言葉に棘を感じた。

「それどういう意味だよ」

「怒った?それなら謝るけど、別に悪気があったわけじゃなくてさ。明日香ちゃんってちょっとわがままっつーか、何だろう、要望が多いじゃん?何時にはここにきて、とか涼哉にはこうして欲しい、みたいな」

 確かに明日香は自分の理想を明確に持っている。自分自身の理想像もはっきりしているし涼哉にも理想を求めることはあるが、特に気にしたことはなかった。

「俺はそういうの無理。束縛って感じしてさ。涼哉はそれが気になんないからうまくやれてんだろ?それならそれで良いじゃん」

 気にしたことがなかった。明日香から求められる涼哉への願望や要望は普通のことだと思っていた。それに応えることは彼氏として普通のことで、するべきことであるべき姿だと受け入れていた。

 秋成はアイスコーヒーを飲み干した。涼哉が頼んだアイスコーヒーはまだ半分ほど残っているのに、もう氷が溶け始めている。

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