6

 涼哉がしまった、と思ったのは彼女がとても警戒した顔でこちらを振り向いた時だった。

 彼女はとても不審げにこちらを一瞬見たかと思ったら、視線を逸らして若干ベンチの端に退いた。それを見て涼哉は慌てて弁明する。

「あ、違う……俺、同じ小学校の同級生で……」

 そこで涼哉は秋成のことを思い出した。レジの初恋の相手に必死に説明した秋成、あの時の彼と全く同じ状況に自分がいる。あの時のことをもっとちゃんと聞いておくべきだったと、涼哉は後悔した。しかししょうがないことだ。まさか、自分も同じ状況に陥るとは思っていなかったのだから。そんな運命みたいなことが二度も起こるはずがないと思っていたのだ。

「何度か同じクラスだったこともある……西垣!西垣涼哉です!」

 涼哉は自分で少しキモいなと思いながらも必死の思いで自己証明をする。ここまで名乗って知らないです、なんて言われたら三日はショックで眠れないかもしれない。

 しかしそれは杞憂に終わってくれた。

 芦屋は警戒しきった目でいたが、涼哉が名乗ると表情が変わった。少しだけ目を見開き、西垣、と呟いた。

「お、覚えてます?」

 涼哉が恐る恐る聞くと、芦屋はこくりと頷いた。

「覚えてる。久しぶり」

 その瞬間の涼哉の安堵といったら簡単には語れない。脱走した猫が三時間後に帰ってきたような安堵ぶりだった。

「ぐ、偶然だな」

 その時はじめて涼哉は久しぶりに会った同級生との会話をしたことがなかったことに気づいた。何を話せばいいのだろう、お互いの近況を話すには早すぎる。だからといってじゃあな、というのは声をかけた意味がない。というかなんで声をかけたのだ。もう少し話題を考えてから話しかければよかったのに、咄嗟に声をかけてしまった。無計画がすぎる。

 涼哉が一人脳をフル回転させていると、芦屋が言った。

「元気そうだね」

「え!?あ、ああ……元気。元気だよ」

「そっか。じゃあ、私もう帰るから」

「え」

 言って芦屋は帽子を被り立ち上がる。涼哉はほぼ反射的にそれを止めてしまった。

「あ、えっと……また、明日。いや、明日じゃない、また会えたらって意味で、明日じゃなくてもってことだからその……」

 芦屋は数秒の沈黙の後、

「じゃあ、また会えたら」

 とだけ言って去って行った。

 一人ベンチに取り残された涼哉は得体のしれない疲労感に襲われた。しっかりと汗を掻いていることに気づいた。顔が熱い。慌ててペットボトルを顔に当てる。これが熱中症なのかそうでないのか、今の涼哉には判断がつかない。


 家に夕飯の匂いが漂っていたことでようやく涼哉は現実感を取り戻した。

「涼哉おかえりー」

 茜がテレビから振り返りもせずに言った。画面には子供向けのアニメが映っていた。

「随分と懐かしいものを見てるな」

「たまたまテレビつけたらやっててさー」

 茜はげらげらとテレビを見て笑っている。涼哉が子供の頃から見ているのだから、もう十年以上は放送している。子供向けのアニメなら十分長寿番組といえるだろう。小学生の頃、塾の無い日は見ていたことを思い出した。

 思い出し、ついさっきのことも思い出す。まさかの再会はいまだに夢のように曖昧だ。だが、顔も声も雰囲気も全てあの頃の芦屋の延長にいる彼女の姿はどうしようもなく現実的だ。夏の夕暮れに見た幻にしてはよくできすぎている。

「涼哉どうしたの。急にソファの端っこ凝視して。きもいよ」

「きもいっておい……なんでもねえよ。つーか夕斗は?」

「知らない。寝てんじゃないの」

 茜はぷいっと顔をテレビの方に戻し、ぶっきらぼうに言った。どうも前から少し様子がおかしい気がする。

「なあ、なんか喧嘩でもしてんの」

「は?」

 茜はソファにもたれかかって足を組んだ。偉そうな態度である。

「夕斗となんかあった?」

 茜と夕斗は年子の兄妹らしく喧嘩が多い。しかしそれは仲の良さや距離の近さからくるもので、長男の涼哉から見れば可愛いものだった。

 だが、ここ数日の二人の距離感はおかしい。涼哉が帰ってきてから二人が会話をしているのを見た覚えはないし、茜は涼哉にばかり話しかける。夕斗のことを話すと機嫌が若干悪くなる。さっきまでご機嫌だったのにだ。ただの思春期なら問題無いのだが、それにしては涼哉にも父にだって冷たくあたっている気はしない。

「別に」

 茜はテレビを見ながら言った。

「大したことじゃないし。私が勝手にしてるだけだから」

 テレビから聞き馴染みのある曲が聞こえた。あの頃から変わらない番組のテーマ曲だった。

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