エクスバディ

八田部壱乃介

エクスバディ

 夏の午後、太陽は影に隠れたが未だ蒸し暑く、それが弓道場とあってはさらに蒸し暑いと大原は思う。

「遅くなりました」

 と言ったのは、開発部門担当である田中だった。彼はしきりにハンカチで額を拭う。

「構わん。それで田中君、用とはなんだね。それにこの場所を指定したわけは?」

「はい、試作品エクスバディを見て頂こうと思いまして」

 田中は鞄から小箱を取り出した。蓋を開けると、胡麻のような粒が一つ、ぽつんと鎮座している。

「ほう」大原は彼の手元にある技術力の結晶を一瞥すると、「ナノマシンを見るだけなら、冷房の効いた部屋でも良かっただろう」

 相手は首を振り、

「ぜひ部長ご自身にも体験して頂きたく思いまして」にっこりと田中は笑う。

「弓道場でか?」大原は口角を持ち上げた。

 更なる説明を求めたが、田中は手のひらを押し出して、待ったのジェスチャー。道着と手袋を渡し、着てくれと言う。

「この手袋はかけと言います」

 親指の部分が固く、曲げることもできない。人差し指と中指までは柔らかな生地にあるが、残りの指は裸のまま。縦半分に割かれたような見た目が、

「実に不思議な手袋だな」滑り止めの粉をかけながら大原は呟いた。

「しかし弓矢を操るのに最適な形をしているんですよ」

 準備を済ませたと見るや否や、田中は両手を打ち鳴らした。試作品の話に戻りましょう、と。

 エクスバディの特徴は何といっても、肉体がコントロールされることにある。この胡麻を首筋に付け、デバイスから経験させたい動きを入力すると、それに応じて微弱な電気信号を流し、筋肉を制御する。

「この胡麻虫一つで、鍛錬なしにプロと同じ動きが再現されます。野球選手の綺麗なフォームや、職人の指先がどんな風に使われているのか。首筋に当てるだけで、それが我が物となるのです」

 と、田中は胡麻エクスバディを凝視して曰く、

「これは素人にとって素晴らしいコーチであり、良い教材にもなるのです。例えば、外科医を志望する学生に、現場で働くプロの動きを経験させる。VR映像から視覚情報を補いつつ、この商品によって身体感覚は鍛えられるのですね」

「より現実に近い仮想体験というわけだ」

「実践と言っても過言ではないでしょう」

「買い手は多い」と大原。「この技術は応用が利く。それに胡麻ならば、幻肢痛を和らげることも出来るのでは?」

「成る程……」と田中は感心した様子で、「存在しない部位を再現するのですね。実験してみなくては何とも言えませんが、可能性はゼロではないと思います。医療器具としての方向性も面白いですね」

 それから、田中は弓と四本の矢を大原に手渡した。これを受け取ると、

「そう言えば何故、弓道なんだ?」という疑問が再起される。

「筋肉を用いない武道だからです。最近は義手や義足などの発展が目覚ましく、場合によっては肉体をも凌駕しているのではないかとすら目されていますね?」

「オリンピックよりパラリンピックの方が人気なのも同じ理由からだろう。アクロバティックだからだ」

「その通りです。しかしどうでしょう、義肢は力を増幅させる方向にシフトしています。いわば骨や筋肉の代替品として」

「うん」大原は腕を組み、目を閉じると、「それで?」

弓道ジャパニーズ・アーチェリーとアーチェリーとでは決定的に異なるところがあります。それは弓を引く際、筋肉によって──つまり力で引っ張っているわけではない、ということです。肩甲骨を開くことで引き分けているのですが……それは、実際に試して頂く方が早いでしょう。話が長くなってしまいましたが、つまるところ力を抜かなければない、これは義肢では再現の難しい動きである、ということなのです」

「わかった。ではやってみよう」

 大原の首筋に機械が置かれた。触れた感覚はゼロに等しい。田中の指が離れると共になくなってしまったかのようだ。

 田中が端末を操作する。アプリケーションと連動して、胡麻に命令を与えているのだ。徐々に体内に熱が帯び始め、全身の筋肉が内側から包まれていく。

 大原は前方の安土と呼ばれる砂山に対して横を向き、両足を開かせた。二本の矢を足元に置き、また二本の矢を右手で持つ。弓は左手に、先端を地面に垂らした。腹筋に力を込めると、踵を薄く持ち上げ、紙一枚分通るような隙間を作る。

 安土に置かれた的を確認した後、両手を持ち上げ、矢を一本番えた。もう一方の矢は、手袋からはみ出た指で、後方に伸ばすように持っている。

 手袋を捻り、矢が落ちないように固定すると、体が勝手に動くのに任せて、弓矢を頭上へと持ち上げた。左手を的の方へ押し出すと、両手を一心に引き分けていく。

 弦が固く重い。筋肉が引き裂かれるようだ。肩甲骨を意識して引っ張ると、矢が口元で留められる。

「親指の付け根で的を狙い絞ってください」と田中。「この次には、『離れ』と言って、矢を放つ動作に移行します。この時、無理に矢を離すのではなく、自然と右手が離れるのが理想です」

「力で引くのでも、放つのでもないのだな」

「そうです」

 弦の重さで右手はかなり震えている。これを筋力でなく何で持つと言うのだろう。押出した左手も小刻みに揺れ、焦点が定まらない。

「そうか、肉体が経験に合致しないのか」と大原は理解した。これは思ってもみない難点である。

 と、手袋から矢が勝手に離れていった。命中の小気味良い音がする。後方からは、

「良しっ」と快活に叫ぶ田中の声。「的に当たったら、こう言うのが慣わしです。今は『残心』ですね。精神を乱さず、集中を途切れさせぬよう、手放した状態を保つのです」

 しばらく両手を広げた後、大原は弓を倒して腰に手を突く。それからYの字を描くように足を閉じた。

「はい、これで終わりです。お疲れ様でした」

「ふむ……素晴らしい出来ではあるが、今回の件で思ってもみない改善点も見えた。やはり理論だけでは見えないものもある。体験して正解だった。有意義な時間だったよ。だから田中君、解除してくれないかな。二本目に突入しそうなんだ」

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エクスバディ 八田部壱乃介 @aka1chanchanko

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