第5話
「あの子来なくなっちゃったわねえ、玄霞ちゃんって言ったかしら」
「生理痛で寝込んでるんじゃないですか? 俺の所にもこの一週間来てませんよ」
「槇野さん。下品な予測は止めなさいったら」
「あはは、大卒でも男なんて考えることは同じですよ。お兄さんに家から出してもらえないのかもしれませんね。年頃の男女が二人で何してるんだかって感じですけど」
「槇野さん!」
ばーさんがちょっとキレ気味に俺を睨んだ。更年期ですか? と聞くと、返事もせずにスコーンを食べる。食べて発散するしかないこともあるんだろう。俺の場合食が細いので紅茶で充分だが、砂糖は入れる。
「大体あの兄妹似てなさすぎるんですよ。もう一人のお兄さんは髪とか同じ色してましたけど」
「ああ、そう言えば滅多に見ないわねえ、もう一人のお兄さんは」
「サングラス越しだけど、玄霞ちゃんに似たちょっと吊り目のお兄さんでしたよ。最後に見たのが一か月前かな」
「忙しい仕事してるのかしらねえ」
それは好都合だった。
茶会の終わり、俺はいつもと違うルートで帰った。それは観察して来た靂巳の散歩コースである。玄霞ちゃんには許さないくせに自分は良いのか。チッと舌打ちをする。こいつがいなくなればまた玄霞ちゃんはうちに来るようになる。鉛筆をしゃりしゃり鳴らしながら参考書を持って来るようになる。こいつさえ。こいつさえいなければ。
誰も居なくなったところで、俺はその背中を――
「わわっ!」
道の石に躓いて、靂巳は転ぶ。運が良かったのか、ナイフを空を切るだけだった。しかしそれにぎょっとしたのは靂巳の方である。チッ、もう一度舌を鳴らしてナイフを向けるが、今度は俺が石に躓いた。ナイフが落ちないようにしたが、何かが手に刺さり、結局かしゃんっと音を立ててバタフライナイフを落としてしまう。
拾ったのは靂巳だった。
「逃げて、おにーさん」
「は?」
何を言っている? こいつは。
「僕の力が働いてるうちに、早く逃げて!」
怒鳴られて慌てて逃げる。力? 何の話だ? 否、それより右手が痛い。まだ刺さっている小さなナイフのようなそれに、俺は家に入って初めて気付く。
それは鉛筆削り用のナイフだった。
黒炭がいくつも線を引いている。それは、『彼女』の持ち物。
でも何で? まるで靂巳を助けるように飛んできたナイフ。誰にも気付かれないようにあいつを着けていたはずなのに、一体どうして? どうやって? どう、俺の思考を読み取って?
ピンポン、と音がする。まだ血の出ている手で、俺はすぐ後ろの玄関を開ける。迂闊にも。
そこに立っていたのはいつも茶会を開いているばーさんだった。
そして俺は腹に熱いものを感じる。
血が出ていた。
ナイフで、刺されている。
肝臓の辺りを確実に突いていた。
ふーっ、ふーっと荒い息でばーさんは俺を見る。
真っ赤な目は、充血していた。
何かにとりつかれたような、そんな、殺人犯の交代だった。
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