第3話

 ぜー、ぜーと喉が鳴る。二週間。二週間しかもたなかったことなんて今までにない。なのに俺は二週間後、また女を殺していた。口も丁寧に裂いて、死体をブルーシートにくるむ。なんだって衝動が抑えられないんだろう。いつもは一か月に一人で済んでいたんだ。なのに、堪えられない。論文を書き終えた解放感から来ているのか? そんなの今までになかったことだ。何が。何が変わったって。


 しいて言うなら三日に一度程度訪ねてくる玄霞ちゃんがいるぐらいだ。でも俺は彼女に殺意を向けたりしない。彼女はそんな対象にならない。だけど、だからなのかと思ってしまう。楚々とした佇まいが女を感じさせて、俺の衝動を高ぶらせていくのか。そんな馬鹿な。

 彼女はそんなんじゃない、関係ない。ふと木の匂いに気付くと、ゴミ箱には彼女が削った鉛筆がある。なんだかホッとして、すーはーとゴミ箱の上で深呼吸してしまう。そうだ、次はどこに捨てに行こうか。最近は見付かる死体が増えて、口裂き魔、なんて異名も付いている。だが被害者同士に接点はない。いつも違う酒場で引っ掛けて、いつも違うレンタカーで運んでいるからだ。今日も。


 近所の婆さん達のお喋りにも、口裂き魔の事は出ている。物騒だとか危ないとか。そんな茶会の席に、俺は初めて玄霞ちゃんを連れて行った。近所付き合いが苦手だと言うから、いつも茶会でぺちゃくちゃうるさい婆さんの所に。


「本当、怖いわよねえ。玄霞ちゃんだっけ? あなたも年頃の女の子だから、気を付けなきゃダメよぉ。夜間外出なんてとんでもないわ」

「帰りは俺が徒歩で送って行ってるから大丈夫ですよ。変なことはするかもしれないですけれどね、口裂き魔みたいなのじゃなくて」

「まあいやらしい。玄霞ちゃん、男の人には気を付けなきゃ。年頃になったなら慎むのが、一番の防衛策よ」

「はい、おばさま」

「まあこんな年寄りつかまえておばさまだなんて、照れるわあ。あんまり見ないけれど、あのお兄さんの躾かしら。格好良いわよねえ。あら、こんなおばあちゃんが言っても仕方ないかしら」

「兄に伝えおきます」

「やだわあこんな歳になって、内緒にして頂戴な」


 あはは、と笑ってばーさんたちは玄霞ちゃんの家庭事情を聞き出そうとする。兄二人とどうやって暮らしているのか、なぜ学校に行かないのか。彼女は曖昧な笑みでそれをかわしていった。俺もつい、加勢してしまう。


「良いじゃないですか、一応院生の俺が教えてるんですから。彼女、学力は高い方ですよ。ただ時々ふらついてるんで、身体の事情か何かじゃないのかな。生理が重いとか」


 一瞬場が静まる。


「下品なこと言わないで頂戴な、槇野さん。デリカシーが無いと言われるわよ、いくら院生で頭が良いと言ったって」

「すいません。ジョークのつもりだったんですけどね。大学でも一般教養は良い方でしたし。そうだ、玄霞ちゃん、勉強が終わったら大検受けてみたらどうかな」

「だいけん?」

「まあ、大学入る試験みたいなのかな。君の学力なら俺の通ってたとこは余裕だと思うからさ」

「はあ……」


 あまり乗り気でないらしい。あの家がそんなに居心地良いのだろうか。だったらリモートって手もある。最近は何でも、どうにか代替案が出て来るような世間だ。


「あーっ玄霞ちゃん!」


 唐突に響いた声に、庭の薔薇の生垣の向こうからこちらを指さしている、真っ白な髪に童顔の男を見る。確か玄霞ちゃんのお兄さんの一人だろう。生垣を超えてシャツにあちこち穴を開けながら、不躾に入って来る。


「駄目でしょ玄霞ちゃん、勝手にお出掛けしたら! 君は僕と一緒に居なきゃダメなんだから!」

靂巳れきし……」


 忌々しそうにその名を呟く玄霞ちゃん。

 ぐいぐいと腕を引っ張ってその細い身体を立たせ、ぺこっと頭を下げてくる。


「しつれーしました! 帰るよ、玄霞ちゃん!」


 今度はちゃんと生垣の途切れたドアから出て行く、靂巳とやらと玄霞ちゃん。

 衝動が起こる。殺したい。それは誰でも良いと言う、俺らしくないそれだった。

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