6.お父さんとの会話


 救急隊員のお兄さんがお父さんにした質問には、ほとんど僕が答えた。じいちゃんを運び込んだ救急車は僕とお父さんも一緒に病院に連れていってくれて、お医者様の処置を受けたじいちゃんは一旦病室のベッドに寝かされた。


 看護師さんやお医者さんが処置してくれて、じいちゃんは病室のベッドに寝かされている。「熱中症ですね。応急処置が適切にされていたので、回復も早いでしょう。もう大丈夫ですよ」とお医者さんは言っていた。でも僕は、鼻高々なんて気分にはなれない。


 まだ点滴のチューブを腕にくっつけているじいちゃんが、顔をこちらに動かして「すまなかったな」と言い、お父さんは「お互い様ですよ」なんて偉そうに答えている。


「……じいちゃん、ちゃんと水分取らないと……」


「おう……、悪かった」


「僕、心配したんだよ、すごく心配したんだよっ……!」


「そうだよな、ありがとな。ガットは優しいやつだ」


 病院の硬い椅子に座って聞く声はいつもより弱いけれど、会話できている。寝ているけれど、僕を見てくれる。それがどんなにうれしいことなのか身にしみてわかる。


「お父さんも……ありがとうございました」


「いえ、俺は特に何も……。岳人がくとがやってたことなんで。ええと、息子さんたちには連絡します?」


「……本当は旅行中のあいつらに知らせたくはないが……仕方ないですね。でも、何で俺が倒れてるってわかったんですか? 何か用事でもありましたかね?」


「あ、あの、大きな狐が、その……、木崎さんの病状を伝えに来てくれたんですよ」


天狐てんこ様がうちに来てくれたんだよ!」


 すっかり言うのを忘れていた、ごめんなさいと心の中で天狐様に謝りながら、僕はじいちゃんに説明する。


「自分では電話できないから救急車呼んでくれって。すぐに消えちゃったけど」


「そうだったのか……天狐様には悪いことしたな」


 点滴の透明な液体がじいちゃんの体に入っていくのを見ていると安心する。もう大丈夫、じいちゃんはいなくなったりしない。


「そ、そう、その、えーと、てんこ様……? のことは、俺が息子さんに電話しますけど、話さない方がいいですよね?」


「いや、そこまでしていただくのは。すみませんがちょっとスマホ貸してください。俺、持ってないんで」


「いいですよ」


 お父さんはごそごそとポケットからスマートフォンを取り出して、少し操作してからじいちゃんに渡した。じいちゃんはそれを受け取って「ここに番号のメモが入ってたはず」と言いながら、財布をごそごそしている。そんな穏やかなやり取りを見聞きしているうちに、僕は眠くなってしまった。夕飯はまだ食べていないのに。


「あっ、岳人、寝るな寝るな」


「ふはっ、そうだよな、眠いよな」


「ああ……仕方ない、タクシーで帰るか」


 お父さんの少し焦ったような声を聞いたのを最後に、僕は椅子に座ったまま眠ってしまった。



 ◇◇



「お父さん、おはよ。……ごめん、僕、昨日寝ちゃって……」


 翌日の朝、起きてすぐにお父さんに謝る。まさかあんなところで寝てしまうなんて。まだまだ大人にはなれなそうでがっかりしてしまう。


「ああ、いや。おはよう」


 お父さんは何でだかにこにこしている。僕は謝っているのに。


「洗濯物入れておかなかったのも……ごめんなさい」


「いいって。おまえはよくやってくれてるよ。お父さんの方もな……、ちょっと反省したんだ」


 そう言って、お父さんは扉を開けた冷蔵庫に顔を突っ込んでしまった。


「うーん、卵がないな。お父さん今日有休取るから、買い物に行くよ」


「えっ、今日休むの? 大丈夫?」


「大丈夫、人助けした流れでって会社に言うから。ま、実際に助けたのはおまえだけどな」


 ははっ、とお父さんは明るく笑った。何だか久し振りに笑顔を見た気がする。


「人助けした流れ……あっ! じいちゃんちの鍵!」


「そう、それ。昨日預かった鍵を、息子さん夫婦が今日うちに取りに来るんだ」


 昨日、帰りのタクシーがじいちゃんの酒屋に寄ったのはぼんやりした意識の中でも気付いていた。お父さんがじいちゃんに鍵の在り処を聞いて玄関に鍵をかけたことを、わかっていたはずなのに、すっかり忘れていた。


「僕が家にいればいいよ」


「いや、お父さんが対応するから、大丈夫。おまえはサッカーの練習に行ってこい。今日スポ少あるだろ?」


「……サッカー、やってていいの?」


「もちろん」


「本当!?」


「その代わり、昨日の狐……てんこ様のこと教えてくれよ」


 「誰にも言わないから」と付け足すお父さんは、いたずらっぽく笑っている。


「う、うん」


「ああ、先に朝飯の方がいいか。腹減ってるだろ」


「うん。昨日食べないで寝ちゃったから……」


「卵はないが、ま、何とかなるだろ。じゃあお父さん朝飯用意するよ」


「わかった、顔洗ってくるね」


 こんな日常的な会話も、久し振りに思える。うれしくてうれしくて、僕は洗面所で「くふふ」と笑ってしまった。



 ◇◇



 朝ご飯を食べながら、僕はお父さんに天狐様や瑞雲みくものことを説明した。ある日ふと気になってあの階段を上がっていったこと、じいちゃんと一緒に草むしりや掃除をしたことなんかも。


「神様、だったのか……」


「ごめん……信じてもらえると思ってなくて、言ってなかったんだ……」


「そうか。信じるさ、目の前にいらっしゃったんだから」


 お父さんはにこにこと笑っている。僕が話したことで。何だかそれがとてもくすぐったい。


「じいちゃんが掃除をがんばってたんだ。ぼ、僕は、手伝っただけなんだけど」


「掃除……お父さん、何も知らなかったよ。その、慣れない買い物とか料理とかで余裕がなくて……ごめんな」


「ううん。……あのさ、今度一緒にお社行こうよ」


「お父さんが行っても大丈夫かな」


「別に平気だと思うよ。他にお参りする人がいなくてちょっと寂しい場所だけど。和菓子持っていってあげると喜ぶんだ、天狐様も瑞雲も」


 会話が楽しくて箸が止まってしまい、「ほら、早く食べろよ」と叱られてしまう。


「よし、今度和菓子買っていくか。お礼しないといけないしな」


「うん!」


 父さんは優しい顔をしている。やっぱり楽しい。一緒にお社に行くのが楽しみだなと思いながら、僕はご飯を口に詰め込んだ。

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